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【聖エリート信仰】「朝日新聞」と「毎日新聞」から読む!「無差別殺傷事件」とは「無差別詐欺事件」の『余波』である。

プロローグ「無差別殺傷事件(偽物聖戦)」を終焉させるためには?

〈カトリックロゴス信仰を弾圧する政治的宣伝コンテンツとの真の聖戦〉

「偽物エリート」とは「人間関係(カルト)の産物」しか見えていない故に「Holy Communion」が理解できない「特権階級(カトリックに対する弾圧)の存在」を言う。
それは「人間関係(カルト)の産物」の「プロテスタント・デマゴギー」のことを示している。
「Holy Communion」が理解できない「doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa」の在り方であり劣等の根拠となる。
しかし社会的なカルト・エリート(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)となりカトリック・エリート(真善美の回復)と対立する。
それは「傲慢の大罪・欲望の美化」の〈カトリックに対する弾圧〉と「殉教」の〈純愛信仰〉の間の決定的な差異となって表出し「最高善の神の黙示〈revelation〉」が必要となる。

rev・e・la・tion [rèvəléiʃən]〓
―n.
1 (隠れていたものを)見せること,暴露,口外,すっぱ抜き;発覚.
2 暴露された事物;(人にとって)驚くべき[予想外の]新事実,思い掛けないこと⦅to ...⦆:〓
3 〖神学〗
(1)啓示,天啓,黙示.
(2)啓示されたこと,お告げ:〓
(3)啓示を述べているもの(聖書など).
4 ⦅時に the Revelations⦆ ヨハネの黙示録(The Revelation of St.John the Divine,the Apocalypse). 略:Rev.
5 ⦅R―⦆ ⦅商標⦆ リヴェレイション:米国のパイプタバコ.
[c1303.中期英語 revelacion<後期ラテン語 revēlātio〔ラテン語 revēlāre「明らかにする(REVEAL)」より〕]
rev・e・la・tion・al
―adj.
『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

1 「教会エリート」と「信仰エリート」の違い!

1

「教会エリートのカルト(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」と「信仰エリートのカトリックロゴス(真善美の回復)」の対立は「すべての場所(カトリック)」は「ナザレ」であるということを示すことになる。
それは「教会エリート(カトリックに対する弾圧)」が「信仰エリート(純愛信仰)」ではないことが明白にされることによって個人信仰をするものすべてが「最高善の神の選民」とされることを示しているのだ。

2

「すべての存在(カトリック)」が「カトリック・エリート」であるなら「一個のカルト(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」であるという「主張(最後の在り方)」が罷り通っているがそれは全くの低能者の考えである。
何故ならその「主張(最後の在り方)」には「Holy Communion」が見えておらず「人間関係(カルト)の産物」しか見えていないことが明白となっているからだ。
その人にとって「Holy Communion」が「人間関係(カルト)の産物」ではないという当たり前の認識が出来ないことが明白に示されることになる。
そういった存在は「人間関係(カルト)の産物」しか見えておらずそれを崇拝するしか能がないのだ。
そういった人は「Holy Communion」の純愛信仰が不可能であり「人間関係(カルト)の産物」である「カルト(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」に堕した低能な存在と見做される。
「Holy Communion」の個人信仰者は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」として「最高善の神の選民」とされるのだ。
それは「叡智」を受肉した「Holy Communion」がイマーゴ(真善美の回復)の存在となる。
それが「最高善の神の選民の証」となるのだ。

※定義
「カルト」とは「doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa」のことを指す。

イマーゴ(真善美の回復)を付け回し敵対感覚〈原罪〉の正当化(スーパーフリー思想〈一方的自由の弾圧〉)を狙う魔物に対する「護符」
最高善を躓かせる仕掛けとしての敵対感覚〈原罪〉の正当化(スーパーフリー思想〈一方的自由の弾圧〉)はサタン(最高悪)の計略でありアンチキリストの純粋無垢で穢のない欲望という屁理屈(前衛詐欺)である。
それは一見クリーンイメージの人間関係(カルトエリート(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa))が形成する天然邪悪の概念である。
それは人間の悪臭を発散しそれを高価な香水で誤魔化している。
聖なる香水とは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」であり聖水と呼ばれる。
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."
ケネディ大統領はアイルランド系であり『カトリック』であった。

2 「無差別殺傷事件(偽物聖戦)」と「無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の共通性

1

虚飾の「人間関係(カルト)の産物」の「王国」で「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」が形成される。
其の一方で賤民(社会的弱者〈個人信仰者又は犠牲者〉)が必然的に生まれる。
これは「人間関係(カルト)の産物」の「アーク(人造の第二の箱船)」であり「バベルの塔(傲慢の大罪・欲望の美化)」なのである。

虚飾の「人造の第二の箱船」の建造 「バベルの塔」の資料

2

誰もが「WIN・WIN」という訳にはいかない。
其の例は様々ある。(※光市母子殺害事件の事件経過など)
そして其の偽物エリートを形成する無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)の歪さはその対極の存在の賤民(社会的弱者〈個人信仰者又は犠牲者〉)が無差別殺傷事件(偽物聖戦)を引き起こす真の原因となっている。
真のエリートとは「最高善の神の王国」の「選民」である。
最高善の神の王国の「選民」は「人間関係(カルト)の産物」の「王国」の「賤民(社会的弱者〈個人信仰者又は犠牲者〉)」である。
其の存在は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を個人信仰する「最高善の神の叡智」を受肉した存在となる。
それは「真に叡智を受肉した優秀な存在」となる。
その時に最高善の神は審判を下されるだろう。
それが「最高善の神のアーク(「Holy Communion」の箱船)」でありイエス・キリストの導きである。

ノアの箱船
キリストと箱船

第一章 「朝日新聞」と「毎日新聞」にみる『カトリックロゴス信仰』と『カトリック・エリート』の在り方

1 「朝日新聞」と「毎日新聞」の違いとはなんだろうか?

