深海

 どうしても、海がよかった。私の最後の我儘のつもりだった。
 それなのに、どんなに車を走らせても海は見えてこないものだから、イライラしているのだと思う。助手席の彼は、窓の外を見たまま動かない。
 とっくに当てにするのを止めたカーナビは、車を海のど真ん中に取り残したまま、「目的地に到着しました。運転お疲れさまでした」と絶望的な状況に、更に追い討ちをかける。
「ごめんね」
 どうしようもなくなって、私はとりあえず彼に謝った。とりつく島もない状況に、尚更心細くなって、私はすがるように彼の肩を揺すった。
「ねえ」
 揺すった勢いで、向こうを向いていた彼の顔が、ガクンとこちらに向いた。口を開いたまま目を閉じている。眠っているのかもしれないと思ったその時、ぽっかり開いた彼の口から魚が出てきた。
 一匹や二匹ではない。何百、何千と言う鮮やかな魚の群れが、彼の口から止めどなく溢れては、力強く泳いでいる。
 このままでは、車の中が魚でいっぱいになってしまうと妙に冷静な脳みそが、私の指先に窓を全開にせよと信号を送る。
 震える手で開いた窓の隙間から海水が押し寄せて、今度は慌てた脳みそが窓を閉めよと信号を送る。
「海だ……」誰に言うでもなく、私は呟いた。
 でも、一体いつ……?
 彼が暢気に欠伸をしながら、「着いた?」と聞く。
「海には着いたよ。着いたんだけど……」
 問題はここからだ。