うなぎと車

 寒い! もう冬です。ようやく夏去りて秋めいたと思ったらこれ。二週間くらい。秋。四季どこ行った。

 朝起きて、腹が出てきたなあと思ったから走るわけ。ジャージに着替える。ぐしゃぐしゃの髪の毛をごまかすように帽子をかぶる。外に出る。そのとき、わかった。冬だった。空気が冬のそれ。四半世紀以上北海道に住んでるからわかる。もう半そでではだめだよと。朝夕は軽い上着も要るよと。そういう鋭い冷たさがあって、家にとってかえしてウィンドブレーカーを着た。
 それでまた走りなおしたけど寝起きの骨身に風が堪える。こう寒いとかえって風邪をひいてしまう。体に良くない。それでやむなくランニングは来年の雪解けまで繰り延べになった。せっかくジャージ一式買ったばかりなのにね。スポーツショップで新品を買った。上下一万円。昨日が秋分の日だったから。区切りにはちょうどいいと思って、ランニングを始めようとした。今日が二日目だった。雪が降るまでは継続しようと思ったのにね。ジャージは部屋着になった。一万円の元が取れるまで着つぶしてやる。

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 先週の日曜にサッポロファクトリーに行った。札幌都市部にある大型ショッピングモール。ジャージもここで買った。puma。買い物を終えてほかの店々を冷やかし歩く。もともとは併設されてある映画館に用事があった。「名探偵ポアロ ヴェネチアの亡霊」。けれど世間にとってそんなに注目作でもないから公開初週で一日四回しか幕がない。予約していた14時の上映までまだ間があって、私はゲームセンターや飲食店街をぶらりぶらり、ただ日曜の昼日中だけあって周りには人人人。それも大半がアベックだったり家族連れ。独り身の私はどうもどこに行っても肩身が狭くて、pumaの紙袋の持ち手をぎゅっと握った。
 喫煙所だとかで時間をつぶして、そろそろ開場されるかなという頃合いに映画館に入った。ここもやっぱり人いきれ、それもなんだか親子連れがいやに多い。上映されている映画のラインナップをはたと眺めてわかった。プリキュア。プリキュアだ。今年はプリキュアが20周年だから映画も力を入れているらしい。子どもを抱っこする親と行き違う。親の顔を見る。私と同い年くらいか。そうだもしかしたら、子供と一緒にプリキュアの20周年の映画を観にいく未来が私にだってあったかもしれない。そんな夢想をしながら名探偵ポアロを発券した。今はこれだってかけがえのない幸せなんだ。
 入場ゲートの前に、お詫び文が書かれてあった。読むと、前日に起こった爆破予告について書かれている。ニュースで憶えがあった。土曜日にサッポロファクトリーに爆破予告が届いて、全館一斉休業になったらしい。その時間映画を観ていた人も途中で退出の憂き目にあったようだ。お詫び文ではその払い戻しの方法だのを掲示している。爆破はいたずらだったようだが、なんともはた迷惑な話だ。

(けれど私は少しだけ、その愉快犯の気持ちがわかる気がした。幸せそうな顔した連中が、爆破予告で一斉に追い出される。団欒のひとときががらがら崩れて現場は一時騒然と、その様を犯人はきっとほくそ笑んで見ていただろうと思う。周囲の幸せをねたみ悄然としている私だって、いつそんな愉快犯になるともわからない。孤独は人を爆弾にする。火種はどこにでもある)

