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ボストンで勉強したこと

若い頃、夫と渡米してボストンでマクロビオティックの勉強をしていました。スタディハウスと呼ばれた一軒家で、世界中からマクロビオティックを学びにきた若い人たちと、いっしょに住んで学校に通いました。

その学校は、久司道夫さんという人がリーダーで、日本人のわたしから見たら普通のおじさんでしたけど、西洋の人たちから見たら神か仏レベルに見えるようで、みんな後ろ姿に合掌していました。

マクロビに先にはまったのは夫の方で、彼は深刻な慢性腎炎から玄米菜食で生還した経験から、ジョージ桜沢を信奉しており、その愛弟子ともいうべき久司氏にも心酔していました。

わたしは何かの病気ではなかったけれど、常に体調が悪いというか低血圧気味で貧血気味、顔色も悪くやせていて元気のない状態が常態化していましたから、それをなんとかしたくて婚約者だったころの夫の影響で玄米菜食を 実践していました。

久司さんの学校は、主に夜間に授業をしていて、アメリカ全土から来ている生徒たちは、裕福な人以外は日中はそれぞれ仕事をして、お金を稼いだりしていました。わたしもスタディハウスのホストファミリーが、こどもが3人いて大変そうだったので、調理の手伝いと時々こもりをする条件で家賃を少しディスカウントしてもらいましたし、夫も久司さん関連の会社のちょっとした作業を手伝って、小遣い程度の賃金をもらっていました。観光ビザで 滞在しているのに、たとえ少額でも賃金をもらうのは厳密にいうと合法じゃなかったかもしれないけど、もう半世紀くらい前の話だから時効?

スタディハウスの家賃は、二人分の食費込みで月400ドル(当時のレートは1ドル 250円)で、それは当時の相場からいうと、かなり高額なものでしたが、食品はすべてマクロビの純正品でしたから、法外に高いという感じでもなかったです。

若かったし、ボストンは住むのには気持ちのいい街だったし、毎日楽しかったです。英語もだんだん話せるようになって、特にヨーロッパから来ている人たちとは、お互いが英語が外国語だから、かえって通じたというか仲良くなれました。

スタディハウスで知り合った人たちの国籍は、フランス、オランダ、デンマーク、ポルトガル、ドイツと、主にヨーロッパ方面だったので、アメリカで観光ビザぎりぎりの三ヶ月を過ごした後、ヨーロッパへと旅を続ける我々には、ちょうどよかったというか、宿泊先のリストを得たことにもなりました。実際、彼らも観光ビザが切れると、それぞれ帰国したので、順番に訪ねて行って本当に泊めてもらえました。

外国の人って、とても懐が深いなと思ったし、住宅事情の差もあるのかもしれないけれど、フランクにどうぞどうぞと旅人を泊めてくれるところは寛大だし、すごいなと思いました。


写真は 滞在していたスタディハウス



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