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矛盾シリーズ①:他責思考→自責思考

おはようございます、こんにちは、こんばんは、多田です。

最近、個人的に目標としているのが「自分の中に対立を生じさせ、その対立を意識的に自覚し、許容する」ということです。
どんなものでも……、と言葉の風呂敷を広げると主張の正当性がぼやけてしまうと思うので、自分が意識している対立を「矛盾シリーズ」としてここに整理していこうと思います。

記念すべき1個目は「他責思考と自責思考」です。
結論から言うと「自責思考は他責思考の地層の上にあるべき」だと考えます。

まず物事において責任が「自分」にあるのと「他人」にあるのは何割くらいでしょうか、統計的に導き出されるものでは無いので感覚として考えてみてください。

僕の考えでは両方とも1%もありません。
責任とはあるものではなく取るものです。強いて責任の所在を明らかにするのであればそれは「仕組み」や「世界」にあると考えます。

つまり「自責」を思考している時点で、物事の原因を履き違えていると思うんですよ。
それでも「自責」を取り入れる意味としては、果汁を搾り取るようにして自分の糧になるものを濾し出した「成長の甘い汁」を吸うためにあるものだと思います。
つまり「自責思考です(キリッ)」と言いながら「自己拡大大好き人間です」と言っているようなもんなんです。良い悪いかはさておき、本質的にはかっこ悪いなと個人的に思っています。

大事なのは正しく物事を認識して、対処改善することです。「自責思考」ばかりいつまでも考えてると、自分の成長の最大化には繋がっても全体の発展の最大化には繋がりません。若手の最初ならまだしも一生そのマインドでいるのは正直粋じゃないと思います。

じゃあどうすればいいのか、それは結論に戻ります。
「他責思考を前提として全体の発展改善のための一番出汁をとった後、残りの二番出しで自己成長のための二番出汁をとる」べきだと考えます。

他責思考でまず考えて全体的な改善案を捻りだす。しかしそれでは何も変わらない、時間がかかるということであれば、これが自責であったと仮定するならばどうするべきかというスタンスで僕は考えています。
これだと本当に真摯な自責思考になるのかは正直不安ですが、メタ認知で自分を客観視するケーススタディだと認識すると建設的な目標設定ができると思います。

また、こう考えていると本当に「自責」だったときに気づきやすいんですよね。
あれ、仕組み的に何も悪いことや改善することなくね?
つまり、これ自分の実力不足や怠惰が原因だ。
と認めざるを得ないわけです。
逃げ場のない「自責」は結構つらいですけど、自分で一番出汁を飲めると思えばまぁ「美味しい」でしょう。

結局、「他責」は人のせいにすることではありません。ほとんどの大元の原因を正確に突き詰めることです。誰か個人に責任があると表明するのは自責でも他責でもなく責任転嫁です。
もちろん、対外的に出す結論はその時々に変えないといけないと思います。ここは建設的な改善案ではなく、丁寧な謝罪が必要だと判断したときは「自責」を前面に出す必要もあるでしょう。けれどもそれは本質ではなく仮面を被っていることを認識しなければいけないと思います。

いかがでしたか、矛盾シリーズ第一弾。
好評でもなんでも続けていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
ではでは!


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