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わたしのはなし


私が生まれて初めて知ったものは「愛」だと思う。
親に愛情を注がれ、本能のままに親からもらったものを短い手足と愛嬌のある笑顔で返してきたんだろう。

物心ついた頃には、自分が愛によって生まれたのだと聞かされていた。
父と母が愛し合って私が生まれたように、この世の人類も神という親からの愛情を持って生まれたのだと。
愛によって生まれた私は、同じように愛を育み、子を成して愛に溢れた国を作るのが私の人生の定めであると教えられた。
当然のように、私はそうすべきだと思っていたし、親と同じ道を行くのだろうと決めていた。

ただ、世の中にはそう簡単にはいかないことがたくさんあった。
私の知る大人が言うに、愛情には「間違い」があるらしい。その「間違い」を人類の始まりであるアダムとエバがしてしまったその時から、私達人間は間違った存在である。今生きている人類は皆、罪を持って生まれてきてしまっているのだと。その罪に気付かないまま歴史を歩み続ける人の子を親である神はたった独りで見ていることしかできない。
しかし、その間違いを訂正し、親である神の声を聞き、本来あるべき人間の姿に戻せる救世主が現れた。その救世主が私の父と母を結びつけ、そこで「正しい」愛情を注がれた私は間違った世界に生まれた「正しい」存在なのだと、言われてきた。
父と母が頑張って手に入れた「正しさ」を守るために私が定められた生き方はこうだった。

“恋愛はしてはならない。神様が選んだ1人の男性と結婚しなさい。”

小さい私は間違いも正しさも愛情も神も何もわからなかったが、親のために生きるにはこれだけは守らなければならないのだと思っていた。
これが私が初めに与えた親への「愛情」だった。

恋愛をしてはならない、という言葉が最初はわからなかった。
だが、何となく異性に対する好意的な印象を抱くことがそうなのではないか、と漠然と理解するようになった。

その時からだった。
私の目の前には、ふかふかの土があった。私はいつもそこを守っていた。
悪い虫が入ってこないように、土に異物が混じらないように。
私はスコップを片手に常に見張り続けていた。
周りの子達も自分の土があったように見えたが、私のように見張っている子はいなかったと思う。

「え〜みやちゃんゆうきくんとおなじはんなの?ずるい!」
保育園に入った時、私は他の子たちよりも2年くらい遅く入園した。だから、女の子に人気なゆうきくんの存在なんて知らなかったし、その子と同じ班になったところで何が羨ましいのかよくわからなかった。
けど、ゆうきくんと一緒に過ごして何となくわかった。彼は優しくて、かっこいいなって。

(だめだよ。)
私は種が蒔かれたであろう土にスコップを突き刺した。
スコップを突き刺して、土を掘り返して土を均した。この土には何も起きなかった、そう誰かに言い訳するように。


あの時から成長して小学3年生になった。
小1の頃に引っ越しをして、新しい生活にちゃんと馴染めた頃だったと思う。
親に言われた通りに、先生に言われた通りに、優等生をしていた。与えられた係はきちんとこなすし、先生の指示があるまで動かないし、誰かが困っていたら積極的に助けの手を差し出していた。
でも、自分の中で異性に対しては一線を引くようにしていた。
女の子にはちゃんづけをしたり、傷つけないように優しくしていた。だけど男の子とは関わっちゃいけないから、乱暴な言葉や態度で攻撃をしていた。
そうしなければ私の土に何かが入ってくる気がして、過剰なまでに威嚇をしていた。時にはやりすぎて、先生に注意されたこともあった。
その度に先生に怒られたことをとても反省した。

「八倉ってさ、髪の毛下ろすとかわいいんだな」
朝の算数ドリルをどっちが早く計算できるか競い合ったり、早く給食を食べ終わった方が勝ちだと言って先生が給食に手をつける前に一緒に食べ終わっていた男子がそう言ってきた。
テキトーに伸ばしている髪の毛をいつもは低い位置で結っていた。ただその時はプールの後で髪の毛を解いて乾かさなければいけなかった。

(喜ぶな。)
種が蒔かれた、と思った。すぐさまスコップを振り下ろした。
自分の頭で男子の言葉が反芻されるたびにスコップを突き刺した。種が芽吹くのを必死に止めていた。
それは間違ったことだから。


