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漫画原作者・宮崎信二さんインタビュー Vol.1 〜手に触れるものを黄金に変えるギャンブラーたち。〜

10年以上前、講談社の無料ウェブコミック配信サイト「MiChao!」にて、『マイダスの薔薇 黄金のギャンブラー』という作品が配信され、原作者の宮崎信二さんにインタビューしました。サイトは2009年に閉鎖されてしまったので、そのインタビュー原稿をここに転載します(宮崎さんの許可済み)。
 

突然送られてくる黄金の薔薇。それは悪徳カジノに対する処刑宣言……。正体不明で無敗を誇る伝説のギャンブラー“マイダス”が活躍する痛快ギャンブルアクション『マイダスの薔薇』。原作者の宮崎信二さんに、北村、バロン、スカーレット、銀蔵の4人のキャラクター設定の秘密、漫画編集者から漫画原作者になるまでの変遷、そして漫画の可能性と魅力についてお聞きしました。(全4回)

──『マイダスの薔薇 黄金のギャンブラー』は、北村(通称:ボーイ)、バロン(通称:アンクル)、スカーレット(通称:レディ)、銀蔵(通称:グランパ)という4人のギャンブラーたちが、悪徳カジノを成敗するという話ですが、この設定やストーリーが生まれたのはどういういきさつだったのですか?

宮崎信二(以下、宮崎) 最初は「小博打」──公営ではなく、ちんちろりんやおいちょかぶなどの話を書いてほしいと言われたんです。それがなぜこんな大掛かりな内容になったのかというと、今回はタイトルから入るというアプローチになったんですね。山下達郎の「マイダスタッチ」という歌があって、マイダス王(ミダス王)という触れたものをすべて黄金に変える力を手にした王が最後には愛する娘まで黄金に変えてしまう、というギリシャ神話がモチーフなのですが、その言葉の響きを気に入っていて調べていたら、「マイダス」という名の薔薇があった。黄色く美しい、八重の薔薇でね。それでマイダスと呼ばれたギャンブラーが浮かんできたんです。手に触れたものを黄金に変えるごとき最強のギャンブラーが悪徳カジノを成敗していく、勧善懲悪の話。そのような設定を考えていくうちに、薔薇の花びらのように何人もいたほうがいいな、女性はひとり必要だな、ひとりは着流しのじいさんがいいな、というふうに、4人のキャラクターが具体化していきました。

──タイトルから物語が派生していくということは、宮崎さんの中ではよくあることなのですか? 

宮崎 ありますね。でも最初に担当者が持ち込んでくれた小博打の話も無駄にせずに、銀蔵のエピソード部分で使っています(第6話「愛と青春のチンチロリン」)。渡された資料の本の中に「(博打は)結局は気合だ!」というのがあって(笑)、それを書きたくて。

──(笑)お聞きしたところ、宮崎さんもこの作品の絵を担当されている漫画家の金井たつおさんも担当編集者も、みんなギャンブルに縁遠いとか。そんな3人がギャンブルの物語を作っていらっしゃるのは面白いですね。

宮崎 そうなんですよ。でも、担当者には「僕は福本伸行さんの『アカギ』のような麻雀マンガは描けません」と最初に断っておきました。以前、麻雀マンガの編集者だったときも、麻雀にいたるまでのエピソードが主で、麻雀をしているとそこが封じられた力場になり超常能力を発現するとか、むちゃくちゃなSFチックなこともやったんです。麻雀というゲームそのものを真剣に見つめていくより、ゲームに翻弄される人生に興味があって、そちらなら書けます、と。

──長期連載ですが、どのへんまで構想が固まっているのですか?

宮崎 実際に東京に公営カジノができるという話がありますが、「お台場あたりに湾岸カジノランドができる」というアイデアがあります。1stシーズンは登場編で、『ルパン三世』みたいな男3人&女1人を登場させつつ、彼らの裏背景を語り、カジノでひどい目に遭った人間の敵を打つ「必殺シリーズ」のような部分と、「007」のようなミッションクリア型の設定もあって、言ってみればエンタテイメントドラマです。2ndシーズンは激闘編で、人種も年齢も国籍も生い立ちもバラバラな彼らがなぜ「マイダス」というチームを組んだのか、そのきっかけとなる相手と闘う話です。

──日常でギャンブルをなさらないのならいろいろと苦労していると思いますが、ネタはどのように集めるのですか?

宮崎 担当者が集めてくれた本や資料、DVDに目を通したり、かわぐち(かいじ)プロの夏の海外取材旅行に同行させてもらっていて、行った先にカジノがあったら寄ったりだとか。ただ、弱虫なので、あまり大きな博打には手を出さず、5ドルくらいで遊んでいます。だいたいブラックジャックのテーブルを覗いて、優しそうな人たちだと腰かける(笑)。チャイニーズマフィアがいる場合は、見るだけにしておきます。

──実際にその場にいて、またギャンブルについての本を読んだりして、ギャンブルの面白さは感じますか?

