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聖宮崎駿ルパン三世作品論集成 第3回「人と神が持つ著作権(古典的詐術と芸術のアイデア)」

【カトリックアニメ信仰】

friend [frénd]
[中期英語 friend,frend,古期英語 frēond 友,恋人,親族〔もとは frēogan(⇀FREE)の現在分詞;ゴート語 frijōn「愛する」と同語源〕;ドイツ語 Freund と同語源]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

イマーゴ信仰(オマージュ信仰)が受肉した名シーン

クラリスUP
はじめてルパンの名を口にする
悲しみの中にもさわやかな解放感がある
一本送を
つっぱしるフィアット

クラリス  ルパン・・・
      きっと
      きっと
      又、あえるわ

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 カリオストロの城」

imago Dei 〔L.〕
神の似姿〔カトリック教会〕
〈91学術・キリスト教〉

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

hom・mage/Fr. ᴐmaʒ/
〖フランス〗
〓オマージュ《芸術家・作家・作曲家などに捧げる敬意;その敬意を表した作品(の献呈);→ homage》.

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

聖宮崎駿のルパン三世(ホワイトマジシャン)とモンキー・パンチのルパン三世(ブラックマジシャン)

副題 旧約聖書サムエル記「ダビデとゴリアテ」


序文 (1 1-18)
はじめに、ことばがいた。
ことばは、神のもとにいた。
ことばは、神であった。
この方は、はじめに神のもとにいた。
すべてのことは彼を介して生じた。
彼をさしおいては、なに一つ生じなかった。
彼において生じたことは、命であり、
その光は人々の光であった。
その光は闇の中にあって輝いている。
闇はこの光を阻止できなかったのである。

神のもとから遣わされて、一人の人が登場した。
その名はヨハネ。
この人は証しのため、あの光について証しするために来た。
すべての人が彼を介して信じるようになるために。
この人は光ではなく、あの光について証しするために〔の人であった〕。
〔彼の証ししようとした光が〕本物の光であった。
それは、この世の来て、すべての人を照らしている。

〔その光であることばは〕世にあり、世は彼を介してできたが、世は彼を知るにいたらなかった。
自分に属するもののところに来たが、彼に属する人々は彼を受け入れなかった。
だが、彼の名を信じる人々には、神の子供たちとなる権能を与えた。
彼らは血〔統〕からではなく、肉〔なる人〕の意志からでもなく、人の意志からでもなく、神から生れたのである。

ことばは肉〔なる人〕となって、われわれの間に幕屋を張った。
-われわれは彼の栄光を、父から〔遣わされた〕ひとり子としての栄光を観た-
〔彼は〕恵みと真理に満ちて〔いた〕。

ヨハネは彼について証しし、〔次のように〕言って叫んだのであった。
「私が『自分の後から来ようとしている人は私より優れたものとされている。私より先にいたから』
なぜなら彼の充満の中から、われわれは皆、恵みに代わる恵みまでも受けたからである。
律法はモーゼを介して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを介して来たからである。
神はいまだかつて誰も見たことがない。
父の胸中にいる、ひとり子なる神、この方こそが解きあかした。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

Act 1
Thunder and lightning.Enter three Witches
First Witch
When shall we three meet again   
In thunder, lightning, or in rain?
Second Witch
When the hurlyburly's done,
When the battle's lost and won.
Third Witch
That will be ere the set of sun.
First Witch
Where the place?
Second Witch
Upon the heath.
Third Witch
There to meet with Macbeth.
Second Witch
Paddock calls.
Third Witch
Anon.
ALL
Fair is foul, and foul is fair:
Hover through the fog and filthy air.

Exeunt

Macbeth by William Shakespeare

「生命」とは「神の著作権」であり「芸術の著作権」である

劇場用アニメ映画「ルパン三世 カリオストロの城」はモンキー・パンチのキャラで聖宮崎駿がアニメ映画監督デビューを飾った記念作品だった。

私はこのアニメ映画をこよなく愛している。

しかしアニメ映画の「著作権」の在り処は誰にあるのであろうか?

モンキー・パンチにあるのだろうか?

聖宮崎駿監督にあるのだろうか?

