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祝・範ちゅう的思考との出会い
こんにちは、よく喋る大学生です。
いつだか忘れたのですが、「なんかみんなめっちゃカテゴリー化したがるじゃん」と思ったことがありました(多分大学1年1学期)。当時はカテゴリー化することによって、そこに属している自分を主張しているように見えていたんだと思います。斜めから見ることをある程度習得したが故の弊害ですね。そこで、なんでカテゴリーしたがるのか考えてみました。
【仮説】
扱いやすくするため。カテゴリー化するとその集団に名前が付けられ、定義が生まれます。定義が生まれるとより多くの場面で扱いやすくなりますし、誤解も減ります。また、「aちゃんとbくんとcちゃんとdくんが~」と言わなければならなかったのが、「Aが~」のように一つの固有名詞でまとめることが出来ます。
上のような流れから、何かが一定数集まり社会的に認知されるようになると、自然に起こる現象=カテゴリー化なのでは?と考えました。
【奇跡的な出会い】
上のような仮説を立てていましたが、その後真面目に考えることはなく、「また新しいカテゴリー化起こったなあ」くらいにしか思っていませんでした。そんな中、この疑問の答えが見つかる衝撃的な出会いを果たします。
時は進んで大学2年2学期。批評文学の授業の期末課題を進めている時、「範ちゅう的思考」というものに出会います。
範ちゅう(疇)的思考とは:
人間の脳は、多くのデータを単純化し構造化するために情報を特徴毎に分ける本能のこと。本能的に同質性を持った集団を探し、自身が「正常な人間だ」ということを認識させることで安心感を得ようとする傾向がある。
参考:東亜日報
これに出会った時ビビッときてしまった訳です。静かな図書館で「これか~~~~~~~~~~~!!!!!!!」と叫びそうになりました。
【結論&後記】
カテゴリー化するのはそれによって自身の仲間を探し、安心感を得ようとするからでした。もうめちゃくちゃ納得ですね。高校の入学式の日、隣の席の子と中学の部活が一緒なことが分かり謎に安心したりしてました(その後全く仲良くならない)。今回の疑問によって、「類は友を呼ぶ」ということわざが科学的に正しいことも分かりました。
普段から考え事が多いのですが、頭の中でぼんやり考えていたことが言語化できたので、記事に残してみました。
こんなこと考えて生きている学生もいるんだな~と思っていただければ幸いです。
今回も読んでいただきありがとうございました🌱
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