24/01/27 ヴィレヴァンの世界観商法

扁桃炎前に0歳のお食い初めで食べた鯛を再利用して作った鯛めし。扁桃炎中に、つい長期間保温設定で置いてしまったため、炊飯器に魚臭さがこびりついてしまった…。熱湯お手入れでも取れず、ハイター漬け、重曹熱湯、クエン酸熱湯、全部試したけど、取れない…。明日は何を試そうか…(そもそも、他に試す手はあるのか…)。

「つい再現性のある手法」を知りたがるのは、霞ヶ関の人間もよくあることなのですが、なんだかお二人の話を聞いていると、この辺はアート思考的というか、考えるな感じろ、的な、無の高みを目指すような、そんな気がしてきてしまいます。

 ゲームのファンの場合、ゲームで得られるインタラクティブ性による高揚感が映画では失われる。ゲーム未体験の観客は、ゲームプレーヤーの観客をある程度想定して制作された映画から充実感を感じることができない。

 現在、映画製作会社とゲーム制作会社は新しい解決策を見出そうとしている。後の改編を容易にするために、映画製作関係者、さらに一部の俳優が、ゲームの制作プロセスに直接関与することは、その一例だ。

(記事より)

なるほどね〜、と。1パラが本質的な課題だから、無理なんじゃない?と長らく思ってたんですが、逆に非インタラクティブで成立する要素を入れておくってことか、と。

KLab、おいしいねぇ。スクフェスにはたくさんお金溶かしたよ、頑張って欲しい。

TBS×松竹、アニメで。テイクノート。

面白い。

世界感の押し付けがましさへの忌避、これは本当に感じますね…。30年前の学校では、みんなが世界観を共有していることに価値があった、したがって逆に別の世界観を持つことは排斥の対象だった(なので、ワン◯ースみたいな当時の覇権マンガは好きになれない…)。
今は、各人に世界観があって、探り探りお互いの世界観を崩さないように近づきながら、共通領域を見出して交流する、みたいな雰囲気がある気がしますが、どうなのかな…?(これももはや旧来感覚なのかな、、、)

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