それとも「怪盗アルセーヌ・ルパン」を書いた作家「モーリス・ルブラン」にあるのだろうか?

私には「著作権法」の兼ね合いは実際にはよくわからない。
この映画のアニメ制作会社なら「トムス・エンタテインメント」だろう。

これは大きな問題を孕んでいる。
果たして漫画「ルパン三世」を描いた人気漫画家「モンキー・パンチ」は「怪盗アルセーヌ・ルパン」と「モーリス・ルブラン」に対してオマージュ(敬意)を持っていただろうか?

もし人気漫画家「モンキー・パンチ」がオマージュ(敬意)を持っていたなら漫画「ルパン三世」に「神の著作権(アニキャラの生命)」は存在するだろう。

「アニキャラの生命」は「神の著作権」、「設定のアイデア」は「人の著作権」

「設定のアイデア」を思い付いた「人の著作権」とは「古典的詐術」であり、「アニキャラの生命」を創作した「神の著作権」とは「芸術のアイデア」であった。

i・de・a /aɪdíːə, áɪḍiə | aɪdÍə, áɪdiə/
―n.
1 思いつき, 着想, 趣向, 意図, 目的, 計画〓
2 意見, 見解, 信念, 評価 (⇨opinion SYN)〓
3a 考え, 観念, 認識; 知識; 見当, 心当たり〓
b 暗示, ほのめかし〓
4a (漠然とした)感じ, 予感, 直感〓
b 想像, 空想, 幻想〓
5 [所有代名詞を伴って; 通例否定構文で] 理想(像), 好み, ⦅廃⦆ 典型〓
6 考え方, 観念, 思想〓
7a 〖プラトン哲学〗 (変化する経験的・感覚的な個物を越えた, 不変で完全な存在としての)イデア, 観念, 理想, 理念, 原型, 範型.
b (デカルト哲学, 特にイギリス古典経験論で)(心の直接の対象である経験的な)観念.
c 〖カント哲学〗 (純粋理性の)理念.
d 〖ヘーゲル哲学〗 (絶対的実在としての)理性概念, イデー.
8 〖心理〗 表象, 観念, 意識内容.
9 〖音楽〗 (楽想)作曲の際心に浮かんだテーマ (theme) [楽句 (phrase), 音形 (figure) など].
10 ⦅廃⦆ 心象, 絵姿, イメージ〓
idéa of réference
〖精神病理〗 関係念慮 ⦅他人の言動が自分に関係があるように考える観念⦆.
〖⦅1531⦆ ▭ L ~ ▭ Gk idéa form, look, class, ideal form ՟ ideȋn to see ∽ lateME idee ▭ (O)F idée ▭ L〗
〓〓

『新英和大辞典 第6版』 研究社

イデア
idea
もともとは動詞 idein(見る)に対応して〈みめ〉〈姿〉〈形〉を意味するギリシア語。プラトン哲学において〈エイドス eidos〉(この語も同根同義)とともに〈真実在〉を指すのに用いられ,これに関するプラトンの学説がイデア論と呼ばれる。ただし,〈イデア〉や〈エイドス〉がその意味での哲学用語として固定化されたのはアリストテレス以降のことであり,プラトン自身は専門用語として統一的に使用しているわけではない。イデア論の基本は,純粋の思考によってのみとらえうる存在を,日常経験の事象や感覚対象から厳格に区別して立てることにある。プラトンは,ソクラテスが主に倫理的徳目について,それが〈何であるか〉を問い求めたことに示唆を受けて,その問いを満足させるような〈まさに~であるもの〉〈~そのもの〉(=イデア)の存在を想定し,それのみが知の目ざすべき真実在であるとともに,それなくしては確実な知はありえないと考えた。たとえば,われわれが日常経験し感覚する〈美しさ〉は,必ずどこか不完全で一時的なものでしかなく,したがって真の〈美〉(美のイデア)は,そうした個々の事例を超越した恒常不変の完全な存在でなければならない。他方,個々の美しい事物は,この〈美〉のイデアに〈あずかる(分有する)〉ことにより,あるいはイデアを〈原型・模範〉とする〈似像〉となることによって,美しいという性格を持ちうる。こうした意味でイデアはけっして単なる普遍概念や観念ではない。イデア論の構想は,倫理的領域をこえて認識論,存在論,自然学などにわたる統一的な原理とされた。アリストテレスはこのプラトン的イデアを否定して,具体的な事物の内にある〈形相(エイドス)〉に置きかえ,中世ではイデアは神の精神の内容として解された。イデアという語は近世において英語の〈アイディアidea(観念)〉やドイツ語の〈イデー Idee(理念)〉に受けつがれたが,プラトンとは違った近世哲学独自の解釈を与えられた。⇒観念     
藤沢 令夫

