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新しい傘。

今日、傘を買った。

気に入っていた傘を昨年無くしてしまい、そのあと貰い物の傘を使っていたのだけど、それも先日無くしてしまって、だったらやはり気に入っていた傘と同じものを買おうと思ったのだ。

もとの傘は2017年5月に買った。そのころ、「ビニール傘はなくしてもたいして惜しくなく、結局何本も買ってしまう。気に入った傘は大事にするからなくならない」というのを何かで読み、本当にそうだよなと思ってネットで和傘の柄をしらみつぶしに見て、豊臣秀吉を支えたとかいう竹中半兵衛の家紋「九枚笹」の藤色を購入したのだった。

この傘は確かにどこかに置いてきても必ず出てきた。ランチを食べ、忘れて出て、夕方に慌てて店に電話すると、「ああ、柄(え)がまっすぐの、紫色の! 素敵な傘ですね。とっておきますよー」と言われたこともある。

忘れられないのは、瀬戸内寂聴の対談をまとめる仕事を仰せつかったときのことだ。場所は京都・嵯峨野にある寂庵。コロナ時代の生き方を問うという趣旨で、対談相手は秘書の瀬尾まなほさんだった。

寂聴さんの本を読むと、相手のいいところをひとつパッと見つけて褒める、というようなことが書いてある。だから私もこのとき、ひとつ褒めてもらえるのかな、と心で小さく期待していた。雰囲気でも、髪でも、声でも、服でも、質問の仕方でも、何かひとつ。

果たして、対談終わりに荷物をまとめているとき、私は褒めてもらえた。あの高めの可愛らしい声で、「あなた、それ、素敵じゃない!」と、藤色の傘のことを。

正直、傘かーい、と思ったけど、私はくるりと向き直り、「そうなんです、この傘、素敵なんです」と言って、室内にもかかわらず傘をバッと広げ、クルクルッと回した。寂聴さんがきゃきゃきゃーと笑ってくれた。

そんな傘だったので、昨年無くしたときは、えらいショックだった。

その日のことはよく覚えている。私は10歳ほど年上の男性に交際を申し込まれ、返事をしないといけない日だった。小雨が降っていて、傘を持って出かけた。一軒目はフレンチバル。テーブル席で言い出せなくて、ワインをガブ飲みした。二軒目は「とんかつ清水」。カウンターなら言えるかなと思ったのだ。それで紅茶の葉入りのハイボールを2杯くらいあおり、お付き合いできない理由を伝えた。彼はわかりましたと言い、大丈夫ですよと付け加えた。そしてなぜか気を取り直そうとでもいうように、ふたりでカラオケスナックに行って歌い、23時過ぎに別れた。クタクタだったのに、自宅への道沿いにある「わしょく宝来」に吸い込まれるように入った。私はワインを一杯注文し、飲みながらほろほろと泣いた。すでにここでバイトとして働いているのに、迷惑なヤツだ。帰ろうと思って「お会計してください」と声をかけると、「あ、大将がお代は要らないって言ってました」と言われた。泣いてる女(しかもバイトの女)から金は取れない、というやつか。また泣いちゃうじゃんか。

そして傘が消えた。

絶対に4軒のどこかにはあると思い、日を置いて順々に尋ねまわったが、どこにもなかった。傘はあの日、彼の想いを受け入れなかった罰(のようなもの)と引き換えに無くなった気がした。そんな言い方はかなり不遜かもしれないけれども。

私は今日、ふたたび同じ傘を買った。以前はネットだったが、その店の路面店が祇園にあることを、薬局に行く途中で偶然知ったからだ。藤色はソールドアウトとのことで、鉄紺を選んだ。今度は無くさない。

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