武田泰淳「貴族の階段」/発酵/腐敗

 本は積んでいるうちに味が出る。発酵すると読みごろだ。そうして我が家の書棚に背表紙をさらしたまま色あせてしまったものが何冊もある。フォークナー「八月の光」は毎年八月に読もうと思ってもうこれで買ってから六度目の年を迎える。江國香織「なかなか暮れない夏の夕暮れ」なんて作者からして読みやすそうな一冊、と決め込んでいるうちに、夏はもう何度巡ったろう。今年は女色を絶って読書に専念しようと思った。夏になったら江國香織を、八月にはフォークナーをきっと読む。そういうわけで2月26日、満を持して武田泰淳「貴族の階段」を読み始めた。2.26事件を背景に、華族の娘視点からその前後の物語が語られる。

 冒頭、本作のヒロイン氷見子の台詞。「死ねばすむと思ってるのが、男のイヤなところね」十七歳の少女ながらひやりと物語の核心を突くひと言で、私はそこから夢中になって読んだ。
 氷見子の父は天皇の腹心、兄は貴族ながら軍隊に入っている。世相は皇道派と呼ばれる一群が、君側の奸への怒りをたぎらせている。父も奸賊の一人に挙げられており、兄はかかる皇道派の一員になる。忠孝の間で揺れる兄の悲哀と言ったらない。事件を絡めた舞台配置はこんな具合。
 作中では氷見子と親しい陸軍大臣の娘、節子が登場する。節子は氷見子の兄から恋文を渡され、氷見子に相談する。兄を恋うているのは明らかなのに、どういうわけかためらう節子、彼女は「おねえさま」と氷見子を慕っており、まんざらでもなく相談に乗る。姉貴分として節子をいいように使って、節子の父周辺から軍部の皇道派の動向を探らせようとする。しかしふいに節子の醜悪な秘密を知って……というのが物語の主軸である。氷見子が少女から女に変わってゆく様は、ある種の教養小説の風であるが、そんなにきれいなものではない。時代柄、作中のそこかしこに死と血のにおいは付きまとい、最後まで悲惨である。物語は2.26事件直後で終わる。しかしそれから来る戦火を考えれば、その行く末は思うだに苦しい。氷見子の父のモデルは近衛文麿、戦時中幾度か首相の座につき、戦後はA級戦犯として起訴される前に自殺。死ねばすむと思っているところが、男のイヤなところだ。


 兄の台詞を引く。氷見子の在籍する女子学院が、兄の属する連隊に見学に行った場面。案内役として、兄は華族の子女たちの前で語る。

「……(中略)兵隊にも、過激な者、穏健な者、いろいろとある。だが今一ばんまじめな、一ばん働きのある兵隊が、何を感じているか。そこをよく、知っておかなくちゃいけません。これだけ苦しい暮らしをしている国民のなかで、まだ安逸をむさぼっている奴が、どこかに居ないか。居るとすれば、誰だろう。日本がうまくいかないのは、上層部に悪い奴がいるからだ。さもなければ、どうして働きづめに働いてるのに、うまく暮せるようにならないのか。革新を、しなくちゃならんぞ。……(後略)」

武田泰淳「貴族の階段」(中公文庫)

 私もこの時代に産まれていれば、きっと革新を望んでいただろう。あいにく現代ではそうやすやすと革新なんてなされるものではない。たとえば数発の銃弾ごときでいったい何が変わっただろう? ずっと昔に「希望は、戦争」と題した小論を物して、物議をかもした人間がいた。働きづめに働いて日の目の当たらない現実の私は、年を重ねるごとに、その著者の気持ちが少しずつ分かってゆく。希望は、戦争。希望は、革新。当論文は戦争を忌避する内容だけれども。今なお有効にその一句は効く。希望は戦争。なにもかもひっくりかえして、駄目だったら死ぬだけの話だ。
 この台詞を発した兄は最後まで忠と考のあいだで右往左往していた。氷見子には生き方が下手だと評されている。往時において上手な生き方をできた人がどれほどいたことだろう。今の世ならまあ比較的に上手な生き方をしている人は多いはずだ。インターネットの大海はそんな人物をおびただしく浮かび上がらせる。平和、万歳。

 作品のラストは一種の心中のような体裁になる。同じ2.26事件を扱った三島由紀夫「憂国」のようなきれいな心中ではない。読むに堪えない勝手な死にざま。こちらのほうが「憂国」よりよっぽど現実らしい。どろどろとして死にきれず、あるいはずらずらと懺悔のことばを並べる。死ねばすむと思っているところは、イヤなものだ。成り行き上そうならざるを得ないとしても。


 私は大岡昇平「武蔵野夫人」、その一節をしじゅう思い出していた。復員兵として戻ってきた間男が、浮気相手の夫人に語る場面。

「戦争は楽です。自分一人の命さえ守ればいい。駄目だったら死ぬだけの話だ」

 夫人は返す。

「じゃ普通の生活は戦争より辛いのね。死ねばいいなんて通用しないわ。それはわからなくちゃいけないわ」 

大岡昇平「武蔵野夫人」

 氷見子の事件後の生活はいかばかりであったか知らない。

 近衛文麿の子孫はまだご健在である。首相経験者も幾人かいる。平家物語の時代であれば平家は根絶やしにされたものだが。……安逸をむさぼっている奴が、どこかに居ないか。居るとすれば、誰だろう? 戦後も皇族は弥栄、じつにめでたい。

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