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PERCHの聖月曜日 35日目

わたしはヒロシマという所へ行ったことがない。また、ヒロシマに関する映画も見たことがない。ヒロシマに関する小説も読んだことがない。広島はバクダンがおちてからヒロシマになっていた。このことは多少知っている。そのヒロシマを描いた丸木位里氏とその夫人の絵も見たことがなかった。それをわたしは、東京の或るデパートで十点の連作のうちの三点を見た。その絵の横に、ヒロシマにバクダンがおちた数日後の非常に大きな写真が並んでいた。絵の一点分、または二点分の大きさだった。絵は地獄編のようにさまざまなニンゲンの姿が描かれてあった。写真はなんにもないパノラマであり、ニンゲンの姿はうつっていなかった。そしてもちろん、その写真の前では、描かれたものはヘナチョコに見えた。そしてもちろん、このことがその絵の価値をとやかくいわせるものではないであろう。このときも、わたしは見物人のひとりにすぎない。見物人は、絵画というゲイジュツよりも、だれがうつしたかわからない、平凡な写真の方に心をうばわれたということはあった。見物人のわたしは何故、描かれた絵がヘナチョコで写真がヘナチョコでないのか知るよしもない。だからゲルニカがアメリカにあっても、知っちゃあいない。

その絵と写真の近所に、水ヲクダサイ、という詩が大きく印刷されパネルにはられてあった。他にもいくつか、ハラタミキ、というひとや、トウゲサンキチ、というひとの詩がかけてあった。水ヲクダサイ、は絵と同じようにヘナチョコかといえば、それがそうではない。その写真と、他のいくつかのニンゲンたちがたむろしている写真の横では、ヘナチョコではない。ただし、水ヲクダサイが活字になって本のページにはさみこまれて机の上に置かれたとき、写真の横での、水ヲクダサイ、かどうか、ということはあるのではないか、という気が多少する。その辺のところははっきりとわからない。じゃあ何故、プラドー美術館の中のゴヤの或る絵はヘナチョコではないのか、といわれたら、わたしは答えられない。

ーーー富岡多惠子「芸術というイレモノ(1967)」『物語からどこへ 富岡多惠子の発言5』岩波書店,1995年,p12-13

Plate 41 from "The Disasters of War" (Los Desastres de La Guerra): 'They escape through the flames'(Escapan entre las llamas)
Goya (Francisco de Goya y Lucientes)
1810

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