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僕がサッカーを観るときに観戦ノートを書く理由。

サッカースタジアムに行くと、時々メモを取りながらサッカーの試合を観るファンを目にすることがあります。
いわゆる「サッカーノート」「観戦ノート」というものです。

Jリーグ好きにはおなじみのお笑い芸人、平畠啓史さんは、サッカーの試合を観るときは会場ではもちろんのこと、テレビで見るときもノートをつけるそうです。

平畠さんのサッカー知識はものすごいですから、その眼力の源泉はこうした地道な作業にこそあるのだろうと想像してしまいます。

サッカーをやる側の人にとっても、日々ノートをつけることで振り返りの時間を作り、上達につながることが知られています。

https://www.rere.jp/beginners/68348/

サッカーに関してノートを書く、メモを取る理由は人それぞれだと思います。
ただ、自分がノートをつける理由は、戦術を理解したいとか、そもそものプレーをもっと上達したいとか、そういう観点からではないのです。
自分がなぜ観戦ノートを書くのか。私事ですが皆さんの観戦の参考になればと思って記しておきます。

自分の観戦ノートの書き記していることは、以下の通りです。

<1.必ず書くもの>

  • 先発メンバー、ベンチメンバーの名前と背番号

  • 得点の時間と得点者

  • ファイナルスコア(前後半別)

  • 日付、時刻、場所

  • 大会名

  • 天候

<2.できるだけ書くもの(時系列整理)>

  • だれがいつシュートを打ったか

  • 相手陣内のフリーキックを与えられた数

  • コーナーキックの数

  • オフサイドを取られた数

  • ナイスセーブ

<3.できるだけ書いておきたいもの(ポイント整理)>

  • 主審名

  • 簡単にフォーメーション図とその動き

  • フリーキック、コーナーキックを蹴った人

  • ゴールに至るまでの展開

  • 内容を見て一言感想

  • (事前に余裕があれば)水戸とのかかわり、代表歴等

  • (水戸以外の試合を観るとき)選手の経歴、出身校等

大体こんな優先順位でしょうか。年によって書き方や項目の微修正がありますが、おおむねこんな感じです。

このようなノート構成になったのは、実は当時一緒に見に行っていた人の影響が大きいのです。

バックスタンドで試合を観ながら会話をしていると、
「あれ、あの背番号の選手誰だっけ?」
「誰がイエローカードもらっているっけ?」
「水戸は何人交代した?推しのあの選手は出られる?」と聞かれるわけです。

質問にすぐに答えられればいいんですけど、ケータイを探してスポナビのサイトを開いて、、ってやっているとゴール見逃したりすることがよくありまして。
そこで、手元で状況を整理しながら観戦できたほうがいい!と思い立ったのがノートを書き始めたきっかけです。

そもそも論として、サッカーという競技は感情が行き来する競技なので、案外目の前の状況が分からなくなりがち。
それがいざ質問されたらノート見せればいいわけですから。めちゃ楽なわけです。

※ちなみに、雨の試合はノートが濡れるので書けません。
2019年の最終節、ホーム岡山戦が大変な雨の中での試合で、ノートが書けなかったのをいまだに悔いています、、

残念ながらノートをとるきっかけになった人とはもう一緒にスタジアムに行くことはなくなりましたが、自分の中の整理としてノートをとること自体は続けていました。
すると、最近また違った効能に気づくようになりました。

自分が会場に足を運んだ証拠になるのです。
コロナ禍の最中を除きますが、大体年60試合近くスタジアムに足を運びます。そうすると、試合の記録として毎年1冊のノートが埋まっていきます。高校や大学の試合を見て、数年後に代表に入ったり水戸に入団する選手がいた場合、それが記録に残っていると非常に嬉しいですし、成長の記録としても役立ちます。

例えば、記念すべき(?)記録1試合目となった2017年のいばらきサッカーフェスティバル。

字が汚くて申し訳ない。
でもこのスタメンを見てほしい。
現役Jリーガーは何人いるかな?

水戸対鹿島の前座として行われた筑波大学と流通経済大学との試合には、今を時めく選手がずらり。その中には、ブライトンで大活躍中の三笘選手の文字も。

実はこの時から、自分は三笘選手のとりこになっていました。
ノートを読むと初期衝動感がすごい。

さらに字が汚いけど…(汗)
身体のバランス、視野が良い、と書いてあります

観戦ノートに書いておくことで、こうした感情を思い出すきっかけにもなります。
水戸の試合をはじめとして、興奮すると走り書きの字になるのが玉に瑕ですが、それも味です。感情の起伏の証。

実は正直な話、自分は映像による記憶があまり得意ではありません。

戦術好きがよくやる「あのゴールの時、中からボールを出して、あの選手がDFの裏に抜け出して云々~」みたいな話が、自分は全くできないのです。
実際に試合を見ているはずなんだけど、瞬時に思い出せない。断片的な静止画や音としてよみがえってくることはあるけれど。
カタールW杯ですっかりフットボールジャーナリストとしておなじみになった影山優佳さんはその辺の能力がずば抜けていると思っていて、正直なところ心底うらやましい。

何年前のあのゴールとか、あのプレーとか、みんなと同じように語りたい。

でも、自分はできない。

なぜ。。。

自分は、本当はサッカーが好きではないのではないか。
覚えられないくらい自分の能力が劣っているのではないか。
長年水戸サポを名乗ってい入るものの、過去のことを語れないのは古参サポとして失格ではないのか。

自分のことを責めたことも、正直ありました。

でも、最近調べていてわかったことがあります。

好きなものほど、思い出せないのです。

好きな人のことを思い出せなくなることって、往々にしてありますよね。
その理由は↓

・フロイトによると、自分を守るために、不都合な記憶や感情・欲求などを無意識下で抑圧して、思い出さないようにする自己防衛のメカニズムを持っているとされています。
・好きな人を見ている時は、瞳孔が大きく開き、キラキラとして眩しい状態となります。
・好きな人については、たくさん目で追ってさまざまな表情を見ている分、どれも印象的で1つの表情に絞れないことも考えられます。
・映像として認識しているのではなく、声やしぐさ、雰囲気など、別のものの印象が感覚として強く残っているということが原因として考えられます。

マイナビウーマンより抜粋

この好きな人ほど思い出せない現象が、自分はサッカーに対して、水戸ホーリーホックに対して起こっているのではないか。

心理学で未だ解明されていない範囲ということで、確たることは言えませんが、このような情報に触れたことで、

思い出せないことは、自分はがサッカーを、水戸ホーリーホックのことを大好きなことの裏返しだ。

と思うようになりました。ずいぶん都合のいい論理ですけど。

ただ、思い出せないままでは都合が悪いので、記憶の奥にしまい込まないうちに、手持ちの記録に残しておくようにする、と。
そうすると、覚えていなきゃという余計なストレスを抱え込まずに生活できる。

実際そうなりました。

観戦ノートを書くことは、これまで歩んだ観戦歴の証明になることはもちろん、自分がサッカーが好きであること、水戸ホーリーホックが大好きであることの証明です。
ノートをつけ始めて早8年目。
いつの日かノートが書けなくなるくらいの感動の瞬間を水戸で味わいたい。
そう思いながら、またノートを携えてサッカーを観に行きます。

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