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学部時代に進学か就職か悩み,卒業研究での出会いが今に繋がった

何で大学院に進学しようと思ったんですか?
博士課程に行く理由は?

まだ休職か退職か,現段階では決まっていませんが,一時的に仕事から離れ,一般的な『社会人』を辞めて,『学生』になることにしました

最近,会社の方だけでなく,後輩やプライベートで付き合いのある方々から聞かれることが多くなったので,少しずつ記事にしていこうと思います

今回は,だいぶ遡って学部3年生のときの話から。
大学院(修士課程/前期課程)進学を悩んでいる人たちに向けて。
って思ったけど,ただの自分語りです。
博士課程進学はこのときに出会った教授のおかげです。

1. 就職か進学か

滑り止めで入学した中堅私大の土建系学科。建設業の設計や施工管理に就職する学生が多く,中堅私大にしてはスーパーゼネコンやその他大手企業からの学校推薦枠が多かったと思います。
正直,「建設」を学びたくて入学をした訳ではなく,「環境」を学びたかったので,施工管理や構造物設計には何にも興味を示すことができませんでした。(環境に関わる授業は楽しく受けていましたし,それ以外含め成績は上位でした)
デザイン系の授業はしんどすぎて,「どうやってそれっぽく見せるか」を考えていました。

建設業に就きたいのではなく,製造業,中でも機械系を対象としているマニアックな業界を志望していたのもあって,在学していた学科からの就職自体,ハードルが高かったです。
「興味は無いけど,やってみたら面白いかもしれない」と考え,学部3年生の夏は色々なインターンシップに参加しましたが………どれも私にはしっくりきませんでした。
そのまま冬を迎え,普通の人より早い学部3年生の12月には内定?内々定?をいいただきました。選考を受けた理由は,サークル活動も資格もスキルも何にも私には無かったので,早めにに動いておいて損はないなと考えたからです。他大学の先輩の紹介で受けた大手ハウスメーカー。私の学科では普通の就職先。

なんか違う気がする。

私の学科は3年生から研究室所属で,3年生の間は研究室によって違いますが,私のところは基礎知識講座やプログラミング,ディスカッションなどを週に1回行っています。教えるのはM1で,サポートをするのがM0やM2,D。当時,私は必修も単位も要件を満たしていたので,3年生の後期はゼミだけの実質週休6日生活。バイトか就活かという生活をしていて,人生の夏休み。
※Dは大学院博士後期課程(博士課程)
※M1/M2は大学院博士前期課程(修士課程)
※M0は大学院進学を決めた学部4年生

研究室の同期が進学か就職か決めていくなか,一人悩みました。資格もスキルも何にもない。このまま就職していいのか,でも,まだ研究をしていないのに大学院で研究を続けられるのか。幸い,成績評価GPAの結果から面接だけの推薦入試は決まっていたので,就活をしながら考えることができました。

悩んで,本当にやりたいことをするにはどうしたらいいのか,調べ,結論を出しました。

大学院に行こう。

志望している仕事は大手企業でしかやっていない。中堅私大の何にも持たない自分では学歴フィルターで落とされてしまう。それなら,大学院に進学して,もう一度就活するときに選考に挑んだほうが可能性が高い。

母親にお願いして,大学院進学が決まりました。

入”院”生活の始まり。

2. 研究テーマ選び

研究室は3年生のときに所属したまま持ち上がり。希に1年間過ごして,研究室の雰囲気が合わず,他の研究室に行く人もいました。
教授や院生によって,研究室の雰囲気は全然違うので,研究室選びは慎重にすることをおすすめします。授業では良い先生でも,研究室で関わったら最悪だったパターンもあるので,院生の話は聞いておくべし。

私が所属した研究室では,既に研究テーマの候補が決まっていて,そこから選ぶ方式でした。私が選んだのは,興味のあった業界のある企業が参加しているというテーマ。研究内容よりも,そこで選びました。土建系から就職することが難しい業界なので,情報を集めようと考えていました。

3. 共同研究での出会い

事前説明にはありませんでした。私が具体的に取り組むテーマは企業とではなく,関西のある大学との共同研究でした。企業との研究は,当時の大学院生の方との取り組みでした。でも,この選択のおかげで,今の私があります。

教授と仲が良いという関西の大学の教授。当時,まだ30代。こちらの研究室で一度挨拶し,「研究モデルを考えてみて。連絡はメールで。」
そう言って,挨拶もそこそこにお別れをしました。その後,何度か,メールで分からないこと,考えていることを伝えたり,教授が関東に来たときに直接話したりして研究を進めました。