(C) 1998-2000 Hitachi Systems & Services, Ltd. All rights reserved.

イデア
idea; Idee; idée
語源的にはギリシア語の「見る,知る」という意味の動詞 eidōの変化形 ideinによる。ギリシア語の日常的用法では「見えているもの,姿,形」の意。ピタゴラス学派では,感性的な図形と区別された図形の本質そのものを意味した。プラトンの対話篇では,ソクラテスの定義運動で確認された,物それ自体としての存在,すなわち,もろもろの感覚的存在を超越し,ただ思惟によってのみ把握されうる自己同一的な存在としての真実在をイデアと呼んだ。これはエイドスとともにプラトン哲学の中心概念の一つである。このように,いわば客観的実在として考えられていたイデアは,中世以後次第に精神内容,意識内容として解されるようになった。現代語のイデー,アイディアは理想,理念,観念などと訳され,プラトン的イデアとはほとんど無縁になっている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

かんねん【観念】
idea
元来は仏教の用語で,真理または仏を観察思念するという意味。今日ではギリシア語の⇨イデアの訳語として,いろいろな意味に用いられる。古代ギリシアでは,イデアは事物の超感性的な原形,中世では神の心のなかにあるイデアを原形として万物が創造されたとする。近世では,デカルトやイギリスの経験論者によって,イデアは人間の心のなかに現れる意識内容,または⇨表象を意味するにいたった。一般に,観念は,⇨知覚や⇨心像ほどに具体的ではないが,⇨概念ほど抽象的ではない。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

アイデア・ソース
idea source
企業が新製品や新事業を開発するときのアイデアの源泉のこと。専門的か一般的か,あるいは内部情報による発想か外部情報からの発想かによって4つに分類される。内発・専門型には開発部門や研究部門があり,内発・一般型には営業部門や製造部門がある。また,外発・専門型には調査・研究機関や大学の研究室,専門誌のテスト・レポートがあり,外発・一般型には消費者のニーズなどがある。最近では特に営業部門や消費者など,マーケット・サイドからの情報の活用が重視されている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

アニメーション
animation
生命のない物体や絵に,あたかも生命が宿っているかのような動きを与える技法。またはその技法で得られた映像。この技法は,エミール・⇨レイノーが 1888年に開発した装置,テアトロ・オプティークによってある程度完成されていたが,この独特な装置によらず,映画の機械装置でそれを実現したのは,1906年に『愉快な百面相』を発表したスチュワート・ブラックトンや,08年『ファンタスマゴリー』を発表したエミール・コールであり,したがって彼らが,今日の一般的なアニメーション映画の創始者とされている。アニメーション映画は⇨コマ撮りの方法によっており,その素材には絵や切り紙,影絵,人形などがよく用いられるが,あらゆる物体が利用可能で,またフィルム面に直接描き込む方法もある。ウォルト・⇨ディズニーは,本格的なトーキー化と色彩化,長編化の成功で,劇場用漫画映画の分野の発展に大きな貢献をしたが,アニメーション映画の利用範囲としては,娯楽のほかに,広告,教育,芸術などの分野がある。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ラテン語の anima(霊魂)から出た animation(生命を吹き込むこと)の語源どおり,少しずつ変化させた絵(動画)を1コマずつ撮影し,映写することによって,それ自体は静止している絵を動いているように見せるトリック撮影およびそのようにして撮影されたトリック映画の総称。分解撮影によって現実の動きを定着する〈映画〉とは逆の工程がアニメーションの原理である。撮影素材は,絵,写真,切紙,また立体素材として人形や粘土細工など無数に考えられる。例えば人形劇をそのまま撮ったり,漫画や画集をモンタージュしたものは,アニメーションとは呼ばない。