二〇二三年四月二十八日(金)
二〇二三年四月二十八日(金)
二〇二三年四月二十八日(金)

朝日新聞のガバナンスをご覧いただければ理解されるように、これは朝日新聞の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」としての綱領である。
この「個人信仰」を考察する場合には「ユダヤ」と「キリスト教」の一神教を参考にすると理解しやすい。

2

ただ故安倍晋三政権はキリスト教の統一教会と関係が深かった。
統一教会の場合には最高善の神への「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」ではなく、「教祖」への個人崇拝とそのプロテスタント・デマゴーグ(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)が如実に現れている。
これは一神教の「至高の抽象化の高み」ではなく多神教の「原始的段階に近い」としてある。
「文鮮明」は一神教の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」ではなく、「教祖の御言葉(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」を最上位として「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を貶め完全弾圧しているのだ。
カリスマ個人崇拝のデマゴーグ(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)の多神教である統一教会は「聖書の最高善の神(真善美の回復)」を個人信仰していない。
カトリックロゴス信仰を全弾圧したカルト(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)の団体なのだ。
聖書とは「最高善の神の御言葉(Holy Communion)」である。
統一教会はキリスト教徒でもなくユダヤでもない。
彼らは多神教を崇拝し「呪術崇拝が形成する象徴(偶像崇拝)」の「原始的段階に近い」にある。
それは特権階級(カトリックに対する弾圧)でありその「カトリックロゴス感覚に対する敵対感覚(原罪)を誇るサタン」を崇拝しているのだ。

二〇二三年四月二十八日(金)

『ニッポン』記念碑の由来
毎日新聞社は、昭和14年(1939)に、国際親善を深めるための世界一周旅行をなしとげた。毎日新聞航空部所属パイロットが純国産機で操縦して、日本人として初めて太平洋、大西洋を横断し、北半球と南半球を結んで飛び、わが国の技術水準の高さを世界に示した。
使用機は、全長15メートル全服25メートル全高3.6メートルの三菱製の双発輸送機で、巡航速度は260キロメートルと、当時の最新鋭機だった。
同機の名前には、130万通にのぼる読者の応募ハガキの中から、『ニッポン』が選ばれた。
『ニッポン』は、8月26日に東京・羽田飛行場を出発、10月20日に帰国した。56日間の全行程は52,860キロメートルで、実飛行時間は194時間だった。
世界一周飛行後まもなく、毎日新聞社は『ニッポン』のスケール・モデルを地球儀にのせた記念碑を作ったが、本社屋の移転などの間に破損してしまった。そこで『ニッポン』世界一周飛行後満50年にあたることし、設立当時のままに復元した。このため年号が「皇紀」となっているほか、社名が「大阪毎日」、「東京日日」となっている。
平成元年夏 毎日新聞社

パレスサイドビルディング内「毎日新聞東京本社受付前」より

毎日神社由来
本神社は昭和十四年(一九三九年)十月二十日毎日新聞社機「ニッポン」号による同社主催 世界一周大飛行の完成記念として創建された 祭神は天照大神 産土神日枝大神ならびに飛行の平安完遂を祈願し全国読者から寄進の御神符が奉安されている
同航空機は中翼単葉の双発機で翼長二五メートル・全長一六メートルの純国産 当時の日本航空科学の粋を集めて制作された 全航程五万三千キロ 北太平洋横断無着陸飛行に成功 空の難関といわれた南米アンデス越えの新記録や大西洋横断の快記録など 世界航空史に不滅の光彩を放っている
祭日 例大祭十月二十日 月例祭二十日

パレスサイドビルディング屋上「毎日神社」より

imago Dei 〔L.〕
神の似姿〔カトリック教会〕
〈91学術・キリスト教〉

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

これは毎日新聞の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」としての憲章である。
朝日新聞の綱領が「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」としてあるなら毎日新聞の憲章は黙示世界市民の理想社会の純愛信仰の側面が強い。
黙示信仰社会の側面が強いのだ。
純愛信仰のための「Holy Communion」の殉教を明記しているのは朝日新聞であり、毎日新聞は黙示世界市民の理想の黙示信仰社会を掲げている。

4

しかしその黙示信仰社会は「社会的なカルト・エリート」と「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」のあり方の最大の難題が絡んでいる。
「ダビデ王の黙示信仰社会(真善美の回復)」であれば「最高善の神との在り方」としての「カトリック・エリート」が「最高善の神の王国の到来」の「選民」となる。
しかしその子である「ソロモン王の社会主義(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」では「人間関係(カルト)の産物」の「王国」の「社会的なカルト・エリート」が「選民」とされる。
そしてその社会主義(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)では「最高善の神の王国の到来」の「選民」を「人間関係(カルト)の産物」の「王国」の「賤民(社会的弱者〈個人信仰者又は犠牲者〉)」とする。
それはアドルフ・ヒットラーの「ネオ・ナチズム」である。
ソロモン王は「ネオ・ナチズム」と言えるだろう。
ここでユダヤの民衆に「メシア再来の待望」が生まれることは必然でありそして「イエス・キリスト(ダビデ王)」が顕れたのだ。

