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違和感を覚えること

なんか違う。

そう違和感を覚えること、皆さんはありますか?

全く同じ価値観を持った他者は、この世にはいないように思うので、
「違う」という感覚は、本当は全ての他者へ生まれる感覚なのかもしれませんね。

でも、全てを気にしていたら身動きが取れなくなってしまうので、気にせずとも生きていけるのが人間なのかもしれません。
また、「違うこと」、「違和感を覚えること」をポジティブに捉えようとすることもできますね。
違うからこそ高め合える、とか
お互いに満たし合おう、みたいな。
まあ、ポジティブなものはそのようにしておけばいいと思います。

ただ、「違和感」って、ネガティブな感じで生まれることもあるじゃないですか。
なんかこの人とは合わない気がする。
この人にはついていけないかも。
みたいなね。
そういうことって、本当に些細なところで感じるのだと思います。
ちょっとしたことばのつかい方とか、
仕草、
ある瞬間に見えた表情、声、態度、
どこに線を引き、どこに線を引かないのか、など。

気にせずとも通り過ぎていけなくはない、
けれど自分の中に確実に生まれた、「違う」という感覚。
その感覚を意識した時点で、きっとそれは全て「大きな違和感」と言ってもいいのかもしれません。
だって、気にせずとも通り過ぎられるものに対して、「違う」という感覚が自分の中から意識へ至るまで込みあがってきたのだから。

何気ないことばのつかい方の中からも、「違和感」は生まれます。
他の人は気にせず通り過ぎていく中、自分はそこに立ち止まる。
違和感と共に立ち止まる。
そんなことがあったら、そこに自分のこだわりがあるのかもしれませんね。

「違和感」を覚えたとき。
そこへどう接するか、接しないかは自由です。
でも、僕は、自分の中に生まれた「違和感」というのは、あまり見過ごしたくないなー、と最近は思っています。
違和感を抱えたまま、見過ごして、自分のエネルギーをかけ続けていいのか。
そう自分に問い直してみる。

うーん。
なんか、ここまで書いてみて、何かもっと別なものを「違和感」ということばへすり替えてしまっているだけなのかもしれないなー、なんて思いました。

わからなくなりました。ww
違和感って、なんですかね?

まあ、自分の中に生まれた違和感を丁寧に見つめてみるのも面白いかもしれないです、ということです。
(無理やりまとめ出すww)

中途半端だし、なんか「違和感」とか「違う」とかいうことばがたくさん出てきて冷たい感じの記事になっているかもと思ったので、
最後に超絶あったかいことばを。

色んな人間の利害や喜びや悲しみを
自分のたった一つの物差しで測るようなケチなことしやがって

デイヴィッド・コパフィールド/ディケンズ

あたたかい夜をお過ごしください。

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