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何も知らないという自覚が、しなやかさを生んでくれる

今日は、映画を観てきました。

最後に流れてきた主題歌「Nobody knows/STAMP」が、とても心地よくて、すぐにiTunesでダウンロードしました。

Nobody knows where all the years go
Our stories unfold


《この先どうなるか、誰も知らないことさ》

この世界のこと。
きっと、誰も何も知らないんじゃないかなー、と思います。
「いや、知ってるよー」とか、「何も知らないことはない」みたいな声もあるかもしれません。
僕も、「少しは知っているのかな」なんて思うけれど、「本当のことなんて知らない」という自分の声が聞こえてきます。

誰も何も知らないこの世界。
そんな世界で生きていく、生きているということ。
そこに、

虚勢を張ったって疲れるんだけど、
虚勢を張らないと生きていかれない。
何も知らないことの自覚と、
ほんの少しだけの虚勢を張って、
それはそれはゆるーい虚勢を張って、
生きていく。

そんなことを思いました。

何も知らない。
だからといって、ひとりでは生きられません。
だからこそ、ひとりでは生きられないのかもしれません。
何も知らないまま、誰かと生きていく。
手探りで、誰かと生きていく。
何も知らない、手探り、そんなことを自覚したなら、
きっと虚勢がないと立ちすくんでしまいます。
ただ、大きく虚勢を張ったって疲れます。笑
「虚勢を張る」というと、「強がる」という意味ですが、
「少しだけ自分の考えや想いに自信を持つ」、といった方がいいかもしれません。

キレイめな言葉を使うと、「しなやかに生きる」ということだと思います。
「しなやかに生きる」というのは、「何も知らないことの自覚」をきっかけとすることができるのかもしれません。

先に「虚勢」という言葉を使いましたが、
何も知らないことを自覚したうえで、それはそれはゆるーい虚勢を張るんです。
そうすれば、間違ったときに素直に「ごめんなさい」と言えて、軌道修正できる気がします。
ゆるーい虚勢だから相手へも自分へも衝撃は穏やかです。

何も知らないまま、手探りのまま、間違いながら、誰かと生きていく。
それでも大丈夫。

Maybe we'll meet up again in the next life

《来世できっとまた会えるよ》



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