5

朝日新聞の「綱領」と毎日新聞の「憲章」を比較してみたが朝日新聞の「Holy Communion」の殉教の明記も毎日新聞の「黙示世界市民」の黙示信仰社会もどちらも必要だろう。
しかし朝日新聞には「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を「最高善の神の王国の到来」の「選民」とする純愛信仰がある。
しかし毎日新聞は「人間関係(カルト)の産物」の「王国」の「社会的なカルト・エリート」を「選民」としてしまうようにみえる。
これは毎日新聞の「黙示信仰社会」が「ダビデ王」であるか「ソロモン王」であるかによって違ってくることによる。
嘗ての毎日新聞は「ダビデ王」の黙示信仰社会であった。
例を挙げれば毎日新聞によるプロ野球球団毎日オリオンズとパ・リーグ創設は実力の野球を目指す理念の象徴だった。
それは「神技」としての「カトリック・ベースボール」であったのです。
真の実力とは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」であり「最高善の神の王国の到来」の「選民」であると見做せるからです。
そのような神技としてのカトリック・ベースボールを前提として社会的価値(黙示信仰社会)はあり得るのです。
毎日新聞が中心となって創設したパ・リーグはそのような神技としてのカトリック・ベースボールの理念の象徴として存在していた。
そして今はロッテマリーンズとなっている毎日オリオンズは創設当時「神技」としての「カトリック・ベースボール」のイマーゴ(真善美の回復)だったのです。

それは「コミュニズム(Holy Communion)」と言えるかもしれない。
しかし「コミュニズム(Holy Communion)」は「反共産主義(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」によって封殺された。
「赤狩り(カトリックに対する弾圧)」である。
しかし真実を語れば赤狩りとは黙示信仰社会に対する弾圧でありそれはカトリックロゴス感覚に対する弾圧であった。
何故ならばカトリックを弾圧しなければセ・リーグ(良識)の八百長が明らかになるだろうからである。
「知の鵜呑み(レイシズム)」の存在にとって「知の廃棄(バプテスト)」の存在は「詐欺」がバレる要因となります。
そこに特殊詐欺グループの「逆恨み」が発生します。
ただそういったたちの悪い連中の「逆恨み」が最悪であるのは皆さんもよくご存知だろうと思います。

良識は「知の鵜呑み(レイシズム)」として形成され詐欺だと判明にされる。
何故ならば「知の廃棄(バプテスト)」は信仰として形成され良識が詐欺であることを判明にする。
一方は詐欺がバレた逆恨み集団であり、一方は弾圧される信仰者となる。

「知の鵜呑み(レイシズム)」の存在だけなら「情報操作」によっていくらでも愚民をコントロールすることは可能となるだろう。
それは詐欺師の理想だと思います。
しかし「知の廃棄(バプテスト)」の存在はそのような「詐欺」が通じない。
それは「知の廃棄(バプテスト)」にイマーゴ(真善美の回復)があるからです。
受肉した叡智(真理)が最高善の神の導きとなりペルソナを救済するのです。

6

こうりょう【綱領】
program
⇨政党や大衆団体などの基本目標,当面の要求,これらの実現の方法,組織などを規定した文書をいう。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

けん‐しょう【憲章】 ‥シヤウ
①重要なおきて。原則的なおきて。「児童—」
②憲法の典章。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

2 「宮台真司さんの発言」から

1

無差別殺傷事件(偽物聖戦)を憂いてみせる知識人は多い。
宮台真司さんもこの記事を読むとその一人なのだろう。
そして嘗て「教養人の新聞」と言われた朝日新聞も同様であるだろう。
嘗てというのは知識人の失敗が招いた「経済破綻」は誰の所為だろうかという疑問が付き纏うからだ。
一体この国は誰が統治していたのだろうか?

2

〈橋下徹氏のエリート意識と政治思想はデマゴーグ(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)である。〉

私は橋下徹弁護士をよくテレビで拝見する。
彼は今こそ政治主導だと盛んに主張される。
彼の意見はとても明快だ。
明治維新のように維新を起こして「幕末英雄伝」のように英雄的政治家が登場すると主張するのだ。
そして日本は明治政府主導と同じよう日本国政府主導に拠って発展するという次第だ。
確かに英雄的政治家が本当に存在し其の指導力に拠って日本国が世界から絶賛される国家になればすばらしい世界観であるだろう。
しかしその様な大河ドラマはデマゴーグ(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)を英雄的政治家として描いた政治的宣伝コンテンツに過ぎないだろう。

3

〈社会的なカルト・エリート(カトリックに対する弾圧)とカトリック・エリート(純愛信仰)〉

だから私はこれに一言疑問があるのだ。
これは「個人崇拝とデマゴーグの在り方(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」であり「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」ではないと見做せるからだ。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の「叡智(真善美の回復)」を貶めていれば決してそれは受肉しない。
それは「最高善の神の奇跡」を貶め弾圧し「人間関係(カルト)の産物」の「奇跡」を賛美し崇拝しているがその正体は特権階級(カトリックに対する弾圧)である。
「最高善の神の奇跡」を弾圧し貶めて「人間関係(カルト)の産物」の「奇跡」を崇拝するときそれは「バベルの塔」でしかないのだ。
最高善の神の怒りに触れる「傲慢の大罪・欲望の美化」であるのだ。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を弾圧して個人崇拝のデマゴーグ(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)を扇動している。
それは「人間関係(カルト)の産物」の「王国」の「社会的なカルト・エリート」の「選民」である。
これは「カトリック・エリート」ではなく「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」であり「特権階級(カトリックに対する弾圧)」でしかない。
これはフロイトの言う「呪術崇拝が形成する象徴(偶像崇拝)」の在り方を示した言葉である「原始的段階に近い」の在り方でしかないだろう。
それは「個人崇拝とデマゴーグ(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」が「多神教」の在り方であり、「一神教」の最高善の神の純愛信仰(真善美の回復)ではないのだ。
フロイトは「一神教」を「至高の抽象化の高み」と評している。
それは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」が「叡智」を受肉して「最高善の神の奇跡」を起こすからである。
「人間関係(カルト)の産物」の「奇跡」は所詮「バベルの塔」であるのだ。

