見出し画像

名前などついていない②

ことば、というものについて何回かに分けて書いてみたいと思います。

①の記事です。


言葉なんかおぼえるんじゃなかった

田村隆一の詩には、「言葉のおおきさ」、というものを感じます。
壮大さ、というか、
果てしなさ、
底のない深さ、
偉大さ、みたいなものです。


僕たちは、ことばと共に生きています。

たった一言のことばで、
傷つくこともあります。
たった一言のことばで、
誰かを笑顔にできることもあります。

ことばにはパワーがあります。
パワーを持っているものと共に生きていくということは、
そこへ注意を払っていなければいけない、ということです。
たった一言が、誰かに多大な影響を与えること。
そういうパワーを持ったものを、僕たちは日々つかっているのです。


でも、そのパワーの大きさを前に、
ことばを手放す、という選択をしてはいけないのだと思います。

たしかに、ことばのパワーは大きなもので、
誰かを傷つけてしまうかもしれない。
もしかしたら、誰も傷つけないことばなんてないのかもしれない。

では、そんなパワーなら、
誰かを傷つけてしまう可能性があるようなものならば、
ことばを手放してしまえばいいのか。

極端な言い方かもしれませんが、
ことば手放してしまう、というのは、
世界との関わり合いを絶つ、ということだと思います。

ことばは、おおきなもの。
僕たちは、ことばと共に生きている。
でも、僕たちはことばに支配されるのでも、支配するでもない。
ことばをつかって、世界を知っていく。
目の前の人のことを知っていく。
自分を知っていく。
そんな素晴らしいことができるものだと思います。

世界は広い。
目の前の人は果てしない。
自分は奥深い。

知っていく過程でいろんなものに出会うのだと思います。
目を背けたくなるようなものにも出会うかもしれません。
それでも、僕がことばを手放したくないと思うのは、

この世界には、希望がある
自分には、希望がある
あなたには、希望がある

と信じているからかもしれません。


言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?