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それは「アルセーヌ・ルパンの三代目」という「アイデア」にオマージュ(敬意)があるかどうかで判断される。

要は「唯一性のペルソナ(オリジナル)」へのオマージュ(敬意)が「神の著作権(アニキャラの生命)」を成立させる。

しかしモンキー・パンチの「アイデア」にはオマージュ(敬意)が存在していない。
このモンキー・パンチの「アイデア」は「唯一性のペルソナ(オリジナル)」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)と言えるのです。
このアイデアマンは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でしかなかった。
これは「ブラックマジック(黒ミサの儀式)」であるのです。

こういったアイデアマンは「ヲタク芸術」に於いて多く跋扈している。
例えば「金田一少年の事件簿」も同様に「唯一性のペルソナ(オリジナル)」の三代目と言う「設定のアイデア」であった。
庵野秀明監督の傑作アニメ「ふしぎの海のナディア」も名作アニメへのオマージュ(敬意)として制作され人気を博したと言われている。
またコミックマーケットの同人誌もオマージュ(敬意)で二次創作をすることで好評を博したと言われている。

しかしこれらはモンキー・パンチの「アイデアマン」と同じであった。

これはオマージュ(敬意)を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。
アニメファンの持つオマージュ(イマーゴ)を「倒錯対象」としてコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を制作していた。
それが「唯一性のペルソナ(オリジナル)」への「ブラックマジック(黒ミサの儀式)」となっていた。
こういった「アイデア」は「人の著作権(設定のアイデア)」でした。

「ホワイトマジック(神の恵み)」の「生命」と「ブラックマジック(黒ミサの儀式)」の「死に体」

アーメン、アーメン、あなたがたに言う、信じる人は永遠の命を持っている。私は命のパンである。あなたがたの父祖は荒野でマナを食べた。そして死んだ。これは、天から降って来るパンである、人が食べると死なないように。私は、天から降った、活けるパンである。人がこのパンをたべるなら永遠に生きることとなる。

私が〔将来〕与えることになるパンは、世の命のための私の肉である」。
するとユダヤ人たちはお互いに激しく議論し始めた、「この男はいったいどうやて[自分の]肉をわれわれに食べさせることができるのか」と言って。
そこでイエスは彼らに言った、「アーメン、アーメン、あなた方に言う。人の子の肉を食べ、その血を飲まないなら、あなたがたは自分のうちに命を持っていない。私の肉を食らい、私の血を飲まないなら、あなたがたは自分のうちに命を持っていない。私の肉を食らい、私の血を飲んでいる人は永遠の命を持っており、私は彼を終りの日に蘇らせることになっている。私の肉は真実の食べ物であり、私の血は真実の飲み物だからである。私の肉を食らい、私の血を飲んでいる人は、私のうちに留まり、私も彼のうちに留まっている。生きている父が私を遣わし、私が父のゆえに生きているように、私を食らっている人も私のゆえに生きることとなる。これは天から降ったパンである。父祖たちが食べて死んだようにではなく、このパンを食らっている人は永遠に生きることとなる」。
これらのことをイエスはカファルナウムで教えていた時、会堂で言ったのであった。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

では劇場用アニメ映画「ルパン三世 カリオストロの城」はどうでしょうか?

この作品が「プラックマジック(黒ミサの儀式)」であるならオマージュ(敬意)を持っていないだろう。
しかしこの作品が「ホワイトマジック(神の恵み)」であるならオマージュ(敬意)を持ち「生命」を宿す。

要は聖宮崎駿監督は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」へのオマージュ(敬意)を持っていた。
それによって漫画「ルパン三世」を「パロディ対象」とする「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」が制作された。
聖宮崎駿監督は「ホワイトマジシャン」だった。
それによって「作品」に「生命」を吹き込んだのです。
聖宮崎駿監督のように「生命」を吹き込む創作者とは殉教者(確信性)を示している。

