手段の目的化


1 はじめに


資格を取りたい。

知識を手に入れたい。

痩せたい。

生きていると理想や目標が浮かんできて,それを求めてさまざまな取り組みをしたり努力をします。

しかし,いつしかその手段であるものが目的と立場を変え,取り組みを達成することが目的となることがあります。私は最近そのスパイラルに陥りました。自戒を込めて備忘録として記録に残します。


2 noteを書くのが目的となっていた


noteをはじめてそう長くはないですが,始めたきっかけは「自分が今まで得た知識やノウハウを残したい」「仕事や書籍からインプットしたものをアウトプットして自分の中に落とし込みたい」というものでした。

もともと感じたことやこれからの展望,取り組んできたことの結果などは見えるように残していたのでアウトプットしたい材料はたくさんありました。

まずは毎日一回は投稿。これを一年間続けよう。

これが私の目的を達成するための取り組みでした。

しかし,生活していると,帰ってくると仕事で疲れている。イレギュラーなことがあるとリズムや習慣が乱れる。家のことでやらなければならないことが積み重なっている。など様々な情況があります。それでも初めの方は毎日登校しました。それが二か月ほど続いたでしょうか。ある日,どうしてもアウトプットできない日がありました。習慣が崩れるということは恐ろしく,なんとかして続けていた習慣が途切れていしまうと,次は簡単に自分の言い訳に流されてしまいます。

noteって投稿すると褒めてくれますよね。○○日おめでとう!っていうのは励みにもなりましたが,途切れて知った時の脱力感もすごかったです。

二日続けて休むのもいけないと思い,何とか投稿します。そんなる日,ふと我に返りました。

「時間をかけて投稿しているけど,何のためにしているのだっけ?」

さんざん研究主任や新たな取り組みと振り返り,改善をしてきたのにも関わらず,noteに関しては「投稿すること」がいつしか目的となっていました。本当に情けない限りです。

これからは本当に自分が表現したいことや本から得たこと,新しい気付きなどをまとめて質にもこだわっていきたいです。

人には偉そうに言うくせに,自分はまだまだと自己を顧みるきっかけとなりました。

この記事が参加している募集

noteの書き方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?