ボストンで勉強したこと 4
ボストンに滞在する間は、スタディハウスと呼ばれる一軒家で暮らし、ホストファミリーのお世話になりながら食堂にある大きな木のテーブルで朝ごはんと晩ごはんを食べることができました。食費込みの家賃の他は、電話を使うたび料金を払い、洗濯は地下に洗濯機があって自由に使えました。勉強に専念できるし、リビングは解放されていましたから、海外からの留学生たちと歓談できて楽しかったです。
みんなの目的は、個人的にマクロビオティックを勉強したい人、指導者をめざしていて資格を取りに来ている人、自身がなんらかの病気を持っていて、それをなんとかしたくて久司さんのカウンセリングを受けにきている人と 様々でした。わたしなんかは、新婚の夫が行きたいというからついてきただけでしたが、当時の夫は、はっきりとそうだとは言わなかったけれど、もしかしたらボストンで学んで、そこの状況が気に入ったら、スタッフとして 働いてもいいと思っていたのかもしれないです。日本での仕事は辞めてきていましたから、そうしようと思えばできる状態ではありました。
結論を先に言うなら、まあ、そうはしなかったわけで、その理由は我々が 三ヶ月みっちり勉強し、いろいろと見聞きもして出した答えでした。最初の計画通り、旅を続けようとね。
観光ビザの三ヶ月というのは、渡米する前には短く思えて、そんなんじゃ アメリカのこと全然わからないよと思いましたが、いや、なかなか絶妙な時間だったなと思います。何もわからないというほど短くもなく、イヤになってしまうほど長すぎもせず、ちょうどよかったんです。
スタディハウスのメンバーには恵まれていたと思います。ホストファミリーは、関西に住んでいたことのある人たちで、日本語が少しだけ話せましたし、本当にいい人たちで、彼らからもたくさん学べました。一番教えてもらったのは子育てのハードさ?特に6才・3才・0才と、三人の男の子の母親だったウェンディは尊敬に値する女性でした。常に冷静で働き者で、こどもたちに対してもフェアで辛抱強かったです。
住人たちともだんだん打ち解けて、大きなアメ車にぎゅうぎゅうづめに乗り込んで、日帰りの小旅行に行くくらい仲良くなった人たちもいました。アメリカ人は概してフランクで、すぐ友達になれ本当に「ああ、わたしは今、アメリカにいるんだな」という感じでしたが、ヨーロピアンの方が仲良くなるのに少し時間がかかった気がします。でも、今振り返って思うに、すぐに友達になれたアメリカ人とは、時とともに疎遠になり、一度友情を感じたヨーロッパ人とは、その後も長くつきあうことになったのは、不思議と言えば 不思議なことでした。
最初はわからなかったけれど、スタディハウスには、身体ではなく、心を病んだ人たちもいたようです。ベトナム帰りの元兵士もいましたし、視線が 定まらない精神もやや不安定な女性もいました。みんな久司インスティチュートで学びながら、それぞれの不調を癒し、解決策を模索していたのだと 思います。
日本にいた時に、大家族や下宿など大勢で暮らす経験がなかったので、スタディハウスでの日々は、それらの疑似体験のようで、後の人生にもプラスになるいい経験をさせてもらいました。
今でもテレビでミシガンが話題になると、ミシガン出身のジムは元気かなあ、ビール飲みすぎてないかなあと思い、フィラデルフィアが映ると、ジョーはあいかわらずこてこてのフィラデルフィアなまりでしゃべってるのかなあと思い、カナダが映ると、ジョークのきついゲイは元気だろうかと、メンバーのことが思われます。
そして、わたしがたまに子守をしていたホストファミリーの息子たちは、もう3人とも中年男性になっているのかと思うと、過ぎた年月の長さに言葉を失うのです。
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