「富士山は人生のように、、」
両親と旅行へ。
富士山と河口湖へと伺いました。
富士山は人生のようだった。
富士山の中に入っている時は
その雄大で壮大なスケールを持っている
ことを忘れてしまう程、
その時々にして瞬時に変化してしまう山の天候状態に意識を奪われながら、今、目の前に現れる自然界、植物たちや野鳥や動物たちに感動をしたり、時に、自然界の脅威に怖気づいてしまったり、さまざまな感情と共に、その”時″に入りこんでいる。
富士山を離れた場所から見ればみるほど
その美しさであったり、
壮大な姿を感じることができる。
まるで、人生のように、、、
人生も、その時、その時の渦中にいると
時に感情に巻き込まれて、じぶんの人生の
大きな視点を失い、一喜一憂してしまったり
その時の出来事にじぶんを奪われてしまう。
その渦中から、身を置いて
全体を捉えようとしてみたり
大きな視点で人生を捉えてみた時に
なんて、意味のないことはないのだろうと。
渦中に起きるそれすら、
人生に彩りと美しさと、、
感謝の念が湧き上がるような
そんな、素晴らしい出来事にさえ思えてくるものです。
一瞬にして、
雲に覆われたり
一瞬にして、
顔をだしてくださったり
富士山を通して、
わたし自身の
こころの持ちようであったり、
どう在りたいのか?
どう存在していたいのか?
そんな、じぶん自身の意図を、、
意識を、、どう向けるのか。
そっと、
教えてくれた8月8日。
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