宮崎 感じますね。一番感じたのは沢木耕太郎の『深夜特急』。マカオで大小(タイスウ)にハマッていく過程が描かれているんですが、あのヒリヒリ感はすごくわかります。きっとギャンブルってこうなんだろうなと。どんなギャンブルでもヒリヒリ感はあるんでしょうが、普通の人というのは引き返せるんです。引き返せない人がギャンブラーになっていく。僕が彼岸の向こうに行かないのは、もう一歩自分を崩してもいい勇気がないからでしょう。だから描くべきは、その一歩を踏み込んでしまった者の地獄。『マイダスの薔薇』はバラエティショーとしていろんな人間が交錯するのを楽しんでいただければと思います。

──4人のキャラクター設定で苦労した点はありますか?

宮崎 バロンはわりとすんなりできました。まず、自分よりも女が好き。それって僕に似ていて(笑)、それは女好きという意味ではなく、人の才能に惚れる性質なので、女が幸せになるためには彼岸を越えるんだろうな、一歩踏み出すんだろうなと。銀蔵は場末の侠客。嗜みとして博打ができて、一家言も持っている。スカーレットは、ある意味の超能力者なんですね。でもパーフェクトだと面白くないので、その超能力が開花する期間を女性に月のものが訪れる時期だけに限定した。しかも描いているうちに設定が膨らんで、多重人格にしたんです。暗い設定ですが、幼児期に性的虐待を受けていて、人格が分裂する。解離性人格障害ですね。ローザという女性の中に、被害をすべて受け止めるスカーレットという人格ができ、ローザは女であることを忌み嫌ってドイツの特殊部隊の隊員になる。でも月に一度、主客が交代してスカーレットが表に出て、ある才能を発揮する、という設定です。

──あとは北村、ボーイですね。

宮崎 ボーイは主役で狂言回し的存在なんですが、ボーイがなぜボーイなのかという謎はこれから明かされます。ボーイの表向きは、普段はそろばん塾の先生をやっているソバカスメガネの男性で、生徒に慕われていて、世界暗算大会で優勝するのでお金持ちという設定。ただ、主人公というのは本当に難しいんですよ。僕の物語の一番の欠点なんですけど、脇役が立っちゃうんですよね。

──でも、それがうまくいくとストーリーに幅も奥行きも出て、いいと思うのですが。

宮崎 そうなんですけどね。

──素人考えだと、主人公がいて、主人公に絡む他の登場人物がいて、物語ができていくのだろうと思うのですが、どうしてその主軸となる主人公のキャラ設定が一番難しいのでしょうか。

宮崎 主人公には力を与えるでしょう? その力を揺るがす人物を設定すると、そちらのほうが面白くなったり、主人公が力を失ったときに助ける人間に興味がいったりしてしまうんです。そして主人公に思い入れがなくなっていく。主人公というのはどうしても直球なんですよね。変化球じゃないんですよ。変化球の主人公を立ち上げても、それ以上の変化球を持つ敵役を立てないと物語が進まない。主人公以上の人間を倒すから物語なんですよね。主人公以下の人間を倒しても仕方ない。そうすると、主人公より魅力のある人間をより好きになってしまうんです。

──言われてみれば、少女漫画の人気投票でも、主人公より脇役が人気があったりしますね。

宮崎 僕は他の方の作品を見ても、脇役に目がいってしまうんです。たとえば韓国ドラマ『冬のソナタ』も、チェ・ジウ演じるユジンの足を引っ張る意地悪なチェリンのほうに肩入れしてしまう(笑)。ナンバー2にどうしても惹かれるんですよ。

──でもナンバー2は、陰のナンバー1だったりしますし。

宮崎 どんな作品でも、光の当て方を変えれば主人公になるべき存在を配していますからね。典型的なのはちばてつやさんの『あしたのジョー』で、敵役である力石が亡くなったとたんに人気が落ちましたから。

──そうですよね。力石の葬式が実際に営まれたという話を聞いたときには、本当に驚きました。

宮崎 寺山修司が葬式をプロデュースしたんですよ。

──そうなんですか!? もう、伝説のマンガですね。

宮崎 リアルなドラマづくりをすると、読者も主人公の目線になって、同一化していくんです。だからジョーが力石を失ったのは、読者が力石を失ったということになる。その喪失感たるや、ものすごかった。いまはわりと現代でしか通用しないキャラクターというのがあると思うんですが、昔のキャラクターはいつ出てきても通用する普遍性と魅力がある。僕もそんな魅力的なキャラクターを描きたいです。

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