プロデュンヌの異常な情 ~または私は如何にして憎悪するのを止めて担当を愛するようになったか~

きっかけ


とあるプロデューサーのnoteを二つ続けて見た。
迷惑がかかると申し訳ないので、引用はしない。各自調べてほしい。
共感できる点が多く、そして、筆者の方の状況を思うと、非常に胸が痛かった。

一方で、思ったことがある。
「私、今、そんなにデレマスを辛いと思ってないな????」
「確かに昔は運営を憎悪していたけど今はそうでもないぞ????」
確かに、共感はした。なんの慰めにもならない、二束三文の共感であるかもしれないが、共感はしたのだ。
しかし、共感はできても、私の持つデレマスへの思いはnoteのプロデューサーとはかなり異なるのではないかと思った。
なので、例のnoteをきっかけに、自分の「アイドルマスターシンデレラガールズ」というコンテンツに対する立ち位置や思いを記録しておこうと思った次第である。

これはお気持ち表明ではない。ただ、自分のふわふわした思いを言語化しただけの日記である。ましてや、元のnoteの人への反論でもない。(だから直接引用は避ける)
それでも、共感や同意してくれた人がいれば、ちょっと嬉しい。

プロデュンヌとしてのプロフィール

中居のCMをきっかけにデレステを始めた。デレステ1周年キャンペーンが終わる頃で、ラブレターイベントのころだった。元々音ゲーマーだったので、すぐにはまった。その後モバマスにも手をつけ、なんだかんだデレマスとの付き合いは5年くらいになる。
課金はデレステのみ。好きなアイドルのための課金以外に、音ゲーを楽しむために性能重視のアイドルを得るための課金することも結構ある。最近リフレイン入り編成が満足いくように組めるようになった。

担当は列挙すると

・仙崎恵磨
・佐藤心
・小松伊吹
・姫川友紀
・北川真尋
・喜多見柚
・喜多日菜子

私の中でこの7人が神セブンである。(この言い方も古いよね)
パッションに偏っているのは私が根っからのパッションPだからだろう。
他のジャンルよりは落ち着いているが、絵を描いたり二次創作したりもする。
担当名を列挙したが、自分の中で一番は仙崎恵磨。これはずっと変わらない。普通に自己紹介するなら、「仙崎恵磨Pです」となる。
このようなnoteに担当名をあげることに抵抗がないわけではないが、きっかけになったnoteのPをリスペクトして、あるいは、自分も表記しなければ卑怯であるように感じたからである。
それに、

たかが一人のお気持ちブログで総選挙がどうにかなるなら、もっと前にどうにかなっとるわい

ということである。

デレマスおよび運営に対して、どう思っているのか。

私のデレマスに対するスタンスは端的に二つの文で表現できると思う。

「わかってはいるが、わかるわけにはいかんのだっ」
「真剣に取り組むが、本気ではない」

以上である。アンビバレントな言葉が並んでしまった。
「わかってはいるが、~」は島本和彦先生のセリフそのまま。
「真剣に取り組むが、~」はシンプルに考えてみた結果、でた言葉だ。

1.わかってはいるが、わかるわけにはいかない

わかってはいる。
サービス終了までに担当に声が付くかなんて、わからない。
たまたまスシローで供給があったが、これから先はわからない。
グッズも少ない現状で、これから増えることは期待できない。
モバマスも縮小気味で、強SRが出るなんて期待できない。
運営の胸三寸で決まってしまう現状で、希望なんてバカらしい。
わかってはいる。とうの昔にな!
それでも、
わかるわけにはいかんのだ!

