両親への教育

2020年、あけましておめでとうございます。新年の幕開けです。令和2年、まだあと363日あります。363日もあれば何でもできます。可能性は無限大です。皆さん、同じ一年の繰り返しは今年で止めにして、全く新しい世界を私とともに見ていきましょう。私が率先して自爆していくので、皆さんはそのあとを付いてきてください。

皆さんは自分の両親に教育を施したことはありますか。教育は親から受けるものであって「子供が親を教育する」というとピンと来ないかもしれません。私も同じです。いや、私は特に親に影響を受けすぎ、頼りすぎていたかもしれません。大人になってからもしばらくの間は、ここぞという時に親に相談したり、判断を委ねる場面があったほどです。それほど、両親に依るところは大きいです。

どれだけ年月が経っても、両親に対するリスペクトは変わらない、愛も変わらない。しかし私は気づいてしまった。両親はもう、現代という時代から、取り残されつつあると。現代に合った選択ができないでいると。周囲にいる人たちが古すぎてアンテナが働いておらず、テレビを見ているだけの老人に見えてきていました。60代を過ぎ、なおさら暇を持て余しているように感じていました。

2019年正月、父は「残された自分の人生について考える時間が増えた」と、息子である私に語りました。人の役に立てないことの苦痛。いつ死んでもいいように遺書を書いたこと。目標も特にない、と言う父の言葉に私は、いたずらに年月が過ぎてしまったことを痛感し、大反省しました。父の背中はいつも大きかった。母の愛はいつでも暖かく正しかった。二人はいつでも私に勇気をくれた。それだのに、私は彼らに何の恩返しもしていない。

2019年の1年間。ゴルフを始め、父の歩んできた努力の軌跡を辿りました。今まで生きてきて知り合ったさまざまな人に再会し、彼らの現在と未来を見させてもらいました。そして、即断即決で行動していく中で、今やるべきことの道を探り、私はいくつかの結論に達しました。そのうちの一つが「両親を教育する」なのです。私が責任をもって彼らの残りの人生を最大限、目標をもって生きてもらえるようにアップデートしてゆこうと思いました。

しかし、彼らの人生。息子がどうこうしようと言うのはおこがましいことではあるまいかという思いもありました。余計なお世話であると。しかし、勇気を出して、父に話してみました。

2020年、私はあなたたちに、スマホやアプリ、インターネットを活用した新機軸の人生を紹介・教育する授業がしたいと。「少し便利になる程度の、本来不要な知識などではなく、自分たちの人生を最大限、最後まで燃焼させるためのツールである」と、出来るだけわかるように言おうとしたのだが…

話を聞いた父は、即答した。

「是非お願いします。」と。

まだこっちがしゃべってるのに若干、食い気味に言ってきた。

まずは頑固な母さんのガラケーを辞めさせてスマホにするわ。あと、予習しておかなければならないことはFAXしてくれ。(←この辺が古い)3日くらい合宿みたいな感じで教えてくれるのかい?あまり難しい言葉はわからないからやめてくれよ。しかし…楽しみだな!

嬉しかった。嬉しさと嬉しさが入り混じった、実に嬉しい気持ちであった。

こうして2020年、タカムラ家に一つのプロジェクトが始まったのである。

プロジェクト名は【両親をIT教育せよ】~暇を持て余した60代の逆襲~である。私が資料を作成し、スマホを使いながら授業を担当する。2月に第一回目の授業を開始し、継続して成果物を報告・共有。3か月おきにアップデートのためまた実家へ行き、新しい授業をする。内容は、年間を通して、スマホの仕組みと使い方・キャッシュレスへの移行・SNSの活用・アプリの活用・情報収集の方法やアンテナのはり方を予定している。出来るだけ複雑な説明は避け、使用時にわからないことは失敗しながら覚えるように誘導してゆく。特にクレジットカードの登録やパスワード、アカウントの作成などには抵抗があろう。その辺をどうわかりやすく伝えるかが腕の見せ所である。

我々世代は、ポケベル、PHS、090携帯電話、インターネット、スマートフォンの全てを当事者として見てきた貴重な世代であることを忘れてはいないか。ツーカーだってボーダフォンだって、iモードだって知っているではないか。私たちは通信機器を常に間近で見てきて、よくわからないながらも弄って失敗して覚えてきたのである。俺たちが守りに入ってどうする。攻めよ。

高齢者は減らない。むしろ増えていく。もう一度言うが、少子化、人口減のこの時代に、なんと、高齢者だけは「増えて」ゆくのである。どんどん増えていくのだ。ハムスターよりもすごい繁殖力なのだ。しかも高齢者には教養があって暇がある。体力はちょっと自信がなくて、そろそろ死ぬかもしらんなんてのはご愛敬なのだ。動けなくなったら終わりなのは私たちとて同じなのだ。

私は父と母に、自分たちの歩んできた素晴らしい人生を超えてゆく新しい世界を見てもらいたいと思っていた。子育てもとっくに終わって自分たちの時間もお金もあるのに、毎日、テレビの前でプロ野球を楽しみに生きて、半農家みたいな生活をしているうちに身体を壊して、入院して…。そのまま死んでほしくはない。シワシワのヨボヨボのガリガリになったとしても、復帰後の夢を語り、明日への希望を語ってほしい。もしやり残しがあり復帰が厳しければ、やり残したことは俺がやってやるよと言って別れたい。そしてこれで良いと言ってほしい。

父が教育論をブログに載せるかもしれない。母がYoutubeでシフォンケーキを作って自慢しているかもしれない。熱中して没頭して、死ぬのが惜しくなればいい。明日が楽しみで眠れなくなればいい。あっという間に過ぎていく1年が、5年に感じられるほどに。

もしかしたら私はそのために「先生」となり「授業」という仕事をしてきたのかもしれない。伝わる言葉選び、生徒のリアクションと間。緊張と緩和。何に向かっているのかわからないまま、いたずらに時を過ごしていたわけではなかったのだと信じられるようになりたい。

ありったけの感謝を込めて、自分の社会人・現代人としてのスキルをぶつけたい。

令和2年、1月2日。まだ363日ある。

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