一神教の「至高の抽象化の高み」と多神教の「原始的段階に近い」在り方

一神教は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」であり、多神教が「呪術崇拝が形成する象徴(偶像崇拝)」であり「カリスマ個人崇拝のデマゴーグ」となる。
それは「最高善の神の御言葉」を貶め弾圧して「愚民政策」を賛美し扇動する。
フジテレビが其の典型である。

3 真に「個人信仰」に生きることは「純愛信仰」であり「純粋信仰」である。

1

そこで私は毎日新聞が朝日新聞と違って教養人の新聞とされなかった理由を少し考えたい。
夏目漱石の小説が連載されたのは朝日新聞だった。
夏目漱石は朝日新聞の社員として小説を書いたのだ。
そして朝日新聞の代名詞だった「天声人語」とは「則天去私」という「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」がみられる。
やはり夏目漱石の小説が朝日新聞の紙面を飾り、それが国民作家となったことが大きかったと思われる。
朝日新聞は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を持つ「カトリック・エリートの存在(真善美の回復)」であると言えるのだろう。
ただそうなると「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」は毎日新聞ではなく朝日新聞ということになる。

2

では毎日新聞とは何だろうか?
これは先程指摘したように黙示信仰社会の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」である。
しかしそこに「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の躓きが個人信仰と社会信仰の違いから生まれるように見える。
黙示信仰社会と「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」がどの様にあり得るだろうか?
黙示信仰社会に於いて「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」は至上のものとされなければならない。
しかし「バビロン捕囚」の様な状況が黙示信仰社会を抑圧し「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の至上性を貶め完全弾圧した場合には黙示信仰社会が変質し社会主義(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)となってしまう。
こうなるとその中で「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上にする純愛信仰を持つということは「カトリック・エリート」としてしかありえない。
それは「純愛信仰」であり「純粋信仰」として真に「個人信仰」に生きるということになる。
それが個人信仰としてあるイエス・キリストの生き様となるのだ。

だから、カエサルのものはカエサルに与えよ、
しかし神のものは神に(与えよ)
個人信仰者の生き様
個人信仰者の生き様
見よ、神の王国はあなたたちの[現実の]只中にあるのだ。

3

見よ、神の王国はあなたたちの[現実の]只中にあるのだ。
そのような真に「純粋信仰」に生きるところが朝日新聞の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」にはある。
朝日新聞と毎日新聞はイメージが似ていると言われていた時期がある。
しかしそれは明らかに間違っていたのだ。
これは毎日新聞が「ユダヤ黙示信仰社会」であり朝日新聞が「キリスト教個人信仰」であったということの方が正しい。
しかし黙示信仰社会とは人が真に「純粋信仰」に生きることとは違う。
何故なら「ユダヤ黙示信仰社会」とは「最高善の神の王国の到来」ではないからだ。
「純粋信仰」のイエス・キリストは真に「個人信仰」に生きることが「最高善の神の王国の到来」であるといった。
そして「個人信仰」こそが「最高善の神の王国の到来」であるのだ。

4

それは毎日新聞がバビロン捕囚された後に「聖痕の徴の受肉(預言者)」が弾圧され「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」が貶められ弾圧され抑圧された後の存在であり真に「個人信仰」に生きることは不可能だった。
「最高善の神の王国の到来」への導きは最早無かったのだ。
そこではユダヤの民は「メシアの再来を待望」した。
それが「毎日新聞潰し(赤狩り)」の後に朝日新聞の存在が光を放った理由だったのである。

バビロンほしゅう【バビロン捕囚】
Babylonian Captivity(Exile)
前 597~538年にわたってイスラエルのユダヤの人々がバビロニア王ネブカドネザルによってバビロニアに捕囚となった事件をさす。捕囚民は『エレミヤ書』 52章 30によれば,前 597,586,581年の前後3回にわたって 4600人と記されているが,これは男子のみをさしているので,全体では約1万 5000人ぐらいであろう。当時ユダヤの人口は約 25万人であったが,捕囚民は支配階級に属する者や技術者であったので,残された民は衰退した。バビロニアでは宗教的自由は許されたが,エルサレム神殿において行なっていた祭儀を失ったので,それにかわって安息日礼拝が中心になり,会堂(→シナゴーグ)における律法の朗読と祈祷を中心とする新しい礼拝様式が始められた。またこの時期にモーセ時代から彼らの時代までの歴史,すなわち『申命記』から『列王紀』が編纂された。したがって預言活動はやんで,かわって律法学者や書記が祭司と並んで重要な位置を占めるようになり,旧約の宗教は「書物の宗教」の性格を強めていった。そして前5世紀後半に⇨ネヘミア,⇨エズラが帰国して新しい法典のもとに民族の再建をはかり,ここにユダヤ教が成立することになった。
『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

これは黙示信仰社会の崩壊から個人による「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(聖痕の徴の受肉)」が生まれた。
そしてそれが「個人信仰」としてのイエス・キリストの教えとなった在り方と同じである。
それは真に「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」に生きるイエス・キリストが登場し「磔刑」で死んだ事件経過を辿るものだった。
その事件経過は結局「黙示信仰社会」を「黙示世界市民」の普遍信仰とする「最高善の神の王国の到来(個人信仰)」の契機となった。
それは「永遠の命(パン)」となる。

