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これから/北山あさひ「崖にて」/ぽかぽか

 これからの話ができない。明日明後日、一週間後、一年後、もっとずっと後でもいい、この日々の連続、延長線上の先にある姿を、思い浮かべることができない。何年生きてみてもこればかりは予想が全くつかず、かりに考えたとしてその通りになることがたいていなかったから、いつしかその日その日を受け流すように生きて生きて、思えばその間、目標、なんてものをかかげたおぼえはまったくなく、こうありたい、という姿を思い浮かべることも少なかった。その果てが今だ。妥当だ。完成形を想像できない。それはこの文章の羅列がどこに着地しようとしているのか私にもわからないのと同じ、蒔かぬ種は生えぬということわざの通りに、なりそこなって書きそこなって言いそこなって、今ここでまた、私は何を書こうとしたのか、その目論見を忘れてしまった。

 新しい本屋が、母校の大学近くにできたと聞いた。潰れる本屋の数えきれないさなかに、そういうニュースはありがたい。地下鉄駅を出てすぐの場所にあるという。習い性のように見切り発車で、行ってみることにした。地下鉄に揺られてなじみの駅を出て、あたりをぐるりと歩く。何年ぶりであったか。見慣れた街影ばかり、目当ての本屋はなかった。やむなくgoogle mapで所在地を探すと、建物と建物の合間を縫って、秘密基地じみた区画に、簡易な喫茶を併設した本屋を見つけた。昼日中だというのに薄暗い。店内に入ると、主人とその馴染みらしき客一名がカウンターで談笑しているきり、いかにも平日であったから、致し方ない。乱雑な学生街にはすこししゃれすぎている。店頭、入って左手には雑貨が並び、BIGISSUEが飾られている。右手には話題書が余裕たっぷりに表紙を向けて飾られている。BGMの洋楽が、こぢんまりとした店内にすこしうるさい。セレクトブックショップというべきところで、置いてある書籍はいかにもそれらしかった。場所柄、学術書も多い。小説よりかは詩集や歌集が揃えられおり、そこは私の気に入った。

 手ぶらで出るのは悔しいので知らない歌人の歌集を買った。北山あさひ「崖にて」。奥付を見ると同郷の歌人だ。いつでも短歌は三十一文字だからよい。気負わず読める。頁を開いた。一首目にこうあった。

 北にすむひとよ南にすむひとよ空を見上げるだけで手紙だ

 そのまま読んだ。さすがにおなじ道民、雪をうたう短歌はよかった。たとえば、

 四月十一日雪の吹き荒れて北海道は武道なんです
 ロマンチック・ラブ・イデオロギー吹雪から猛吹雪になるところがきれい 
 お葬式するならこんな大雪のしずかな午後のヒヤシンスの間

 今風の短歌はなべて連作で物語ってばかりいるから、こうやって抜き書きしても読み手には、私が感じたように感じはしないだろう。それでも一首一首ごと、連作末尾のその一首へと駆け抜ける詠みぶり、その作風は、いかにも私好みであった。

 特に2018年、北海道の大地震をうたう一連は、美しかった。末の一首も。

 暗闇に沈みゆく街 一瞬も歌を詠もうと思わなかった

 機会があったらまたあの本屋に立ち寄るかもしれない。それまで潰れないでいてくれたらいい。今はそうでなくてもどこもかしこも閉店つづきで、今夜になってまた北海道はまんぼうになるらしい。なろうがなるまいが、私の仕事に変わりはなかった。寝てまた仕事に出る。唯一、私の思い描ける未来像は、そんなところだ。歌になる生活ではない。物語るほどの出来事もない。地震。あのときの地震で、私も震災文学じみた何かを書けばよかった。しかし電気は一日半で復旧した。科学技術、万歳。ろうそくに火を灯さずに済んだ。職場の廃棄の食糧でふだんよりもいいものを食べた。こういうのは不謹慎だから、ことばにしてはいけない。そういうものはわきまえなくてはならない。

 § § §

 今日の未明に降っていたらしき雪はいかにも静かで、外を通る除雪車の音で目を覚まし、ようやく雪が降っていたのを知った。窓の外を見やるとまだ小暗い景色に、しんしんと積もっていた。風はなかった。大寒はとうに過ぎている。もうじきにあたたかになる。傍らの女を起こした。

 そまつな朝食を食べて、二人で始発に乗った。仕事に出向く私が先に下りた。手を振って別れた。勤め先への道すがら、先刻のやり取りを思い出していた。いっしょにいると心がぽかぽかする。そう言われた。言われたときにはすぐに私が違う話をふっていた。けれどその一言は、思い返すたびなんだかありがたくて、私は早足になった。もっとそのことばを受け止めていたらとも思った。私もぽかぽかしていた。しかし私だったらぽかぽかなんてことばを使わなかったろう。ならばどう表現していただろうか。そればかり考えて勤めは終わった。帰ってひとりの部屋、なにかnoteを書こうと思った。北山あさひの歌集を読み返した。ぽかぽかに替わることばを探した。見つからなかった。見つけたかった。雪はとっくに止んでいる。ストーブは設定温度どおりに室内をあたためて、私もぽかぽかしていた。そうとしかいえない感情もある。今はこれでよかった。明日は知らない。

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