PERCHの聖月曜日 104日目
バルセロナの市街戦は一日で終り、フランコ軍の指揮官ゴデー将軍は捕虜になった。しかし周知のように、ナチス・ドイツとファシズム・イタリアの武力援助を受けていたフランコ軍による内戦の拡大に対して、イギリス、フランスなど二七カ国は不干渉協定を結び、共和政府への武器輸出を禁止した。
カザルスの武器はチェロと指揮棒だけだ。彼は自由と民主主義のために、この武器を力かぎり使った。ヨーロッパ各地、トルコやエジプト、アメリカとひろく演奏旅行し、バルセロナに戻ると、戦傷者や児童福祉協会のためのチャリティ・コンサートを精力的におこなった。
このころカザルスは、各地のコンサートの主催者に、演奏料はコンサートの休憩の時までに全額支払うこと、もし遅れればプログラムの後半は演奏しないと申し入れている。もちろん主催者は彼の要求を容れ、彼は演奏料をていねいに数えてポケットに収めると、チェロを持って天使のような顔でステージに向ったという。このため彼は守銭奴と陰口されたこともあった。だが彼はこの収入の大部分を、スペイン人民戦線軍に送っていたのだった。カザルスはこのことは誰にも話さなかったので、真実がわかったのは第二次大戦後一〇年以上もたってからだった。
スペイン国民の英雄的な活動にもかかわらず、内戦が悲劇的な終幕に向いつつあった一九三八年、バルセロナの教会にある九枚の古い聖画が戦火で破壊されることを恐れたカザルスは、自費で九枚ともサンサルバドルの家のサロンに移しかえた。
ーーー井上頼豊『カザルスの心』岩波書店,1991年,pp25-26