これは希望なんて美しいものではなく、ただの意地である。
私は意地でデレマスをやっている!
「担当かわいい、素敵、神」だけの純粋な気持ちでやっていけなかったのだ。どうしても、運営の影がちらつくから。
「あの子ばかり運営に贔屓されてずるい」「声ついてるけどあの子は全然目立ってなくてかわいそう。運営のせいだ」と思ってしまい、気分がダークサイドに傾く。
それを振り払って進んでいく意地なのだ。
万が一、億が一でも可能性があるならあきらめたくない。
「損切りできない愚か者」と笑ってくれていい。
おそらく、担当への愛だけならとっくに折れて引退していただろう。
なさけないことに、意地が私をデレマスというコンテンツへつなぎとめているのだ。

2.真剣に取り組むが、本気ではない。

これは、主に選挙活動に対するスタンスである。
私は、選挙活動には真剣に取り組んでいるつもりである。
毎回、選挙ではできる限り票は集めるし、ダイマも作る。
こまめにスクショを取って、専用のアカウントでツイートしたりする。
選挙に使えると思ったので、マーケティングとブランディングの勉強もしている。
どれも、真剣にやっている。
でも、どこか冷めている。というか、本気を出していない。
ここでいう、本気を出していないというのは、手を抜いているという意味ではない。できることはするが、できないことはしない。
以前、もっと情熱をもってデレマスに取り組んでいた時なら、もっともっとできることを追及していただろう。
でも、それはできない。冷めてしまったからだ。
冷めていても引退していないのは、前述したとおり、意地が支えているからである。それと同時にもう一つあるのが、「冷めている今のほうがコンテンツとの距離が適切」だからである。
デレマスというコンテンツに本気だったときは、ただただキツかった。
今は消したが、愚痴アカウントを持っていたし、そこにいろいろ書いたり、他の愚痴アカウントにいいねしたりしていた。
とにかく運営に対して真っ黒な気持ちが吹きあがっていた。でも、馬鹿らしくなったのだ。そこまでの憎悪を燃やせるほどの情熱が急になくなってしまった。
いつぐらいのことだっただろうか……愚痴アカウントを消してしまったので、はっきりとした日にちはわからない。最後に7人追加されて、結構経ったぐらいだったと思う。何かきっかけがあったというより、急に憑き物が落ちたようだった。
情熱がないのは、悲しい。でも、そのほうが健康だと思う。

愛情と情

これから、デレマスという違法建築コンテンツがどうなろうと、大きく私のスタンスは変わらないのではないかと思う。
意地はあるが、熱いものでなく、冷めているからだ。
今年、総選挙の形式が大きく変わるが、落胆するほどの情熱が私にはなかった。
「やってやろうじゃん!」という意地と、「どうやって戦おうかなー」という冷めた真剣さのみだった。
これだけ書くと、運営バンザイ全肯定の聖騎士様のようだが、それとは違うとはっきり言っておきたい。「与えられたものは楽しんで、頑張らないと損だ」というケチ根性の賜物であり、運営への愛ではない。愛情があるとすれば、それは担当へのものだ。
運営に対しては、「情」という思いが一番しっくりくる。なんやかんや、10年続いたコンテンツ。自分が参加したのは5年間だが、それでも、長い年月だ。でも、そこにあるのはただの情である。

これからのデレマスを見届けたい気持ちに嘘はない。

運営への思いは「情」であると書いた。
この情というのがやっかいで、私をこのコンテンツに繋ぎ止めるものの一つである。そして情とは、かなり太い綱である。
担当への愛情、意地、かすかに残る情熱、運営への情がないまぜになって、今コンテンツに向き合っている。
だから、担当ではなく、運営に向ける言葉は
「ここまできたら、最後まで付き合ってやる」
「だから、最後までがんばれ」

となる。
10年継ぎ足し継ぎ足ししてきたコンテンツの最後を見届けたいという気持ちがかなり強い。
たとえ、「10周年越えたし、アイドルをキリよく200人にするため10人増やしまーす」という蛮行をされたとしても、めちゃくちゃ怒るし叩くけど、引退はしないと思う。アイドルが好きなのと、情があるから。
何度も書くが、運営が好きなのではなく、それは長い間一緒に過ごしてきたコンテンツに芽生える情なのだ。

どういう気持ちを抱こうと、結果、精神がむしばまれず、健康ならばよいのだと思う。
これからも、担当は情熱的な愛で、運営にはそこそこの情で、デレマスというコンテンツにつきあっていくつもりだ。
「だから最後までがんばれ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?