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桜を植える

 父がカメラから巨樹に興味の対象を切り替えたのは、僕が小学校に上がったころであったろうか。「巨樹を見る」というおよそ凡人には理解しかねる父の趣味に、我々家族は否応なく付き合わされた。休日になると早朝に家を出て、隣県の巨樹めぐりに連れ出される。僕はそんな生活が嫌でたまらなかった。遊び盛りの小学生が、なんだって休みの日に早起きして樹なんか見なければいけないのだろう。巨樹の根元で嬉しそうに微笑む父の隣で、僕の心はいつも憂鬱だった。

 その日の目的地は岐阜県の根尾谷で、そこには日本三大桜に数えられる淡墨桜があった。よく晴れた春の根尾谷には、名木とその花を一目見ようとたくさんの人が集まっていた。だが、人混みがもたらす緊張感と、桜が舞い人々が談笑する幸福な空間を僕一人が乱しているような罪悪感で、いつも以上に僕の顔は暗かった。
 一通り鑑賞を終えると、父が満足気に、ジュースでも飲もうかと言った。これだから大人は困る。ジュース一本で僕の穏やかな休日が戻ってくるわけではないのだ。僕が陰鬱とした面持ちで自販機のジュースを選んでいると、視界の片隅に淡墨桜の苗木が売っているのが見えた。幼い僕の腕よりももっと細い貧弱な枝が、黒いビニールポットに一本ずつ挿してある。どういう心境の変化か分からないが、気づけば僕は父にこう告げていた。

「ジュースいらんから、これ買ってよ」

 帰りの車で美味そうにコーラを飲む弟の横で、その小さな苗木を膝に抱える僕の心は、不思議と穏やかだった。

 こうして、その貧弱な桜の木はうちの庭の一画に植えられた。僕はことあるごとに、その木の所有権は自分にあることを周知した。その甲斐あってその木は「◯◯くんの桜」という僕の名前でもって呼ばれるようになった。僕は得意になって水やりをしたり、細い枝を眺めたりしていたが、ほどなく面倒になって止めてしまった。そしてそれは(他の植物の世話同様に)母の仕事となった。

 桜の木は順調に成長した。最初の数年は上へ上へと枝を伸ばした。春になると黄緑色の葉桜が茂り、涼し気な影を落とした。毛虫がついて大変だといって、母は霧吹きで時々消毒薬を吹きかけた。だが、なかなか花が咲かない。暖かくなってくると決まって母は「今年は◯◯くんの桜、咲くかな?」と嬉しそうに僕に問いかけ、春の盛りにその期待が叶わぬことを知って落胆した。そして僕は母の落胆で久方ぶりに桜の存在を思い出し、無責任にこう答えた。「来年は咲くかもね」
 桜の花が初めて咲いたとき、僕はもう大学生になっていた。「◯◯くんの桜が咲きました!」というタイトルがついたケータイのメールに添付された画質の粗い写真を見て、僕は思わず笑ってしまった。小指の先ほどの本当に小さな白い花が僅か数輪、枝の先に申し訳なさそうに咲いていた。ほとんど蕾と区別がつかないくらいだ。そんな下手なアングルで撮られた小さな桜の花の写真が、何枚も送られてきた。

 それから春になると必ず、母から桜の写真が送られてくる。広く伸びた枝と比べて、小さな桜の花は控えめな印象だが、はじめの頃とは比べものにならないほどたくさん咲くようになった。細かった幹も、両腕で抱えるほどに太くなっている。
 僕の名前がついた桜、あの小さな花びらを直接見たのはもう何年前だろう。来年は桜の季節に帰省してみようか。そんな面映さと寂しさが混ざったような気持ちで、僕は母に返信する。