「美耶ってさ、梅川のこと好き?」
小6になってできた友達に聞かれた。梅川はクラスのムードメーカー的立ち位置で、運動ができて話も面白くて、周りにはいつもたくさんの人がいた。
その中に私もよくいたのだ。何せ梅川の方から私のことをよくからかいに来ていたのだから。最初は席が近かったからってだけだったのかもしれない。ただいじった時に真面目に返答する私のことを面白いと思ったのだろう。
気づけば梅川はよく私をいじるようになったし、私もなんだかんだ梅川と会話することが多かった。いつもはいじってくる奴でも四六時中イジるネタがある訳ではなく、普通に雑談することもあった。そこで彼の人となりを知ることができた。
その時に抱いた感情はなかったことにした。

「まさか!好きな訳ないじゃん〜!応援するよ!」
私は友達を応援したい気持ちでいっぱいだった。友達が梅川のどこが好きなのかを聞いていたし、今日は少しだけ話せたと笑っていたり、影から見てかっこいいよねって同意を求められたりした。
私はその子に対して「よかったね」とか「協力するよ」とか言っていたと思う。
その子の思いと反して、梅川は私とよく会話することが多かった。そして目ざとくそれを見ていた他の男子は私にこういうのだ。
「え、八倉って梅川と話す時、顔赤くなってね?」
そんな訳ねぇだろ!とすぐさま返した。でもその顔はどうやら緩んでいたらしく「顔が笑ってるぞ」と言われた。そんなはずはないとどれだけ言い返しても聞いてくれはしなかった。
それから私はしばらく梅川の周りにいた男子にヒューヒュー!と持て囃され、その度に梅川と会話しづらくなったし、友達も気付けば私の隣からいなくなっていた。

(私のせいだ。)
片手に持ったスコップで何度も何度も突き刺した。その中には小さな芽であったであろう残骸もあったが、消えろと願った。
私はずっと見張っていたはずなのに、どうして芽が出てきてしまったんだ。私の何が悪かった?私は「間違って」はいけないのだ。
私の視界の端に綺麗に咲いている花が映った。それを見たと同時に
(私は正しい子供なんだ。)
強く拳を握って何度も、何度も何度も突き刺した。もう二度とこの地に芽吹かぬようにと。


気付けば学校では孤立していた気がする。
周りとは違うと何度も言い聞かせてきた。私と同じ人生を歩む人は学校にはいないのだと自分でも分かってきていた。
「好きな人なんていないよ。私は将来お見合い結婚するんだから。」
聞かれてもいないのにそう言うようになっていた。学校に行けば、誰かと誰かが付き合っているという噂が流れてくるし、必ず同い年の異性が物理的に近くに居た。
そんな中でも自分は正しさを貫こうと思っていた。その正しさが一体誰のためだったのか、もう覚えていなかった。
私の地に芽が生えたら引き抜く。恋と聞けば拒絶する。異性の目に留まらないように身なりに気をつかうことをあえてやめた。
そんな私に周りの友達は「まだそんな服着てるの?だっさ」と笑った。成長と共に女の子は可愛くなろうと着飾るのだとその時気づいた。
でも、気付くのが遅すぎたし、気付くのが遅くなったのは自分のせいだとなんとなくも分かっていた。

(別にいいじゃないか。)
この頃になったらスコップで掘り返すのに飽き足らず、足で踏みつけていた。土の中には成長した葉っぱも見えたがすでに根と根絶され、土に塗れて汚くなっていた。
横目に見た友達の花は綺麗に咲いて、鮮やかな実もできていた。
羨ましいなんて感情は掻き消した。私の地には、何も起きていない。起きてはいけないのだから。


(何であの人のこといつも視線で追っちゃうんだろう。)
私は布団の中でふとそう思った。そう考えると、次に会えるのはいつなのか、今までした会話を思い返したり、私のことどう思ってるんだろうと思考が止まらなくなった。

