薬とお酒。わたし

こんばんは。
皆様は、自分の人生を自分の意志により終始点を打とう。
そんな風に考えたことはありますか?
また、それを実行しましたか?

私は三月から、勉強と仕事を両立してきました。
実家に帰る時も、私は飛行機の中や家族が寝静まった後。
恋人とデートに行く前や行った後、
本当に一日も休んだことがありませんでした。

まず私は秘書検定の資格を受けました。
確か四時ぐらいに起床、朝勉というものをしはじめた。
同時にメンタルヘルスマネジメントについても勉強していた。
秘書検定はあっさり合格。
だが、相当勉強した。心配性な私は問題集の答えや
問題の出し方、ネットに出てくる予想問題的なやつ、最終的にやりすぎて最後まで読まなくても答えを覚えてしまうくらいに。


メンタルヘルスマネジメントの試験はまだまだ先の十一月だった。
その頃は六月


私は簿記の勉強を始めた。
確か七月ぐらいだったか?
まずは三級、頭が良いわけではない私は独学ということありとにかく必死だった。
気が付けば朝は三時に起き勉強していた。
電卓はスーパーに売っていた安い反応の悪いやつ。
九月、私の誕生日の次の日に試験を受けに行く
反応の悪い電卓を必死にたたき合格した。
そろそろメンタルヘルスマネジメントに取り掛かるか、と思ったが
法律が変わり?(よくわからないが数字などがほとんど変わっていた)何が何だか分からなくなった
それも国語辞典の様な分厚い教科書は何度も読みノートにもまとめ
ある程度の勉強は終わっていたのだ。
これから問題を解いていき、慣れていく、そんな私の計画が一からやり直しになり少しうんざりしてしまった。

私はこうなったら簿記二級をするしかないと、心に決める。

朝の二時に目覚ましをセットし、起きる
勉強する、五時に仕事に行く準備をする
六時十分に家を出る、働く
昼休みはたったの三十分、私はお昼を食べたり食べなかったり、
その三十分でさえも勉強しました。
電車は各駅に乗りそこでも勉強
家に帰ってすぐにお風呂に入り、また勉強。
勿論寝落ち、そして二時、目覚ましが鳴り繰り返される日々。
もう数ヶ月、ベットで寝ていない。
テレビなんて最後に見たのはいつだろうか。
一切休まなかった、これは本当。

そして模擬試験をしても、予想問題をしても合格点を毎回取れるようになった。
十二月二十三日
私はテストを受けに行った。
結果から書こう。
落ちた。
2点足りずに。
その日に母から父が入院すると連絡があった、突然だった。
大丈夫だろうか、私はテストの間もそんなことばかり考え、
今度は少し値の張った性能のいい電卓をたたいていた。
言い訳のようになるのかもしれない
ただ事実として、私が落ちたのは私の力不足のなにものでもない。
だけど私の中に残ったのは言葉に表すとなんなんだろう、
虚無感、でしょうか?

家に帰ると要点をまとめた紙が壁一面に広がっている。
私はぼーっとし、それから教科書を開けることもなく、座っていた。
ただ座っていた。本当に、何をするでもなく。

夜、母に父の具合を聞き、私は本当はテストだったこと、
落ちたこと、そしてもっと知識を深めるチャンスだと思いこれからも頑張るということを母に報告した。
本当は、何もできていないというのに、私は嘘をついた。
私にとって家族はかけがえのないもので
母は体が弱かったが父は強い、風邪も滅多にひかない。
母に何かあったら父がきっと、そんな風に考えていた。
だけど、父もずっと元気なんてありえない話だ。
私は不安になる。怖くなる、なんだか死にたくなってくる。

いや、おかしいだろう。
私がしっかりしないといけない。
何より、私が死んだら大切な家族が悲しむだろう。
何故それを分かっていながらも私はそんなことを考えてしまったのだろうか。
自分が嫌になり
そしてやっぱり消えてしまいたくなった。
私は上着を着て、近くのドラックストアに向かい薬を二瓶買った。
そして冷蔵庫にはいつのか分からない日本酒、
私は冷静だった、二瓶で人間が死ぬ訳がない、
それにより倒れて頭を強打して…なんていうのは置いておいてね
とりあえず私はたまった食器と机の上に捨てないで散乱しているゴミをゴミ箱に。
トイレの掃除までした。
そしてタバコを吸い、買ってきた薬を日本酒で流し込んだ
薬よりも日本酒がきつかった。
私はお酒が強いわけではないのです。

そしてまた煙草を吸い
だんだん視界がぼやけていく、これは眠さからくるものなのだろうか
この気持ち悪さは、日本酒だろうか。
分からぬまま私は横になる。
なぜこんなことをしたのか、本当に死ぬつもりであれば確実な方法を選ぶだろう。
疑似体験か?がんばれなくなった私への罰か?

情けないものです。
本当に。

疲れたのでまた明日。

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