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ねこのくーちゃん

ある日、家に帰ると、庭に一匹のねこがいた。
亜麻色と白色のはちわれで、足先の白い毛は、まるで靴下を履いているみたいだ。左の耳がわずかに欠けているから、恐らく雌の地域猫なのだろう。
彼女は青い瞳でじっと僕を見つめた。それから疑わしそうな表情を浮かべた。
僕は嬉しくなって、冷蔵庫からにぼしを取り出して、彼女を刺激しないよう、すこし離れたところにそっと置いてみた。彼女は近寄ってくんくんと匂いを確かめてから、にぼしをくわえて室外機の裏の死角に逃げこんだ。少し経ってから、魚をかじる微かな音だけが聞こえてきた。ぴんと張った細い糸のような緊張感が、僕の心をくすぐる。
にぼしばかりを与えるわけにはいかないから、僕はキャットフードを買いに出かけた。買い物から帰って庭を見ると、ねこはもうそこにいなかった。あたりはとても静かで、庭木の枝先が風に吹かれて微かに揺れている。まるではじめからねこなどいなかったみたいだ。
封の切られていないキャットフードと、そわそわした僕の気持ちだけが残っていた。

「きょう、庭にねこが来てね」
帰ってきた妻にそう話すと、彼女の顔がぱあっと明るんだ。
「また来てくれるかな」
と彼女は嬉しそうに言った。
「どうだろうね」
と僕は言った。

次の日、仕事から帰って庭を見ると、鉢植えのオリーブの木の根元に、彼女はいた。狭い鉢の上にうまくバランスをとって寝転んでいる。
僕はキャットフードを皿に移し、そっと庭に置いた。彼女は鷹揚とやって来て、よく匂いをかいだ後に、顔をあげた。
ー 変なことするんじゃないよ
まるでそう告げるかのような瞳で僕をしばらく見つめてから、彼女はうつむいて、キャットフードを食べはじめた。餌を嚙るかりかりと小気味のよい音が、幸運を知らせる小さな鐘の音のように、僕の耳に響いた。
まだ暑さの残る、よく晴れた九月の日のことだ。

それからだいたい毎日、彼女はうちの庭にやってきた。餌を与える時間が遅くなると、小さな声で「くぅ」と鳴き、控えめに不満を表明した。その声が可愛くて、妻がくーちゃんと名前をつけた。ねこのくーちゃん。ありふれているけれど、その名前は彼女にとてもよく似合っているように思えた。着慣れたお気に入りの洋服みたいに。

一緒に過ごして分かったのは、彼女がとても賢い猫だということだ。干した洗濯物や庭の草木には決して手を出さないし、餌が自分の皿に移されるまで、皿の前に座ってじっと待っている。こまめに毛繕いして、いつも毛並みを美しく保っている。行儀がよくて清潔な彼女は、我々にとって理想の隣人(隣猫)だった。
ただし、なにもかも我々の理想通りとはいかなかった。彼女はとても警戒心が強く、皿に入った餌を食べるのはいつも、我々が少し離れた後だった。また、特に人間の手が怖いようで、手が自分に近づくと一目散に室外機の死角に逃げ込んだ。それが彼女の先天的な性質によるものなのか、後天的な体験からくるトラウマによるものなのかは、僕には分からない。ただ想像するだけだ。そしてもし後者であるのならば、彼女の不幸な記憶が少しでも和らぐように願うだけだ。

秋が深まり夜も冷えてきたので、僕と妻は彼女の寝床を用意することにした。発泡スチロールに穴をあけ、中に毛布をしきつめた、簡易的なハウスをつくった。はじめは警戒して近寄らなかったが、ある朝餌をあげようと庭に出て「くーちゃん」と名前を呼ぶと、彼女は億劫そうにハウスの入り口から出てきて、ひとつ大きなのびをした。なんだか別の時間が流れているみたいだった。もしかしたらこの世界の時間の流れのひとつは、彼女のからだの奥の方にある、銀色の小さな懐中時計が刻んでいるのかもしれない。そして僕たちはなにかの拍子に、その時間の流れに取り込まれることがあるのかもしれない。
いずれにせよそのようにして、彼女はどうやらそこを自分の場所と決めたみたいだった。

それからしばらくは穏やかな日が続いた。彼女はだいたい夕方にはうちの庭にやってきて、夜はそこで眠った。朝食を食べて少しすると、いつの間にか庭からいなくなっていた。
ときどき僕は、窓越しにそっとハウスを眺めてみる。あたりはしんとして、彼女が中にいるのかどうかは分からない。ハウスの中で静かに丸くなっているのかもしれないし、縄張りのパトロールに行っているのかもしれない。あるいはその両方の重ね合わせなのかもしれない。シュレディンガーの猫みたいに。
そして僕はしばらくの間、彼女の目で眺める世界を想像してみる。ことばがなくて、しずかで、にぎやかな世界のことを。

ある夜ふけ、庭から聞こえる低いうなり声で、僕と妻は目を覚ました。窓越しに庭を見ると、黒い影がハウスの入り口でさっと動いた。我々が窓を開けると、その黒い影は素早く庭から走り去っていった。どうやら別の猫が庭にやってきたようだった。
微かなうなり声がハウスの中からまだ聞こえてくる。腹の底から湧き上がってくるような、自分自身を賭したような声。それは我々が彼女に与えた名前とは、似ても似つかない声だった。
彼女はちゃんと知っているのだ。逃げることの大切さを、そして、戦うことの大切さを。

慎重であること、臆病であること、自由であること、勇敢であること。彼女はたくさんの大切なことを教えてくれる。でも、それにも増して彼女が教えてくれた大切なことは、いのちというもののぬくみと、それらが織りなしてできる世界の素晴らしさだ。そして僕は、僕と妻と彼女の間にひとときの橋が架かった偶然をとても嬉しく思っている。いつか彼女がその橋を渡って、僕と妻のもとに遊びに来てくれる日がくるといいなと思う。あるいは僕と妻が、彼女のもとに遊びに行ける日がくるといいなと思う。銀色の小さな懐中時計が、時を刻む音を感じながら。