 それにしても「名探偵ポアロ ヴェネチアの亡霊」は良かった。前作のエジプトが舞台の悠然としたそれでいて切実なミステリとは打って変わって、ハロウィーンの日を舞台に怪奇趣味を前面に押し出していて新鮮だった。怖かった。はじめはミステリとして眺めていたから目を皿のようにして手がかりを探そうと画面全体会話の一部始終を聞き漏らすまいとしていたら、繰り返されるホラーの演出に私は何度も声が出そうになった。危なかった。特にポアロが洗面所の鏡越しに亡霊の姿を目の当たりにするシーンなんて、私は思わず席から少し飛び上がってしまった。我が家で観ていたらぜったい叫んでいた。ほかの観客が誰も叫んでいないのがすごいと思った。みんなこの映画見るの二度目? あんなん初見じゃぜったい予測できないだろ。謎が解かれて登場人物はめいめいのあるべき生活へ戻る。過去二作と比べて終わり方がいちばん穏当で明るくて、ハッピーエンドが好きな私の気に入った。続編がまだまだありそうなので期待したい。
 主演兼監督のケネス・ブラナー、調べたらハリポタの秘密の部屋で登場するインチキ先生の役の人らしくて、そのギャップに驚いた。道化然としていたハリポタとは全く違う、老成した探偵役もまた板についていて、まあ探偵もある意味では道化だから通底しているのかもしれない。第一作の「オリエント急行殺人事件」では、そんな側面がよく出ていた。引っ掻き回すだけ引っ掻き回した末に大切な人を守れずに探偵役がむせび泣くようなミステリが私は好きだ(ネタバレになるので例示はできない)。名探偵ポアロも次回作ではむせび泣いてほしい。でもポアロが泣いたらそれは解釈違いなのでやめてほしい。ミステリ厄介オタクやめて。

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 サッポロファクトリーには以前、eddie bauerというアメカジのチェーンの服屋が入っていた。私は贔屓にしていた。UNIQLOやGUの服ばかりの私が、次なる服をと見出したブランドがeddie bauerだった。道内ではこの一店舗しかなかった。以前付き合っていた女からeddie bauerはファミリー向けのダサいブランドと顰蹙を買ったのも今は昔、コロナ禍の2021年に、当該ブランドは日本撤退してしまった。俺は明日から何を着ればいい? そのニュースを知ってしばらく途方に暮れた。俺はシャツもパンツもベルトもeddie bauerで揃えていたというのに。雑に洗濯しても丈夫で、値段も安くなく高くなく、着栄え(こんな単語はない)も派手過ぎず地味過ぎず。私にとっては運命のような服屋は、あっけなく日本を去った。

 そのeddie bauerが日本に帰ってくる。おかえり。私は久闊を叙するようにeddie bauerの再始動を、出店地域の公開を今か今かと待ち望んでいた。先だってついに情報が解禁された。北海道はあるか? サイトを開く。大阪! 福岡! 愛知! 埼玉! うんこ!!!!!!!!!!!!! 北海道から逃げるな。買うから。俺が買うから。なんだ愛知って。どこだよそれ。うなぎと車しかない場所だろ。札幌でいいだろ札幌で。もういい。もうわかった。どうせeddie bauerなんてファミリー層向けのダサいブランドだからな。もうぺっぺっだ。いいもん。pumaがあるもん。pumaは日本撤退しないもん。俺は小学生のころからpumaの筆箱を使ってたんだ。黒地に白抜きでPUMAと型どっている筆箱。男子小学生といえばPUMAかADIDASの筆箱だった。俺はpumaが好きだよ。愛してる。pumaの頭をなでると頬を摺り寄せてきた。かわいいやつだ。

 pumaでジャージやら外套やらを買うと、店員がキャンペーンをしていると言う。「グランツーリスモ」という映画の協賛で、pumaブランドを買った人に当該映画にちなんだマグカップを配っているらしい。ありがたくもらった。機会があれば映画も観てみてください。店員が言った。はい、と私は適当に肯った。名探偵ポアロを観る予定の私はなんだか浮気している気分になった。今もpumaのジャージを着ていると縫い合わされたpumaが私に威嚇している。そんなに怒るなって。こんど観に行くからさ。俺は「グランツーリスモ」の上映時間を調べた。朝か夜遅くしかない。うんこ。

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