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ぬい撮りについて本気出して考えてみた

 ぬい撮りというワードの意味については、昨今ニュースでも取り上げられる程に、世間に浸透し始めていると思うので、説明は割愛させて頂くとして、今回はこのぬい撮りについて、改めて考えてみたいと思う。

 ぬい撮り愛好家は、基本的に各々がお気に入りのぬいぐるみというものがあり、それこそ、自分の分身と言っても過言ではなく、例え見た目がくたびれてこようとも、それはそれは大切にしている。そして、名前を付けたり、外出先まで肌身離さず持ち歩いたり、話しかけたり、洋服を着せたり、寝食を共にしたり、それぞれの愛情表現というものがある。

 その延長線上にあるのが、ぬい撮りである。ぬいぐるみがまるで我々と同じ世界で生活しているかのような写真を撮ることで、本来ならば「自分」と「ぬいぐるみ」の間にしか存在しなかった見えない日常やストーリーが、第三者の目にも分かりやすく可視化されるところに、ぬい撮りの良さがあると私は思う。そして、そこに癒しを求めるのが我々ぬい撮り愛好家である。

 では、ぬい撮りの癒し効果とは、具体的には何を意味するのだろうか。それは、愛らしい見た目から得られる、いわゆる視覚的な要因が大部分を占めるのは言うまでもない。昨今のニュースで取り上げられるのも、この部分を強調されての報道であった。

 ぬい撮り愛好家には、先にも述べたように、外出先まで肌身離さず持ち歩いたり、寝食を共にしたり……という愛情表現があり、それを写真に収めることが癒しに繋がっている。ぬいぐるみ達は、人間の欲求であり、願望でもある、「食う、寝る、遊ぶ」だけの毎日を過ごしているのだ。


 要するに「自分の分身」であるぬいぐるみが、「食う、寝る、遊ぶ」だけのストレスフリーな日常を送っている写真を撮ることで、癒しを感じられるのだと思う。ぬい撮り愛好家は、想像力が豊かなので、擬似的に、ストレスフリーな生活を体験することができるのだろう。


ただし、着ぐるみお前はダメだ。



私は着ぐるみが怖い。
本能的に、昔から怖い。今でも怖い。

 幼い頃、遊園地の着ぐるみの貼り付けたような笑顔と、薄汚れてる感じが怖くて怖くて仕方なかった。ピエロとはまた違う。
ピエロは大抵、皆、寄り付かない。だから、「警戒せよ」と皆からの緊張感が伝わる。
「ピエロさんだよ~」と、何も知らないどこかの親が近づけようもんなら、子供の断末魔が響く。「犠牲者一名、警戒せよ」子供ながらにピリつく幼き日の私。高まる緊張感。


 これが仮に、アルバイトの可愛いお姉さんピエロなら安心だ。お姉さんピエロはバルーンアートしてプードルをくれるから好きだ。化粧も、衣装も可愛いし、チュロスとかを売ってる。チュロスはおいしい。シナモン味が好きだ。たまにポップコーンも売ってる。ポップコーンもおいしい。キャラメル味が好きだけど、一周回ってやっぱり塩味。

話を戻そう。着ぐるみが怖い理由。それはやはり、明らかに怪しいのに皆にちやほやされているところだろう。
「うさちゃんだよ~」って、うさちゃんの横にいるよくわからないお姉さんが言う。

お前は誰だ、名を名乗れ。

あの手の付き添いのお姉さんは大抵、インカムを付けている。そして高確率でハウリングする。


 そもそも一体何故、うさちゃんは自分で「うさちゃんだよ~」と言わないのか。

怪しい。

照れ屋なのか?いや、照れ屋なヤツがあんなに笑顔を振り撒くか…?

怪しい。

みんなうさちゃんに風船を貰っているが、私は貰わない。私は騙されない。あれはうさちゃんじゃない。薄気味悪いピンク色の化け物がうさぎな訳が無い。

しばらくすると、うさちゃんのお友達が登場する。大抵、そういうシナリオになっている。大人の事情でいうと、「シフト制のバイトだから」だ。

うさちゃんと入れ代わり、先程の付き添いのお姉さん紹介されるそいつの名は…。


「とらじろうくんでーす」


どう考えても、チャレンジ島にいるはずのやつの名前のパクリだ。三つ子の弟をもつトリと、耳にお花を付けた白いうさぎと、おえかき好きなひつじとつるんでいるヤツの名前だ。

「ほら、しまじろうくんだって」
「とらじろうくんでーす」

「ほら、しまじろうに風船下さいって」
「とらじろうくんでーす」

しまじろうの偽物が焦点の合わない目でこっちを見て…いるのか、いないのか。とにかく目が合った気がして、必死にヤツの視界から消える。私は騙されない。あれは、絶対にしまじろう。そして横のインカムお姉さんは、よくみるとおばさん。

薄気味悪いとらも、やはり言葉を発さない。

怪しい。

そして冷静にさらに考えてみると、真っ裸のとらじろう。

怖い。

着ぐるみ、怖い。

話を戻そう。


 最後に、ぬい撮りをしていく中で、心無い言葉を掛けられることがあるかもしれない。例えばそれが、ぬい撮りを通して、こちらの人格を否定するような言葉だとしたら、かなり怯んでしまうと思う。貴方がぬい撮りすることに、どこか後ろめたさを感じていたとしたら、尚更に図星を突かれることだろう。

 そんな風に、貴方の脆いところを的確に抉る言葉を吐くような人は、貴方が例えどんな趣味を持とうとも、納得することはまずないと思う。たまたま、貴方の趣味がぬい撮りだっただけのこと。直接的に助けることは出来ないが、「いい年をしてぬい撮りをして、何が悪い!」と力一杯、共に抗うことはできる。

貴方と同じ趣味を持ち、貴方と同じ世界観を愛する人はたくさんいる。


共に抗おう。


 まだまだ色眼鏡で見られることが多いぬい撮り趣味だが、マナーや節度を守って、楽しみたいものである。