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与えられた時間 充てる時間

今月から仕事を変えた。

前の会社と比べると通勤時間は20分短縮、労働時間も8時間から7時間へと短縮、収入はその分減った。自由に使えるお金が減ったと肩を落とすことは不思議となかった。「時間をお金で買った」感覚は強く在る。

退勤すると、日が傾こうとする時間で空はまだまだ明るい。最寄り駅に着けば、学校や塾から帰ってきた子どもたちがはしゃいで駆け回り、自転車を引いて子どもたちを迎えるお母さんたち、そんな人たち同士でにぎやかに立ち話する光景が、駅前の商店街をにぎわせている。その中を通り抜けて私も家に帰る。土を踏みたいなぁと思い立って公園に寄る。芝生の広場をゆっくりと踏みしめながら、肌に擦れる草と緑の匂いを感じながら横断する。知らぬ間に公園が整備されて、ベンチや遊歩道が増えていた。

家に着いてもまだ空はうっすら明るい。洗濯機を回して夕食の準備をする。せかせかと家事をしなくていい。だって窓から日の明かりが入っているから。

1時間20分。仕事を変えて、収入と引換に私が手に入れた時間。外に広がる景色、家で過ごす時間の感覚、こんなにも違うものかと新鮮で驚いている。

傾く太陽から一日の終わりを感じたりとか、街中や公園で子どもたちが元気そうに笑っていたりとか、洗濯前にお湯に漬けたお気に入りの白シャツの襟に石鹸を塗りこんで、歯ブラシで黙々と擦ったりとか。一見地味だけど、望んだ風景に私を溶け込ませてあげたり、抜きたくない手間をかける時間を与えてあげることが私には死ぬほど大切で、あるかないかで幸福感に大きく差が出るのだ。

今の会社の出社初日、研修を終えてさぁ帰ろうと会社のビルから外へ出たとき、まだ明るい空をつい見上げてしまった。その瞬間、これだけで会社を変えた意味はあった、確かに思えた。

この生活リズムもいつまで続くかわからないし、飽きてしまうときがきっと来ると思う、根が飽きっぽいので…。ただこの手に入れた時間を、自分を大切に、幸せにできる時間に充てたい。