「個人信仰」は「永遠の命(パン)」となった。

5

共産革命(Holy Communion)とは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」だった。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」によって「Holy Communion」の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を受肉して「叡智(真善美の回復)」を得ることで革命(真善美の回復)は為される。
それは人を「原始的段階に近い」在り方に貶める「愚民政策」とは大違いなのだ。
実は現在日本社会の「特権階級(カトリックに対する弾圧)」としての「偽物エリート(カトリックに対する弾圧)」は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を持っておらず「叡智のない存在」である。
それは「人間関係(カルト)の産物」の「革命(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の存在であるのだ。
しかしその様な革命(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)ではなく「最高善の神の王国の到来」は個人信仰によって現に存在する。
それは聖書にある通りなのだ。

永遠の命(パン)

第二章 「サブカルチャー」と「何でもあり」の「暴挙」

1 「偽物エリート(カトリックに対する弾圧)の暴挙」と「賤民(個人信仰者又は犠牲者)の暴挙」

無差別殺傷事件(偽物聖戦)にいくらか共通しているのは「サブカルチャー」の影響と「社会的弱者〈個人信仰者又は犠牲者〉」の問題である。
「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」が無差別殺傷事件(偽物聖戦)を起こすことは稀である。
私の記憶では「早稲田スーパーフリー事件の集団強姦傷害事件」などは「社会的強者(カトリックに対する弾圧)のカルト・エリート」が「有名大学の大学生」として犯行を行いました。
しかし自爆攻撃的な無差別殺傷事件(偽物聖戦)は「社会的弱者〈個人信仰者又は犠牲者〉」に依って行われる。
それは「派遣労働者」であったり、「受験勉強の落伍者」であったりする。

宮台真司さんへの批判は「無能者のカルト・エリート」が存在する「特殊詐欺問題(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」である。
有名大学名だけの存在が「屁理屈(前衛詐欺)を捏ねる能力(量子力学・AI)」だけでやって行けては世界を荒廃させるだけだ。
何故なら「社会的なカルト・エリート」が世界を支配し「権力」を握っているのは現実だからだ。

2 〈愚民政策の考え方〉

しかしこの様に指摘する社会的なカルト・エリートがいる。
「民衆が愚民だから仕方がない。」と社会的なカルト・エリートは指摘することができるのだ。

これは社会的なカルト・エリートが無能なのか?
それとも民衆が愚民なのか?

競走馬が駄目なのか?
騎手が下手なのか?

社会的なカルト・エリートに言わせれば「愚民に対し自分たち社会的なカルト・エリートへの個人崇拝(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」を要求する。
そしてそのカリスマ個人崇拝からデマゴーグが出現する。
この解釈で行けば「社会的なカルト・エリートは無能である」がしかし「カリスマとして存在する」ことで民衆を支配し扇動する。
カリスマが愚民をデマゴーグで扇動するがそれは「無能の支配」でしか無く世界は荒廃する。

3 カトリック・エリートの概念

「社会的なカルト・エリートの主張」が「愚民を理由」にして「雌雄の2つに分かれること」になる。
私は「女性」が「男性」より劣っている道理が理解できないので「雌雄という表現」は不適格かも知れないが今回に限って解りやすくするために使用する。
「エリート」の「雌雄」を言えば「カリスマ個人崇拝のデマゴーグ(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」は「呪術崇拝が形成する象徴(偶像崇拝)」でありそれは「多神教」を示していて「雌(劣等)」と見做せる。
そして「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」は「一神教」を示していて「雄(優等)」であるだろう。
これはフロイトが指摘する「多神教」は「原始的段階に近い」が「一神教」は「至高の抽象化の高み」であるということで判断される。
カリスマ個人崇拝は多神教である。
何故なら其の様な存在は一神教の最高善の神(カトリックロゴス)のもとにある筈なのだ。
それはハインリヒ・ハイネ「流刑の神々」にある通りだ。

これは「エリートの雌雄(優劣)」が「社会の在り方の優劣」となる理由である。
結局は「カトリック・エリート」が「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」へ民衆を導くか?
それとも「社会的なカルト・エリート」は「愚民政策」で民衆を「原始的段階」としての「呪術崇拝が形成する象徴(偶像崇拝)」へ留め置くかである。
「至高の抽象化の高み」へ向かわない民衆は「原始的段階」に於いて「カリスマ個人崇拝のデマゴーグ」に拠って扇動される存在となる。
そして世界は荒廃するだろう。

4 芥川賞受賞者に感じる屈辱感が「愚民政策」なのだ!

5 「芥川賞作家という社会的なカルト・エリート(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」と「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」