(だめだ。)
気付いた。これだ、これが「間違い」だ。
ずっと見ていたはずなのに、私の目の前には茎を伸ばして、葉っぱで栄養を得て今にも咲こうとしている蕾がある事に気付いた。
忌々しい、と思った。
スコップを固く握りしめて、突き刺した。根っこが引きちぎれるように、全ての根がこの地から消えるように何度も何度も掘り返しては手で土を掻き出して穴を掘り続けた。
穴を掘る事に疲れたら生えてきた植物を両手で手折った。握りしめて存在を限りなく小さくした。爪が手に食い込んで痛かったが、そんなことはどうでもよかった。
蕾の部分は引きちぎって遠くに投げた。もう二度と私の視界に入らないように。
その遠くでは芽に大事にそうに水をあげている同い年の女の子の姿が見えた。
何も見なかった振りをして、またスコップを握った。

何度か土砂振りな雨が降って土が元に戻った。


(これでいい、これがいいんだ。)
ほとんどのことに割り切れるようになった頃、異性と関わることすらやめていた。
異性と関われば、私に面倒な感情が湧く。それなら最初から関わらなければいいのだと思った。
だが高校生になった時には異性どころか同性ともソリが合わなくなっていた。
どうやって他人とコミュニケーションをとっていいのかわからなくなって、クラスで孤立するようになった。今まで当たり前のようにとっていた他人とのコミュニケーションが何一つうまくいかなかった。
上手に他人と話そうとすると全部空回りした。必死さが裏目に出て惨めになった。周りが当たり前に友達ができる空間に居続けることが苦痛で仕方がなかった。

「美耶ってメガネ外すと可愛いじゃん」
そんな私にも一筋の光があった。部活の先輩だった。
サッカー部という今までやってみたかったスポーツの部活に入れたことは私の中での大きな転換点だったと思う。
捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものだ。部活の先輩だけは私を可愛がってくれた。部活内では積極的に雑用をこなし、サッカーが上手くなるように努力していれば、評価してもらえたからだ。
そんな先輩から言ってもらえた一言。
今まで私に対しての「可愛い」は全てお世辞だと思っていた。当たり前だ、私が可愛くなろうなんて努力をしていないのにそんなものを褒められたところで嘘だとすぐに分かった。
でも、先輩の言ってくれた「可愛い」は心の底から嬉しかった。
他の先輩も私の顔を見て「本当だ、磨けば光る宝石じゃない?」と言ってくれた。
何故この言葉がここまで私の心を震わせてくれたのかはわからなかった。
だが、この言葉のお陰で私は可愛くなる努力をしてもいいのだ、と気付けた。可愛くなること、オシャレをすることは全て「間違い」に繋がるからだめなのだと頭ごなしに否定していた。でも、この時初めて、純粋に自分のために可愛くなりたいと思った。

しばらくは私の地に何も起きなかった。
他者との関わりが減ったお陰だろう。少しずつスコップから手を離す日が増えた。
たとえ芽吹く種があろうとも足で踏み潰せばいい。
周りにはさまざまな色の花が咲いていたり、立派な実が風に揺れているのを見ても、心を乱されることはなかった。


土を見守る役割から少しずつ離れ始めた頃、大きな嵐が訪れた。
暴風と大雨が長い間続いた。
私はただただ過ぎ去るのを耐え続けた。

長い嵐が終わった後の私はもう立ち上がることすらままならず、ペンすら持てない体になっていた。

(もう、しにたいな。)
目の前の頑張って更地にし続けた土を見てふと思った。
この地に鮮やかな花が咲くとも、実がなるとも思えなかった。


少しずつ回復するよう頑張った。人生のどん底に落ちても、地面に伏せっていても、指先から力を入れて、次は拳を握りしめて、手首を曲げて、肘を立てた。せめて前が向けるように座ろうと思った。

時間をかけて何とか座ることはできた。
立ちあがろうと何度も挑戦はしたが、前のように上手く立てなかった。


立ち上がることに夢中で、目の前に大輪の花が咲いていることに気付くのが遅れた。
私自身も驚いた。まさかこんなタイミングで自分の地に花が咲くとは思っていなかった。
スコップを手に取ろうとしたが、その手が止まった。
(あれ、何で私この花を潰そうと思ってたんだっけ。)
今まで他の人の花を見てきた。他の人の花は大事にしようとできた。でも自分の花は絶対に咲かせてはならない、実ってはならないと思っていた。
それが「間違い」だと思っていたから。

