見出し画像

ダンボール1箱分の父娘。

8月19日(金)、父の四十九日の続きのお話(遺品整理編)。

父の後見人の市原さんがホテルまで迎えにきてくれた。15時半に出発し、内灘の近くで家財整理事業をしている「T・Sコーポレーション」の本社に向かう。

遺品は、冷房の効いた事務所内に置かれていた。大きめのダンボール箱が15個くらいと、最後まで病院のベッドのそばに置いていたという10段ほどの書類棚、そして腰までの高さのある仏壇だ。

行くまでは、仏壇の中身と、父の写真数枚と、建築設計士だった父が使っていたロットリングという特殊なペンがあれば形見に持って帰ろう、と考えていた。

しかし、ダンボール15箱を開けていくと、大量の建築関係の本があり、額装されたりアルバムに整理された父のイメージ図や製図、完成図などがあり、プラスチックの写真フォルダにきちんと整理したアルバムが多数あり……。

一瞬、途方に暮れた。自宅にこれだけのものを保管できる予備の部屋はない。そもそも引っ越しの多い私、「荷物」は日常的に必要なものと少しの思い出の品のみにしておきたい。「あれもこれも」というスイッチは切って、瞬間的に選んでいこう──。私は箱を開け、持って帰ると瞬間的に決めたものだけを別の箱に次々といれていった。

大量の建築関係の本は、残念だが一切諦めた。父の仕事関係については少しだけ選んだ。CDはマイルス・デイビスを数枚。写真は、父の若い頃のものと、私たちと写っているものだけ。

台紙に貼られた古いアルバムもいくつかあった。その中で、翌日会ういとこたちと祖父母の写真があったので、あげるつもりでよけておいた。

私が一歳半くらいのときの声が入ったカセットテープもあった。両親の離婚後に、私たち姉弟が父に宛てた手紙も、すべてプラスチックのA4サイズのフォルダに保存されていた。こんなものまでと驚きつつページをめくりながら、自分の幼いころの字を見、妹や弟のそれを見……、「あ!」と思わず声が出た。母が父に宛てた手紙があったのだ。「子どもたちの写真を同封します」という内容で、懐かしいやら、こんなことをしていたのかとビックリするやら。母の直筆の手紙の威力は凄まじく、幼いころのいろんな光景が甦った。

書類棚も、上の引き出しから順に確認した。薬や眼鏡や電池の類で、開けては閉めを繰り返す。しかし最後から3番目の引き出しに、祖母から父への手紙が20通ほどあった。これも持ち帰る箱にドサッと入れた。

LPレコードも30枚くらいあった。湿気なのか、どこかの時点で雨にやられたのか、ジャケットは見事にボロボロだった。マシなレコードがあれば形見にと思い、一枚一枚確認した。渡辺貞夫、五輪真弓、マイルス・デイビス……。

ふいに父と最後に住んだ大手町のマンションのリビングに鎮座していた大型ステレオが脳裏に浮かんだ。父がジャズやクラシックのレコード盤にそっと針を置いていたことも、小学3年生の私に針の置き方を教えてくれたことも。

あのステレオは、赤紙が貼られて借金のカタに持っていかれたはずだ。伯父夫婦が買ってくれたYAMAHAのピアノも同じく。レコードは値がつかなくて父の手元に残ったのだろうか。

見覚えのあるシリーズもののクラシックレコード一揃いも残っていた。ボール紙ではなく薄い紙でできたジャケットは、これもひどい状態だった。しかしベートーヴェン、ハイドン、バッハ……とかろうじて読めるタイトルを見ているうち、父が「このクラシックのレコードは、香織が嫁に行くときにあげるから」と言っていたことも思い出した。

そんなこんなで1時間20分かけて、選別を終えた。まさかの「ダンボール1箱分」だ。

その間、「腰、痛いー」「これはいらんな」「これはもう諦めよう」とボヤいたり叫んだりしている私を、後見人の市原さんは一緒にしゃがんで、笑ったり合いの手を入れたり励ましたりしてくれた。薄いビニールに包まれているレコード盤が外見に比べてわりにキレイで、「ああ! もー、しょうがないな、これも持って帰るか!」と言えば、「お父さんが、そうやろ香織、持って帰りたいやろ、と言ってますね」と笑ってくれた。そして最後に「手荷物くらいにするつもりだったのにー」と嘆きつつ箱に封をする私を、嬉しそうに眺めていた。

それは、トランクルームのおじさんたちも同じだったらしい。市原さんにあとで「香織さんが選んでいるのを、みんなニコニコ見ていましたよ」と言われた。やはりざっと遺品を見て、「どれも要りません。すべて処分してください」という人(家族)が多いのだろう。いや、ここは身寄りのない人の家財をいったん預かる倉庫なのだから、荷物を最終確認をする人がいないことのほうが普通なのかもしれない。

明日、そのダンボールが家に届く。たったの1箱しか引き受けられなかったが、その人に結びついている荷物は、たとえ娘だろうが、その人と同じくらい大切に持ち続けることはできない。そして、このダンボール1箱分さえも、私の次に預かる人は誰もこの世にいないのだ。

あらためて感じるが、人は死ぬときにすべて天国にはもっていけないし、家族もすべてを快く引き受けてはくれない。それでも、人は「死ぬときは身一つ」という潔さをもてない。何かしら大事なものを、手放さずにいる。

何のために?

そこまで考えて、ああ、そうかと思った。これは葬式や墓と一緒なんだと。つまり、死んだ本人のためじゃなく、遺された人のために存在するのだ。その人を悼んだり思い返したり許したり愛し直したりするために。

少なくとも私はこの20年間で、遺品整理の1時間20分ほど、父のことを思い出したり考えたり新しく知ったりすることはなかった。だから15箱中、14箱は捨てても、父はきっと赦してくれるだろう。

私が生まれる1カ月前の父(右)。ロットリングで書かれた父の文字が、子どものころから好きだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?