蒸発

それは突然の事です。
いえ、もしかしたら予兆というものがあったのかもしれない、私は気がつきませんでしたが。

数週間前の事、私には恋人ができました。
少し変わった方でした。
私は彼の名前を片仮名でしか知りません。
それ程に私は彼を知りません。
なぜそんな方が恋人だったのか、という疑問は追求しても意味がありません。
彼が何をしているのか、そんな事も知りませんし
今となっては彼の年齢や家族、恋人の有無も確かではありません。
ただ彼の口癖は知っています。
彼の好きな事も知っています。
彼の得意な事も、もちろん知っています。
だけど私はやっぱり彼を知りません。

そんな彼との連絡ツールが故意的に全て消されていました。
その日は遊ぶ約束までしていましたので、
前日に悩みに悩んだお洋服、
それもいつも黒ばかりを着る私ですが
色物を選び壁にかけてあるのがとても哀愁を放っています。
かわいそうなお洋服。
ゴミ箱を見ると、使い終わったパックが捨ててあり、
肌の調子がいつもより良い私を鏡の中の私がかわいそうな目を向けてくるのです。

ただ、不思議な事に悲しみなんて感情は何もないのです。
客観的に見れば私はとてもかわいそうかもしれない。
だけどかわいそうな自分がとても愛らしくて
とてつもなく自己愛は増してしまい、
彼に関しての感情は限りなく無に近いものでした。
私は恋人がいたと言いましたが、
恋人はいなかったのかもしれません。
彼は私に別れよう。の一言を言う事さえも拒絶しましたが、
そんな彼を批判したい気持ちには、どうしてもなれず
怒りの気持ちさえも湧きません。
その証拠に、私は一本の煙草を吸い
何事もなかったかのように勉強を始めていたのですから。
それは私の日常以外の何者でもありません。
資格を取るべく私は仕事が終わってから
机に向かい
睡魔や疲労感と闘いながらカフェインとニコチンを摂取し勉強している。
それが私の日常です。

私には大切なものがたくさんあり、
勉強もそのひとつに過ぎず
家族や友達、好きなアニメや小説。
言い出すとキリがない。
私は大切な時間が増え、大切にできる配分が増えた。
そんなふうに思っていたのです。
悲しいものです。

彼は恋人への期待を嫌いました。
私のこの文章を彼は見ることはないでしょう。
だから、私は綴るのです。
私は彼にひとつ、メッセージを送りました。
それは彼からブロックという形でのお返事となりましたが、
引き止めたり、理由を聞く事もしないと、
ただきちんと終わらせよう。
そう言いました。

彼がどう感じたかは分かりませんが、
本当に理由を聞きたいとも
まだ関係を繋ぎ止めたいとも思いませんでした。
私は無関心な人間のようでした。
心底どうでも良いのです。
ただどうでもよくないふりをして、
関心のあるふりをして生きているだけのようでした。
悲しいものですね。

彼も恐らく私を好きではなかったでしょう
愛というものは感じられませんでしたし、
彼の言葉は酷く薄っぺらく、それを隠すように色んなものを重ね厚みを出しているよう、
それでも中身はやはり空洞であり、軸がありませんでした。
つまらない。
これは、彼を嫌いだという感情から生まれる言葉ではありません。
勿論、皮肉でもありません。
私の中ではそれが事実です。
そして私は彼を嫌いではない。

なぜ付き合っていたのか、そんな疑問がまた生まれたかもしれませんが
やはり追求するのはやめておきましょう。
それに関しての答えは私には見つけることは出来ません。
私の日常は忙しないものであり、
寂しさを埋めるような空白は存在していませんでしたし、クリスマスを1人で過ごしたくないなんて感情もありません。

ますます、分からなくなってきました。

ただ月日が経ち、最近でいつ恋人いたの?という質問を投げかけられたとしましょう。
私はきっと、この数週間を無かったこととして
相手に伝えるでしょう。
恐らく、忘れっぽい私はこの薄い時間を忘れてしまう。
悪気があるわけではありませんし隠したいわけでもありません。
覚えていれば、きっときちんと伝えるでしょう。
だからこそ記憶が鮮明なうちに、記しておかなければ
そんな焦りさえあります。

彼がこの文章を読む可能性が少しでもあるとすれば
私はきっと、彼への愛を語り不特定多数に同情を求めるでしょう。
だけど、それは嘘です。
読み返したときに、私はこんなにも心情深い人間だったのかと首を傾げる未来が目に見えます。
そんな事はやはりしたくはないですね。

そして最後の締めくくりはいつも決まっています。

ありがとう。

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