芥川賞受賞作家も同様である。
文藝春秋は菊池寛が創刊した雑誌らしいし賞を与えることをイベントとして成功させたらしい。
しかし「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を弾圧する特権階級(カトリックに対する弾圧)の作品に芥川賞を与えその劣等感覚を誇る風潮(カルト)を作っただけなのだ。
それは「お笑い芸人」の「芸(カルト)」と同じである。
そこにはカトリックロゴスはなく「人間関係(カルト)の産物」しか見えていない。
「人間関係(カルト)の産物」の「カルト(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」でしかないのだ。
劣等感覚を威張る感覚が「芥川賞受賞」であり「芸(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」なのだ。
まさに「吉本芸人アンジャッシュ」の「又吉直樹」である。
真に「信仰」に生きたと主張する彼らは「純粋信仰」だと見做せるだろうか?
「信仰」とは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を至上とする「個人信仰」である。
「信仰」は「最高善の神との関係」である「Holy Communion」のペルソナ(信仰から形成されるオリジナル)の確立としてあり得る。
しかし彼らは「職業(カルト)」として「作家」になりきり「お笑い芸人」となって「金」を稼いで生きているだけである。
それは「自活し金を稼いで生活するプロフェッショナル」であるがそれは真に「個人信仰」に生きたと言えるだろうか?
ただ「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」が「芥川賞」を受賞しスター扱い(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)され「恵まれた身分」となったことで堂々と「Holy Communion」の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を貶め完全弾圧し「呪術崇拝が形成する象徴(偶像崇拝)」のカリスマデマゴーグ(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)になっているだけではないでしょうか?
それは「原始的段階に近い」でしかない。
そこには「信仰」はない。
彼ら芥川賞作家は「文学信仰」を持っていないことの証明がなされる。
それは文学信仰としての 「知の廃棄」ではなく、文学崇拝としての「知の鵜呑み」と言えるのです。
「知の鵜呑み」はカルトであり「支配」を至上とします。
「知の廃棄」は信仰の場所を確保することで「救済」を至上とします。
ここにはその違いが如実に現れています。

第三章 カトリックロゴス社会学の創設

※「偽物エリート(カトリックに対する弾圧)」とは「人間関係(カルト)の産物」しか見えていない故に「カトリック」の認識が理解できない「特権階級の存在」を言う。
それは「人間関係(カルト)の産物」である「カルト団体(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」のことを示している。
「Holy Communion」のない「人造の第二の方舟」である。

1 宮台真司さんは「最強の偽善者」だ。

宮台真司さんの言われる「幸せな人生はいろいろある。」という決まり文句(定型的なカンバセーション)は特権階級(カトリックに対する弾圧)であり究極的に間違っている。
その理由は「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」と「社会的弱者〈個人信仰者又は犠牲者〉」の関係が「歪」である「現にある世界」に一切触れていないからだ。
「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」は「エリート」とされる。
それは様々な要因で「エリート」とされる。

その代表が「有名大学名」である。
敢えて「有名大学名」と言って「学歴」と言わないのには「理由」がある。
「有名大学名」は「受験知識人」程度の価値であり、本来は「学歴」とは「学位」でもなくそのような「資格取得」ではないのだ。
本来の学歴とはその人が「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を持って「Holy Communion」のイマーゴ(真善美の回復)を受肉し「叡智」としての「学問」を修得したことを示している。
「有名大学名」は「受験知識人」でもよく、「推薦入学」で良ければ「高校の成績」と「出席日数」と「生徒会役員」になれば多分有名大学に受かるだろう。
「有名大学名」はゲットされる。
「有名大学付属高校出身」も同様である。
また有名な政治家であった森喜朗は早稲田大学に「グレーゾーン」で入学したと専らの噂である。
それが「特権階級(カトリックに対する弾圧)」であり「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」の「社会的なカルト・エリート」を示している。

2 芥川賞受賞作家の「性根の悪さ」

芥川賞受賞作品である「石原慎太郎」の「太陽の季節」と「綿矢りさ」の「蹴りたい背中」は両者とも心理描写とセックス描写と人間(若者)の生態描写に過ぎない。
似たような「駄作」が芥川賞を受賞した象徴的(符号偶像)な例である。
これは文学の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」に対する弾圧と潰しであるだろう。
芥川賞の受賞者の作品を「写生文」への評価ではなく「描写態」への賛美にすることで「作品」と「作家」の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を弾圧させて骨抜きにすることで完全に堕落させる。
文学信仰(Holy Communion)を潰す芥川賞であるのです。
芥川賞受賞作品に、そこには「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」はなく「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を確保する場所もない。
その弾圧を賛美する「知の鵜呑み」のカルト文学なのです。
それはカトリックではなくレイシズムを賛美するだけの若者サブカルチャーと称する劣等な消費社会の産物です。
そしてそのような「Holy Communion」の受肉する場所がない作品には「叡智」はありえないのです。
劣等な作品である証拠です。
滓のような作品群です。

「叡智」ある作品を「写生文」という。
そこには「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を入れる場所を確保しているために、そこに「Holy Communion」が受肉する。
そして「叡智」ある作品となるのだ。
しかし「石原慎太郎」と「綿矢りさ」の作品は「写生文」ではなく「描写態」である。
言ってしまえば「食う」「寝る」「遊ぶ」の「描写態」であり「ラーメン」と「お昼寝」と「アダルトビデオ」の「描写態」である。
若者を描写する「グラビア撮影」と同じレベルである。
グラビアスター石原裕次郎!
レイシズム万歳!
カトリックを弾圧せよ!
石原裕次郎と石原慎太郎の二人はその程度の連中だ!
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を弾圧し貶めてスターの「呪術崇拝が形成する象徴(偶像崇拝)」を露骨に形成している。
彼らは「原始的段階に近い」を賛美する劣等者であり「おニャン子クラブの低能さ」と同レベルであるのです。

3 柄谷行人のヒューモア

私が保管していた朝日新聞の切り抜き

柄谷行人の朝日新聞の論評には「夏目漱石」や「正岡子規」と「フロイトのヒューモア」について書かれている。
そして「三島由紀夫のアイロニー」についても書かれている
柄谷行人の「ヒューモアとしての唯物論」はフロイトに関するものでありました。

4 偽善すぎる決まり文句(定型的なカンバセーション)は特権階級(カトリックに対する弾圧)