そういう意味で「ルパン三世」とは聖宮崎駿監督により「唯一性のペルソナ(オリジナル)」が形成されたと言えるのです。
「ルパン三世」の作者は「モンキー・パンチ」ではなく「宮崎駿」だった。

一方でモンキー・パンチや他のヲタク芸術の面々は「ブラックマジシャン」だった。

モーリス・ルブランの「怪盗アルセーヌ・ルパン」を「倒錯対象」とする漫画「ルパン三世」は「ブラックマジシャン」の「ブラックマジック(黒ミサの儀式)」としてあった。

しかし劇場用アニメ映画「ルパン三世 カリオストロの城」は「ホワイトマジシャン」の「ホワイトマジック(神の恵み)」により「生命」を吹き込まれることで「永遠の命」を得た。

ここで言えることはモーリス・ルブランに「怪盗アルセーヌ・ルパン」の「神の著作権(アニキャラの生命)」はある。
何故なら「唯一性のペルソナ(オリジナル)」を形成したからである。
それは「生命」が宿ったことを示している。

そしてその「生命」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を制作したのはモンキー・パンチだった。
それが漫画「ルパン三世」だった。
それは「アイデア」と言う「人の著作権(設定のアイデア)」だった。
そこには「生命」は宿らず「死に体」となるだけだった。

ただその「死に体」の漫画「ルパン三世」を「パロディ対象」として「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を制作したのが聖宮崎駿監督だった。

聖宮崎駿監督の「ホワイトマジック(神の恵み)」により漫画「ルパン三世」は生命を吹き込まれた。
それによって劇場用アニメ映画「ルパン三世 カリオストロの城」は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」として成立する。
これは他の聖宮崎駿監督作品にも言えることです。
※「死の翼アルバトロス」「さらば愛しきルパンよ」

ルパン次元の方へ顔をあげ(ほほづえをおろし)

ルパン  こりゃ
     よく出来てるぜ。

プラグをとりあげ眺めつつ、あっさり云う

ルパン  原子バクダンだよ。

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 死の翼アルバトロス」

スッと右よりルパンがINする
軽るくマキの肩に手をおく
マキふりあおぐ
→PAN
ルパンがあったかいカオしてニコッとほほえみうなづく
研究所次々と誘爆する。
ズガーン
ズガーン
ズガーン

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 さらば愛しきルパンよ」

「神の著作権(アニキャラの生命)」とは「生命」を吹き込んだ芸術家が持つものです。
よって「ルパン三世」の「神の著作権(アニキャラの生命)」は聖宮崎駿監督にあると言えるのです。
それが「唯一性のペルソナ(オリジナル)」の存在証明です。
そしてそれらは「神の著作権(アニキャラの生命)」のあり方でした。

しかし「ヲタク芸術」の主張は「生命」の主張ではない。

「アイデア」と「生命」とは全く違っている。

彼らはオマージュ(敬意)と称して「アイデア」を盗む。
しかしそうやって制作された「ヲタク芸術」に「生命」は宿らない。
それはオマージュ(敬意)を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であり「ヲタク人の本性」だった。
「ヲタク人の本性」とは「人の著作権(設定のアイデア)」と言えるものだった。

このように「神の著作権(アニキャラの生命)」はダビデであり、「人の著作権(設定のアイデア)」はゴリアテであると言える。

「アイデア」と称する「人の著作権(設定のアイデア)」はナンセンスです。
「生命」を宿した作品が「神の著作権(アニキャラの生命)」であるのです。

「人の著作権(設定のアイデア)」は「贋金」です。
「神の著作権(アニキャラの生命)」は「本物」です。

ちょっと次元の方へ顔むけて
又、前へ

ルパン  こいつあ
     ニセモノだよ
     よくできてるがな・・・

札束からのぞいてる次元

次元   これが・

左手おろし右手で一束とり出してみる

次元   まさか・・・・

次元は眼力でおとるので自身がない
でも、そんなバカな話があるかと
ルパンの方をみて

次元   国営カジノの

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 カリオストロの城」

聖書とは「永遠の命」の勝利を示している。
そしてアニメーションとは「永遠の命(神の恵み)」を指すのです。

(再編集版)

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