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ポジティブ思考の再定義

2020.01.23

いつからか、“ポジティブ思考”という言葉に嫌悪感を感じるようになっていた。

今日、その嫌悪感の根源を理解する機会を得たので、諸々の記録を残したいと思う。

これまで、僕のポジティブ思考という言葉の定義は、

発生したどのような事柄に対しても、楽観的な視点で物事を捉え、自分にとっての有用性にフォーカスして思考を発展させること。

だった。

もちろん、当初この定義に違和感を感じなかったから、自分自身が使う言葉として定着し現在に至った。

具体的には、
例えば学生の頃、インターン先の会社でミスをし、その原因を考えるとなった時、
学生時代に改めてこなかった生活習慣や、子供っぽい考え方、根拠のない自信や、過剰な自己防衛の意識などが根本原因だった場合、

普通に考えて言い訳の余地のないことなので、言い訳を考えたりしつつも最終的には悔い改め、本を読んだり人に相談をしたりして改善をしていけば済んだ。

でも、
初歩的な甘さや至らなさを改め、自分自身胸を張れるくらいの努力を積み上げ、日々の行動という疑いようのない実績があるにも関わらず、
驚く程の初歩的なミスを犯し続ける自分が、5年以上経った未だここに居る。

毎日これだけの努力をしている僕が、この次元のミスを当たり前に発生させてしまうというのなら、
上司は一体どれほど徹底した生活習慣と、研ぎ澄まされた神経を維持して働いているんだろうと、

そう思わない限り辻褄が合わない現実を目の当たりにし、何度も精神的に深く落ち込んだ。

精神科医に診断をお願いし、自分がADHDであるということを受け入れたうえで、

改めて落ち込みからの復帰を図るにあたり、
そのなかで身についた内省や言語化の習慣、NVCやIFSの知識、会社組織とは別のコミュニティと、そこで出来た心強い人間関係を誇りに思いつつも、

やっぱり、それを手放しで喜べるかと言われると、素直に喜ぶことは出来ない。

つまり、
我ながら情けなくなる低次元のミスが、これからも必ず発生する僕の人生を、めげることなく泥臭く生きていく覚悟を決めたうえで、

発生したどのような事柄に対しても、楽観的な視点で物事を捉え、自分にとっての有用性にフォーカスして思考を発展させること。

という定義のポジティブ思考は、あまりにも夢見心地な絵空事の様に思えてしまい、
僕自身がその定義のポジティブ思考を心がけることに嫌気がさすようになってしまったのだ。

そして今日、
昔の僕が定義付けしたポジティブ思考が、今の僕に適しておらず苦しんでいるんだ。
という苦悩の構造が分かった。

僕のネクストステップは、
今の僕にふさわしいポジティブ思考の定義を考えること。

これがまた悩ましいので、今日は一旦ここまでにしたいと思う。


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