「こっちの研究室でやってみない?」

1週間ほど,関西の大学で過ごすことが決まりました。

4. 他大学での研究

初めての他大学の研究室訪問。この研究室は機械系で,時期は7月。院試勉強真っ盛りです。

緊張しながら研究室をノック。今でも覚えています。

自分が所属している研究室とは違う雰囲気。関西弁の会話。本の種類。

教授が来て,研究開始。
密接に関わってバレました。私の基礎学力の無さが。

「おまえは馬鹿か」
「高校生からやり直せ」
「証明できないなら公式は使うな」

鋼のメンタルなのでアカハラとは思いませんでしたし,2言目には的確な助言がありました。1週間の滞在でしたが,この時期にこの分野では当たり前に使う公式をいくつも証明させられました。この訓練のおかげで,今でも公式の意味は忘れていませんし,ちょっと公式の記憶が曖昧になっても自分の手で考えられるようになりました。当たり前のことなのかもしれませんが,私の周りには公式を覚えて使っていて,証明してから使う人はほとんどいなかったと思います。

この研究室の学生に混じって,この大学の院試も解かされました。何にも分からなかったです。もちろん,専攻が違うというのもあったと思います。でも,私には何も身についていなかったのです。自分が推薦入試だったのもあり,『勉強』を放棄してから約1年経っていました。

解けない,考え方が分からない,なのに,この研究室の同期はスラスラ解いて,解説までしている。悔しい。

これだけ賢かったら一流企業に行く。自分はこういった人たちと戦って就活しなきゃいけないんだ。

悔しさいっぱいの1週間。研究生活では忘れられない1週間。今でも忘れられません。

余談

当時の私は,新幹線にも特急にも乗ったことがなく,出身地には新幹線が通ってなかったので『新幹線用の改札』という存在を知りませんでした…。研究室の同期と新幹線の話がかみ合わず,そこで新幹線の乗り方を教わりました。(当時22歳)

5. 卒業研究提出

卒業研究では実験と理論値を比較する予定でした…。
自分のミスでモデル設計が遅れ,実験模型の到着が遅くなり,同期と実験施設の重なりました。結果として,同期の実験を先に行い,終わったあと,私の実験を行うというスケジュールに変更。

実験って上手くいかないんです。さらに初めての実験。結果として,同期の実験が全て終わったのは卒業研究提出後でした。おそらく,私が先に実験していたとしても,私も遅くなり,彼の実験ができなくなっていたと思います。

私はモデル設計と理論値の計算で卒業研究を終えました。

1年間,何にもできなかったなぁ。

実験はM1の初めに持ち越し。

6. 学部3~4年生を振り返って

自分より優秀な大学の研究室という『外の世界』を知って,卒業研究も上手くいかなくて,悔しさで満ちあふれた1年間だったなぁと思います。

M1もなんだかんだ上手くいかなくて,悩むことになるのですが,それは次の記事に書こうと思います。

これから研究室を決める学生へ

研究テーマや興味関心も大事。それ以上に研究室との相性を大切にしてほしいなって思います。研究室の教授と授業の教授は別人かってなることもあります。自分が過ごしやすい研究室を選んで,研究に没頭できるよう頑張ってください。

就職か進学か悩んでいる学生へ

院生が「研究が好きか嫌いか」とか「研究が続けられるか続けられないか」とか,こういったことを話して,決めるよう促されている人もいると思います。それは間違いではなくて,確かに好きじゃないとしんどいです。何回,深夜2時に「なんで自分は今ここにいるんだ?」って実験棟で考えたことか。

私は研究者になりたい希望もなく,勉強も得意ではないです。けど,大学院に進学して,2年間働き,また3年間研究することを選びました。

「なんとなく進学しようかな」

私はそれでいいと思います。ちゃんと研究をしていれば。私は,当時,「研究が好き」ではなく,『肩書き』がほしくて進学しました。やることやっていれば全然いいんです。院卒の『肩書き』が大事になることもありますし,進学しといて損はないと思います。

就職したとしも,もう一度,研究したり,勉強したくなったら,私みたいに戻ってくることもできます。最終的には,『お金』と『自分の意志』の問題になると思いますが,後悔しない選択ができるよう祈っています。

次回

次の記事で修士2年間のことを書こうかな
仕事に関わることはまだ暫く書かないでおこうと思っています

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