”僕の見た君を 君に伝えたい”

GOTCHA!を視聴してから、通勤中と帰り道とでひたすらアカシアを聴いている。出だしがスタンドバイミーなのが本当にズルい。

歌詞を読んでまず出た感想が「私もいつか理由に抱きしめられてぇ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!」だった。次に「存在」への歓びがありったけ詰まった歌詞に胸がつまった。

藤原基央さんは「愛情」や「友情」や「夢」「希望」なんて言葉を用いずにそれらの本質を伝える名手だと思う。口にするのも書くのも照れ臭く、ときに胡散臭くもあり、ありふれてるのに捉え所がないそれらを、普遍的で実感の迫る歌詞で浮かび上がらせる。

この歌詞に登場する”僕”は、”君”の隣を「死ぬまでいたい場所」であり「特等席」だと称える。「君の一歩は僕より遠い」が、「足跡は僕の方が多い」のだと対等な関係を誇り、「君と僕と世界の声で」唄を歌い、太陽がなくたって「君と照らす」世界を歩く。「君が」でも「僕が」でもない、二人で一緒にいることが肝心であり、何よりの喜びであると”僕”の魂は叫ぶ。

誰より(近くで)特等席で 僕の見た君を 君に伝えたい
君がいることを 君に伝えたい

しかし”僕”の想いが帰結するところは「伝えたい」だった。

あぁそうかもしれない、と思った。

私は通ってるダンス教室の先生や、専属のように何年も担当してくれてる美容師さんや、私とは正反対の感性の持ち主である兄や、弱音を吐き合える友人のことを思い巡らせたときに、「私から見たあなたがいかに素晴らしい存在か」をどこかのタイミングでちゃんと伝えたいな、と思うことがある。こう書くと重いな。言い換えれば「あなたのこんなところが素敵だ」と伝えたいのだ。私は人間関係が狭いし話し下手だ。だからこそ伝えたい欲求が生まれるのかもしれない。いつもありがとう、これからもよろしく、で済ませたくないのだ。