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【聖前川國男信仰】前川國男一門の図書館設計は学問信仰の聖闘士である


千葉県立中央図書館の設計者は『大高正人』であり前川國男の弟子である


2023年6月24日(土曜日)(二回目再訪)

大高正人設計の千葉県立中央図書館は老朽化がかなり進んでいる。
大高正人とは千葉に縁があり東京大学大学院修了後に前川國男建築事務所に入所した人物である。
その辺りの事情によって千葉県立中央図書館の図書館設計を担当したのだろう。

1949年東京大学大学院修了後に前川國男建築事務所に入所。1960年に東京で開催された世界デザイン会議を契機に川添登菊竹清訓粟津潔黒川紀章槇文彦らと戦後の日本で最初の建築思想であり運動であったメタボリズム・グループを結成した。1962年大高建築設計事務所設立。

ウィキペディア

私は2020年11月19日(木)に前川國男設計の国立国会図書館を訪れた。
当時はコロナウィルスによる入場制限で数時間待たされて入場しました。
その代わり周囲を散策する時間を与えられたのです。
入口前には「梨木坂」があった。
それが印象的でありました。

2020年11月19日(木曜日)の国立国会図書館

国立国会図書館の本館の階高は非常に高い。
これはカトリックのカテドラルを想起させる一重階であるだろう。
まるでその様はバチカン宮殿の内部構造であった。
建築物の階高を高くして一重階風の建築設計を行う意図はカトリック聖堂の理念と一致するのです。
この建築物はすべてが一重階ではないが最も重要な核となる閲覧ルームが高天井ルー厶に設計されていて私は驚愕した。
このような図書館設計が前川國男によるものと知った時に真の日本の建築家とは誰だったのかを知ることになったのです。
丹下健三?(笑い)
そういうことだったのです。
ここはまた再訪したい建築物である。

千葉県立中央図書館(数年後に図書館機能は移転されるらしい)

内部写真は見学(撮影)の許可を得ている

国立国会図書館は前川國男の図書館設計であり、その弟子筋の大高正人が千葉県立中央図書館を図書館設計を担当していた。

率直な感想を言わせて貰うと千葉県立中央図書館の老朽化はかなり進んでいるように見えました。
そして数年後に千葉県立中央図書館の図書館機能は別建物に移転となるらしい。
現在新千葉県立図書館の策定案が発表されている。
「青葉の森」として有名な公園内に建築が予定されている。
私は「青葉の森」に幾らかの思い出があります。
果たして前川國男一門の図書館設計の理念は新県立図書館に引き継がれるのだろうか?

図書館設計はその国の文化レベルが如実に表れると断言できる。
しかしチャーリー・チャップリンはその国の文化レベルが拘置所(刑務所)に表れると日本に来日した際に発言したとされている。
そのようなウソかホントかわからないようなマスメディアの情報が存在する。
チャップリンは東京拘置所を絶賛したとされているのです。
私はそれをNHK番組か民放のテレビ朝日で視聴しただろうと思う。
このような珍妙な情報による政治的宣伝活動を頻繁に行っているのが日本国の現実なのです。

私が考えるに実際にその国の文化レベルを測る目安は図書館設計にあると断言できるだろう。
図書館が良くない国家にまともな文化が育つ理由はないだろうことは容易に認識できるからです。
いい本がなくて誰がまともな文化人となれるのでしょうか?
カール・マルクスが亡命後に英国の図書館で研究した事実は特に有名である。

このチャップリンの発言は完全にアベコベであり「黒ミサのアイロニー(堕天使ルシフェル召喚)」と言えるだろう。
それは「文化は統治」であり「統治は文化」であるからです。
そしてそういったあり方は「最大のギルティ」と言えます。
これは「ヲタ芸」です。

しかしこの千葉県立中央図書館は前川國男の流れを汲む図書館設計であり日本の文化レベルの砦であり象徴であったとも言える。
それは「文化は文化」であり「統治は統治」であるからです。
よって前川國男一門の図書館設計の文化レベルは非常に高いと言える。
そこを見ていくと前川國男一門の図書館設計は「白ミサのヒューモア(善き羊飼い)」と言える。
前川國男一門が設計した図書館聖堂は「白ミサのヒューモア(善き羊飼い)」の「サンクチュアリ」であると言える。
それは「最高のイノセント」と言えます。
それは日本屈指の図書館設計でありサンクチュアリの成立です。
それは「芸術性」です。

千葉県立中央図書館に隣接する『胤重寺』は阿弥陀如来を祀っている

しかしこれはモニュメンタルな出来事でしょう。
阿弥陀如来崇拝とは「知の廃棄」の容易さを弾圧し「知の鵜呑み」の容易さによりカルト教団を形成します。
はっきり言えば『胤重寺』はどうしようもないカルト教団と思える。
その象徴が阿弥陀如来崇拝であり意図的に千葉県立中央図書館に隣接していました。

この県立千葉中央図書館の隣は阿弥陀如来崇拝の『胤重寺』である。
それは一向宗徒を意味していて「知の鵜呑み」の容易さによる崇拝関係を象徴している。
しかし図書館とは「知の廃棄」の容易さであり理性信仰の象徴として学問の砦となっている。
前川國男一門の図書館設計はすべてその学問信仰の理念を内包している。

「阿弥陀如来崇拝」に対して「カトリック信仰」を対置することで「詐欺」の「結界」を解きカトリックの場で「聖戦」を挑むのは前川國男一門流だろう。

しかしこれは私も同様であり「カトリック信仰」の聖戦手法であるのです。
私は前川國男一門の建築設計とは「カトリック信仰」であるだろうと見做しています。

前川國男一門の図書館設計はカトリックの場を領域展開したサンクチュアリの「聖戦」であったのです。

最後に・・・あまり善いことがなかった千葉県で

(私は名古屋育ちである。)

千葉県船橋市立高根中学校 

図書委員会(1987年3月卒業アルバム)

白衣の先生の右上の男子学生が私である。
私はこの先生のことが結構気に入っていたので敢えて近くに寄り写真を撮りました。
記念写真です。


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