homeportは終わらない
(前回の記事)
今日は仕事が終わったその足で、昨日、耳鼻咽喉科から預かった封筒を携え、大通の歯医者へ向かった。
先生は、診断内容とCTスキャンの画像データをひとしきりじっくりと眺めて、こちらにやってきた。
「副鼻腔炎の炎症が奥歯の根っこに届いていて、歯が感染しています。それに伴う痛みだと考えられるので、歯を削って中の神経を取りましょう」。
と淀みなく言われた。私は潔く、それを受け止めた。
さっそく歯が削り取られていく。
「痛くないですか?」
「痛くないです。」
本当に痛くなかった。いや、少しは痛かったが我慢できる痛さだった。
しかし、やがて激痛としか言えない痛みが襲うが、一旦治療のインターバルの時間になるまで私は耐えた。
私はそのとき、心の中で、なぜか「homeport、homeport、homeport」と神にすがるような気持ちで唱えていた。浪人時代、私はずっと「慶應、慶応、慶応」と唱えていた。この痛みに耐えれば、homeportに辿り着くと思えば、我慢できる。ということは、あの壮絶に辛かった浪人時代と同じ心境に今達しているのかもしれない。でも意味合いは全く違う。耐えること、我慢する世界への入り口が大学合格だったけれど、そこからの卒業がhomeportだからだ。だから、一旦治療の手が止まったら痛いと伝えないといけない。
インターバルの時間になり、先生が「痛くないですか?」と聞いてくれたので、私は「痛いです」と泣き笑いの表情で先生に伝えた。
先生は少し苦笑しながら、けれど安堵したような症状で「痛かったら痛いって言ってくださいね」「今から麻酔しますね」と言ってくれた。
本当は、痛い瞬間に「痛い」というべきだったのだ。私は麻酔を打たれながら、そんな自分が情けなくて、でもやっと「痛い」ということができて、涙が出てきた。先生に見られたら、まだ痛がってると勘違いされてしまうかもしれない。でも凄くほっとして、残りの治療の時間を過ごした。
そのとき、なぜか、秘密基地に田中君といる光景が浮かんだ(昨日の夜、田中君と突発オンラインをした)。その光景の中の田中君は、小学生ぐらいの年齢だった。自分も小学生に戻っている。いや、戻っているのではなく、改めて小学生に生まれ変わっている。元気になったら秘密基地に行けるんだ、秘密基地をつくれるんだ。元気になったら田中君が待ってくれている。そう思うと嬉しくてまた涙が出てきた。もしかしたら、それは義務教育以前の野生の学校の原初的体験だったのかもしれない。
同時に、直前までラインでやり取りしていた「北大ななめ通り同好会(homeportサポーター)」の二人の顔も浮かんだ。「もう、無理ばっかりしないで、早く身体を直しなさいよ」と笑いながら諭してくれているようだった。
決めたぞ、とにかく春になるまで、俺は健康へと向かっていくと。
昨日の田中君とのオンライン突発で、「homeportはいつ終わっても問題ない」という話をしたが、正確にはhomeportは終わるということがありえない。なぜなら、homeportは山崎翔が生きている限り存在するし、死んでも残り続けるからだ。
だから、もっと長生きしたい。いつ終わっても終わらないなら、やっぱり実物としての秘密基地をつくりたい。家に戻って、塩コショウで炒めたねぎを食べると、その甘さが痛いほど伝わってきた。味覚が少し戻ってきたのかもしれない。
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