1

しかし宮台真司さんに私が言いたいのは「社会的弱者(賤民(個人信仰者又は犠牲者))」の子供に「幸せな人生はいろいろある。」という決まり文句(定型的なカンバセーション)を送るという親切心は露骨な偽善であるということです。
「特権階級(カトリックに対する弾圧)」は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を解す優れた存在としてのカトリック・エリート(「Holy Communion」の叡智の受肉者)ではない。
私は「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」は「エリート」であると言いました。
一般的にそう言われています。
しかし「エリート」とは「優れた者」という意味で「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」では本来ありません。
宮台真司さんが親切心で決まり文句(定型的なカンバセーション)を送るならそれを子供に教えるべきです。
「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」は「特権階級(カトリックに対する弾圧)」であってカトリック・エリート(Holy Communion)ではない。
彼らは特権階級(カトリックに対する弾圧)であるのです。
ここで混乱を避けるために敢えて付け加えますが私の言う「カトリック・エリート」は「最高善の神の王国の到来」の「選民」です。
だからあなた達は「社会的弱者(賤民(個人信仰者又は犠牲者))」かもしれないが劣っているわけではないのです。
あなたは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を解せれば「叡智」ある「カトリック・エリート(最高善の神の選民)」となれるのです。
そして「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」というだけの「社会的なカルト・エリート」は「特権階級(カトリックに対する弾圧)」であり「偽物エリート(カトリックに対する弾圧)」なのです。
真の選民とは「カトリック・エリート」であり「叡智を受肉した優れた存在」だからです。

良きサマリア人

2

そのような正確な「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」のメッセージを子供に送るべきなのです。
彼ら「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」はカトリック・エリート(「Holy Communion」の叡智の受肉者)ではない。
彼らは「偽物エリート(カトリックに対する弾圧)」である。
実際は「カトリックロゴス感覚に対する敵対感覚(原罪)を誇るサタン」を「芸(カルト)」とする「お笑い芸人(カルト団体)」と同じです。
そして「特権階級(カトリックに対する弾圧)」であり「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」である。
「ビートたけしの存在」と同じです。
「偽物エリート(カトリックに対する弾圧)」は「社会を操るテクノクラート」であるが「無能集団(カルト集団)」であるのだ。

5 「無差別殺傷事件(偽物聖戦)」と「無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」

では無差別殺傷事件(偽物聖戦)について考察したいと思います。
事件を起こした犯人が自爆攻撃を無差別に行った結果です。
使用する兵器が強力であったらもっと被害は拡大するでしょう。
ガソリンが危険なのは解りました。
、ナイフで襲うのも無差別で危険です。
しかし〈「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」と「社会的弱者〈個人信仰者又は犠牲者〉」の関係』〉に〈「カトリック・エリート」と「社会を支配するテクノクラート」〉の特殊詐欺(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)が存在することがこのような大事件の背景にあると私は感じます。
特殊詐欺(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)に拠って「偽物エリート(カトリックに対する弾圧)」が生まれ、その「詐欺(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」に拠って「賤民(社会的弱者〈個人信仰者又は犠牲者〉)」が生まれる。
無差別殺傷事件(偽物聖戦)は確かに自分の身に起こったことを考えると非常に怖いです。
しかし怖いのは社会的な「無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」がこのような「無差別殺傷事件(偽物聖戦)」を引き起こしていることが示す「世界の歪み(世界の終末)」なのです。

6 「個人信仰無き存在」と「個人信仰を解す存在」

敢えて「極論」から申し上げます。
一体何が「特殊詐欺(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)の核」であるか!
それは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」に関することです。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」は「最高善の神」への個人信仰です。
最高善とは〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉です。
その「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」により「Holy Communion」が受肉したのが「叡智(学問)」です。
「叡智」があってこそ「文化」もあります。
「叡智」があって「学問」があります。
「叡智」があって「カトリック・エリート」とされます。

「純粋理性批判」 
信仰について
「Holy Communion」の「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の個人信仰
「純粋理性批判」
学問と叡智の在り方
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」

7 全てが「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」と「社会的弱者(賤民(個人信仰者又は犠牲者))」の関係の「無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」へ収斂されます。

1

「偽物エリート(カトリックに対する弾圧)」による「特殊詐欺(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」であり「叡智詐欺(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」であり社会的な「無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」であります。

※現在の「叡智詐欺(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の代表選手は「量子力学」の存在だと思います。
又「AI」も同様です。
※「偽物エリート(カトリックに対する弾圧)」とは「人間関係(カルト)の産物」しか見えていない故に「カトリックロゴス」の認識が理解できない「特権階級の存在」を言う。
それは「人間関係(カルト)の産物」である「カルト(崇拝)団体」のことを示している。
「Holy Communion」のない「人造の第二の方舟」である。
※そしてノーベル賞は「Holy Communion」のない「人造の第二の方舟」であるだろう。
※特殊詐欺師(カトリックに対する弾圧)が受賞しているのだ!

