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何度でも許されていいから
間違えない人生なんてないからこそ、何度間違えてもその間違いを自分で認め、自分を許し、相手を許し、他者にも許されてきた自分がいることに気付く。
そうやって人は生かされ、そのたびに強くなっていく。
この歌で私はその強さをはっきりと言えたんだと思います。
YUKIの「トロイメライ」という歌が大好きなのですが、そのインタビューでの言葉たちです。
間違えない人生なんてない。
そう思います。
過去を振り返り、「間違えはなかった」と言える人はいるでしょうか。
いるのかもしれません。
僕もそう言っていた時期がありました。
僕の場合、それは「ただ過去を見ていなかった」ということに過ぎません。
許す、許される。
これは溶けあっている、連鎖しているのかもしれません。
自分の間違えが許されなかったら、誰かの間違いを許せなくなる。
間違えを誰かが許してくれたら、自分も許すことができる。
間違えないことは、良いことかもしれません。
でも、「間違えないために生きる」のではないと思います。
生きてたいより生きたい
YUKI推します。笑
「生きてたいより生きたい」のです。
生きたい。
そう思えるのって、「こんなことを体現したいんだ」とか、「これから生きていく世界は美しいんだ」という「希望」を持っているときかもしれません。
希望を持って、「生きたい」「飛び込んでみたい」「感じたい」「見つめたい」と思うけれど、その先が「答え」だったりするわけではありません。
期待通りのことばかりでもないし、悲しい事故や事件も起きる。
間違えたら恥ずかしいかもしれない。
痛い想いをするかもしれない。
悲しい世界からは目を背けたくなる。
でも、きっと、希望はあります。
「間違えないために生きる」のではありません。
「間違うために生きる」のでもないけれど、「間違えながら生きたら、自分も誰かのことも許し合える」という希望があります。
許し合えたら、また前を向けます。
間違えないように生きること。
それは誰かのことを、自分のことを許せなくなる自分へと向かっています。
間違えていい。
僕も間違えるから。
許されていい。
僕も許されるから。
そんな希望を持って生きたいと思います。
何度でも 笑うのよ
何度でも 許されていいから
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