間違いとは何だったのだろうか。私は今まで正しい道を歩んできたはずだった。真面目に「正しさ」を守ってきたと思う。
正しい自分は今、どうして地を這いつくばって泣き腫らした目で死にたいと願っているのだろう。
ここまできてようやく私は疑うことができた。
私の信じた「正しい」は本当に正しかったのか?と。
その時、気付いたのは私の信じた「正しさ」は大して正しくはなかったのだということだった。


(じゃあこの花も咲いていていいんだ。)
そう思った、その瞬間。
私はその花が咲いている地面をスコップで突き刺していた。
何故自分がそうするのか、わからなかった。だが、この花はいてはだめだと脳が言うので体はその信号に従ってスコップを何度も突き刺し続ける。
手を高く振り上げ、一心不乱に突き刺した。

これは、存在してはいけないもの。
消さなければ、今すぐ。
(消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ)

こんな感情は不必要だ。
(いらないいらないいらないいらないいらないいらないいらない)

私は正しい子。
(殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すころすころすころすころすころす)

私は間違ってない。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

お願い、ゆるして。


「おね……が、い……や、めて……。」
地面から声が聞こえてきた。息も絶え絶えになりながら、私は無惨な姿になっているであろう花を見た。

そこには何度も突き刺された跡のある人間が横たわっていた。
内臓は飛び散り、本来あるべき臓器の場所はぽっかりと穴が空いている。胃の中は引っ掻き出されたのかヒモ状のものが外に飛び出していた。
手足は骨が剥き出しており、可動域とは真反対に折れ曲がっていた。
顔は何度も傷つけられたのであろう、顔の半分の肉はグジュグジュになっておりその原型を留めてはいない。何とか形を保っている口、見覚えのある足の長さと太さ、腕のほくろの位置、本来収まっていたたはずであろう眼球と目元の皮膚を見て、気付く。
目の前の花は私自身であると。
冷静になって、自分の右手を見てみると本来握っていたはずのスコップはドス黒い赤に染まって錆び付いているナイフだった。
私が今さっきまで突き刺していたのは首で、切れ味がすっかり悪くなったナイフを何度も何度も突き刺していたらしく、その傷口は虫が啄み終わった果実のようだった。
ほぼ死体になっている私は何とか言葉を紡ごうとしている。
「も、う……きづ、いて…いる、は……ずだ、よ。」
もう気付いているはず、そう言われた。
目の前に広がった血、持っているナイフ、視界の外に放り出された過去の自分の死体。
私が何度も突き刺して、捨ててきたのは花ではなく、自分自身。
そう気付くと、視界が歪んで温かい何かが頬を伝う。
「ごめん、ごめん……。大丈夫…?」
「あは、はは。だい、じょうぶだよ……。わた、しは、ただのはな、だから……。」
「ただの花なんかじゃない!貴方はちゃんとした人間で、生きていた!」
「そう、だよ……はなだ、って……いきて、いるんだよ。」
そうだ、花だって生きていた。私の心だって生きていた。
それを間違いだと殺してきたのは紛れもなく私自身だった。
「おね、がい……きいて…くれる……?」
私は黙って頷いた。
「この、はなはね……まだ、いきてる……だから、また……。」
そう言って彼女はボロボロの手で小さな種を差し出してきた。
「また……きっと、わた、しは……おなじことを、する……けど、だい、じょうぶ……。」
剥き出しになった心臓は少しずつ動きがゆっくりになっていく。
「いつ、か……かわ、いい、はなが……さき、ますよう……に。」
目から光が失われた。
この私はもう二度と動かなくなった。



私はスコップを手に、地面に突き刺して土を掘り返す。
ずっと放置していたせいで土がすっかり固くなってしまっていた。それでも掘り続ける。
人一人分の大きさの穴ができた。
できた穴の中にそっと死体を寝かせる。形もできるだけきれいに整えた。
その上に土をかけていく。どんどん姿が見えなくなっていく。地に埋まっていく。
全ての土を元に戻し終わったあと、土を均して綺麗にする。
そこに最後にもらった種を植えて、手を合わせる。

「これからも私は貴方を傷つけることもたくさんあると思う。」

「生まれた頃からの教育は根付いていてきっとこれからの私も苦しめる。」

「それでも私は可愛い花が咲いたら、今度は」


「大切に育てるよ。」



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