2

「社会的強者(カトリックに対する弾圧)」と「社会的弱者〈個人信仰者又は犠牲者〉」の関係の「歪さ」に「無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」が存在するのに「幸せな人生はいろいろある」という決まり文句(定型的なカンバセーション)を子供に発することは特権階級(カトリックに対する弾圧)でありかなり人を侮っていると思います。
「無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」に対して「オレオレ詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」同様に注意喚起することを前提にしてそのような発言は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」のメッセージとなるでしょう。
社会学者の宮台真司さんはそれを完全に怠っている。
それは彼自身がカトリック・エリートではなく社会的なカルト・エリートの存在だからです。
カルト団体の一人なのです。
それは特殊詐欺師(カトリックに対する弾圧)を意味しています。
「サブカルチャー(カルト)」も「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」が欠落した「叡智」無き存在です。
「サブカルチャー(カルト)」に「叡智」があると吹聴し商売をしているのは明らかな「特殊詐欺行為(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」です。

8 特殊詐欺師(カトリックに対する弾圧)の決まり文句(定型的なカンバセーション)は特権階級(カトリックに対する弾圧)の正当性を確保する「呪術崇拝が形成する象徴(偶像崇拝)」の在り方

特殊詐欺社会(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)で「幸せな人生はいろいろある」という決まり文句(定型的なカンバセーション)を子供に発することは詐欺師(カトリックに対する弾圧)の詐術の常套手段にしか見えません。
いま社会問題は全てこの「無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」に収斂されます。
その核となるものは結局「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の問題です。
「Holy Communion」を受肉した「叡智」が「最高善の信仰」としての〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉に依ってしか齎されないという事実です。
これはその「普遍的テーマ(カトリックロゴス)」を狙った巧妙で陰険で卑劣な「無差別詐欺行為(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」なのです。
無差別殺傷事件(偽物聖戦)と無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)の核は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」と「Holy Communion」を受肉した「叡智」であり、〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉の資質と「メシアの存在」の話です。
「メシア」は最高善の神への恭順者であり〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉の人です。
しかし「偽メシア」がいます。
それが「特殊詐欺師(カトリックに対する弾圧)」です。
親切な振りをして「幸せな人生はいろいろある」という詐欺師(カトリックに対する弾圧)の決まり文句(定型的なカンバセーション)を子供に発します。
しかし宮台真司さんも朝日新聞も社会的強者(カトリックに対する弾圧)であり「特権階級のエリート」である「テクノクラート」です。
ただ宮台真司さんには「朝日新聞の綱領」のような「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」がないのです。
そういう意味で朝日新聞には「カトリック・エリート(純愛信仰)」の可能性があり宮台真司さんには「社会的なカルト・エリート」が「特権階級」とされる強烈な特殊詐欺(カトリックに対する弾圧)が存在するのです。

人が宮台真司さんから受ける「胡散臭さ」の印象は人が彼から感じる陰険さからの「直観」より判断されるのだろう。

9 宮台真司さんこそが「オウム真理教」であり「麻原彰晃」なのです。

宮台真司さんには「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」がないからです。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」のない知識人は須らく「特殊詐欺師(カトリックに対する弾圧)」です。
「特殊詐欺師(カトリックに対する弾圧)」はインチキな「知識」しか持っていません。
全てデマゴギーです。
有名大学(東京大学)なんてそんなところです。
※宮台真司さんは東京大学出身である。

10 図書館を利用した独学

私の場合は「柄谷行人」を信じた。

※読んだ本の一部です。レヴューを書いています。
参考にしてください。
図書館を利用して自分で勉強するのがいいです。
私は大学卒業後に近所の市立図書館を利用して自分で本を読みいろいろ研究しました。

エピローグ 「カトリック・エリート」は「個人信仰」である。

1

宮台真司さん!
あなたに「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」はありますか?
「Holy Communion」の受肉した「叡智」はありますか?
貴方にないのはわかっています。
貴方は只の「特殊詐欺師(カトリックに対する弾圧)」でしかありません。
そもそも「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」は資質がない人間には無理なのです。
資質がない人間が「カトリック・エリート」の学者をしている。
しかしそれは「カトリック・エリート(純愛信仰)」ではなく「特権階級のテクノクラート(カトリックに対する弾圧)」です。
「特権階級のテクノクラート(カトリックに対する弾圧)」が「特権階級のテクノクラート(カトリックに対する弾圧)」として存在しているならまだ解りやすいです。
「無能」と言えるからです。
しかし「特権階級のテクノクラート(カトリックに対する弾圧)」が「カトリック・エリート(純愛信仰)」として存在しているのが特殊詐欺行為(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)です。
「無能」の馬鹿が威張るのです。

2

それは宮台真司さんが「社会学者」として名を馳せていることに「象徴」されます。
あなたが「カトリック・エリート」ではなく「社会的なカルト・エリート」であることが「無差別詐欺事件(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の「歪み」の存在証明なのです。
そしてその「歪み」は「無差別殺傷事件(偽物聖戦)」を引き起こす「余波」となっているのです。
宮台真司の存在は「量子力学」と同じで「人間関係(カルト)の産物」の「錬金術」であり「Holy Communion」の学問ではなく「Holy Communion」の学者でもない。
あなたは「特殊詐欺師(カトリックに対する弾圧)」なのです。
これは「愚民政策」に拠って可能となります。
「全て愚民の所為」にすればいいだけです。
「エリートに傷を付けるな!」という屁理屈(前衛詐欺)です。
「無能なエリート」がどうして「カトリック・エリート」なのだろうか?
当たり前のように「愚民政策」は世界を完全に荒廃させます。
「社会的なカルト・エリート」は特権階級(カトリックに対する弾圧)の存在であり世界を破壊します。
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」が理解され「カトリック・エリート(「Holy Communion」の叡智の受肉者)」が「テクノクラート」とされる時に「真の善政」が行われるでしょう。

3

私は京都アニメーションでは「氷菓」が好きです。
アイスクリーム(I scream.)が好きなのです。
ふざけるな!」と叫びたい!
そこがあってあのアニメは良かったのにあのような京都アニメーションに対する皮肉な「無差別殺傷事件(偽物聖戦)」が起こってしまったことに衝撃を受けました。
アニメを観る気を無くしました。
悲しすぎるからです。

氷菓(icecream)
I scream.

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