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雑記(2023/11/14-11/21)

 大学時代の後輩がビアバーを開店したというので、友人と一緒に行った。飲み屋街の雑居ビル2階のこぢんまりとした一室にその店はあった。ほとんど一人で切り盛りしているという。夕刻に訪れたので客といえば私たち二人しかおらず、身内だけの気楽なひとときだった。卒業以来、六年も顔を合わせていなかったからよもやま話に花が咲いた。落ち着いた雰囲気の内装と、店主のこだわりのビールの味とがマッチしている。とはいえ私はふだん安酎ハイしか飲んでいないので、いざ少しお高い酒を飲んでも気の利いたコメントひとつできない。一口飲んでみて、味わう。ビールがのどを通る。なるほど。「これは酒だね」と私は言った。後輩は苦笑していた。とまれ、ふだん一人で飲んでいるばかりの私に、気心の知れた人たちと飲むのはこれ以上ない楽しさで、後輩へのカンパの気持ちも半ばありカパカパ飲んだ。

 家に帰ったころにはすっかりへべれけ、今年いちばん幸せだったなあなどと余韻にふけりつつ、歯を磨きながら手持ち無沙汰に部屋をうろうろしていると、家具の角に足の小指をぶつけた。息が止まった。その場でうずくまって、あまりの痛みに嗚咽した。どうして幸せなまま一日を終えさせてくれないんだろうと何もかもを呪った。ぶつかった箇所を見てみるとじんじん腫れている。まあ明日には治っているだろうと、そそくさ歯磨きを終えて眠る。翌朝、楽観とは裏腹に激痛だった。寝床から起き上がってトイレに行くのも難儀だ。びっこを引きながら、二日酔いもあって、私は泣いた。どうして俺だけがこんな目に遭うんだよ。病院に行こうかと思ったが、足の小指をぶつけた程度で医者にかかるのも恥ずかしい。大の大人が情けない。それに明日には治っているかもしれない。そんな祈りを込めて足の小指と向き合う日々は続いた。まともに歩けるようになるまでには一週間ほど要した。いまも少し痛い。

 ふつうに歩けなくなったとき、私はすこし強気になった。労働へ向かう道すがら、びっこを引きながら歩いていると、向かってくる人たちはたいてい道をあけてくれる。私も痛いので顔をしかめて相手を見ている。俺はけが人だぞ、道を譲れ。そんな心持ち。強面なあんちゃん連中もすんなりコースを変えて歩いてくれる。イヤなら譲らなくてもいいぞ。代わりに喧嘩でもしてやろうか。ただでさえ足が痛いんだ。喧嘩でけがをしても同じだ。やったろかオラ。そんな捨て鉢な気持ちが通じたのかもしれない。カップルでさえ繋いでいる手を離して私を通した。心の内で快哉を上げた。幸せそうな面してんじゃねえよこっちは渋面じゃボケカス、と。あとになって罪悪感はむくむくと膨れ上がり、何もかもに謝りたくなった。
 酒が人の本性を暴くなんて言葉があるけれど、あれは嘘。怪我が人の本性を暴くのだ。私はいつも好戦的だ。いやになる。いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶えしちゃう。チー牛然とした私に秘められたオラつきを思い返せば返すほど恥ずかしくなって、小指の次は心が痛む。これは何科にいけばいいのか。心療内科?

 休みの日といえば足を引きずって外に出るのも不格好だからと、一日中ベッドの上でyoutubeを見ながら過ごした。しかし足が痛くなくても着た切り雀のせんべい布団で過ごしているから、平生と大差なかった。ただ足が痛いという免罪符があるので気楽だ。ふだんならこのまま何事もなく無為に一日が終わっていくのかと途方に暮れるところ、足が痛いので療養の大義名分を得て、下らない動画やまとめサイトを遍歴し時間をつぶした。俺は怪我人だぞ、広告を流すな。早くスキップさせろ。

 やることがなさすぎて、いま話題になっている「葬送のフリーレン」に触手を伸ばした。既刊は十一巻らしくて手を出しやすい。逆張りオタクの精神も足の痛みに相殺されて、ネットで評判がいいなら触れてみるかと一巻から読んだが最後、夢中になった。老齢のキャラが強いのはテンプレといえばテンプレだけど、心が騒ぐ。10巻からの師弟対決にはもうあれよあれよとページを繰った。師匠と対決する展開を嫌いな人はどこにもいない。かつて私が中学生だったとき、今では誰も知らないだろう弥生翔太「反逆者」というラノベにのめりこんだあのころを思い出した。
「反逆者」は二巻で打ち切られた。「葬送のフリーレン」はアニメ化の勢いのまま新たな展開を見せてくれるだろう。今の十代がうらやましい。私ももう少し遅く生まれていれば、あるいは都市部で暮らしていれば、順当に流行りのアニメに乗っかって、正統派なオタクになれていたのかもしれない。しかし私はゆとり世代の、北海道は北見市という僻地で育ったものだから、逆張りに逆張りを重ねて、何が本心なのか分からなくなっている。みんなが知っている作品だと都市部に負けると思って、誰も知らない文物ばかり好んだ私にも、違った生き方があったかもしれない。北見市は文化の極北、ここにはなにもない。

 そんな北見市を舞台にしたアニメが、来年初頭に公開される。率直に言って漫画原作はクソ面白くない。同じ場所を舞台にした作品なら、「ひとりぼっちで恋をしてみた」という漫画のほうがよっぽどリアルで、北見市らしい。けれど漫画はフィクションだから、現実に長齢のエルフがいないように、北見市にギャルはいない。夏と冬で50℃近い気温差のある盆地にギャルは生息できない。作者だって同郷だけあり、そんなことは百も承知で、それでもなお北見市にギャルという存在を生み出してくれた。その心意気に脱帽するのだ。東京から来たというだけの主人公にヒロイン連中が初めから媚びるのは植民地支配を見ている気がするけれど、北見市が、自分のふるさとが、舞台になるとあっては喜ばずにいられない。作中の舞台となる高校が北稜高校という名前なのがまた良い。北見市の北斗高校と緑陵高校を足して2で割ったネーミングだ。「ひとりぼっちで恋をしてみた」も同様な高校名である。市内の高校で混ぜ合わせて使える名前の高校はこの二つしかない。ほかには北見商業高校か工業高校、あるいはそれだけで完成している柏陽高校しかないのだから、道産子ギャルは陵の字をのぎへんにしているのも小賢しくていとおしい。紛らわせているくせ校舎の雰囲気は北斗高校なので、原作者の出身校も知れる。おなじだ。作中で描写のある放課後にスリラーカラオケに行けるのは、北斗高校生しかいないのだ。私は高校時代ぼっちだったから、そんな思い出はないけれども。とまれかくまれ、空気感を共有できる物語が嬉しい。北海道のギャルなんて、清楚系ビッチと同じ、現実にはありもしないのにそれでも求めずにはいられないもの。道産子ギャル、その響きは、処女の血を求めるユニコーンの私を奮い立たせてやまない。何の話だ?

 日記。足の小指の痛みもすっかり癒えて、どうにかまともに歩けるようになった。仕事帰り、向かいくる人たちに、罪滅ぼしの気持ちを込めて私は道を譲った。

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