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ボストンで勉強したこと 2

1980年当時は、玄米菜食をしていると言うと「どこか 悪いの?」「なんか宗教でも入った?」と言われましたし、親世代には露骨にいやな顔を されました。わたしたちの親世代は、戦争で食べ物がなかった時代を経験していて、玄米というとなぜか貧しいイメージがあるみたいで、なんでわざわざそんなものを?という感覚らしく、本当にいやがられました。

マクロビオティックという言葉も、ごく限られた範囲で理解されていて、ほとんどの人は知らなかったと思います。桜沢如一さんが提唱した「正食」「食養」のほうが、まだ多少は知られていたのかな…

うちは夫の病気をきっかけに、1970年代後半に始めたマクロビオティックですが、21世紀になるあたりからは認知度も高まって、若い世代から「玄米菜食って 知ってます? ダイエットにいいんですよ」などと教えられるようになり、名称も「マクロビ」「ビオ」など ずいぶん 短縮されて言われるようになったようです。

ボストンではマクロバイオティックスって言われていたかな

80年代のボストンは、町中に自然食品やオーガニックフードのお店が溢れていて、もともとハーバード大学のある都市ですから、いわゆるインテリ層が多く、玄米菜食までいかなくともベジタリアンは、もはや常識というか 健康を気遣う人なら当たり前の選択肢でした。 

久司さんご夫妻の指導のもと、マクロビオティックを基本にした高級なレストランもありましたし、ダウンタウンにはカフェもありました。そこでは スタディハウスの仲間がスタッフとして働いていたりしました。久司さんは玄米菜食を広めるだけでなく、一つのムーヴメントとして広がりを見せるよう工夫されていたと思います。 

マクロビオティックに関連する会社も、いくつかありました。「East West Journal」という雑誌も、月刊誌だったか季刊誌だったか発行されていて、アメリカ以外でも、日本やヨーロッパなどの本屋や自然食品店で普通に売られていました。たぶん当時のボストンは、自然食とそれに伴う文化の発信地だったと思います。そしてわたしは、日本にいた頃は駆け出しのイラストレーターだったのですが、小さなポートフォリオを持参していたので、雑誌社のディレクターに売り込んで、表紙とイラストを数点描かせてもらえることになったのも忘れられない思い出です。おおげさかもしれないけどアメリカンドリームを感じた瞬間でした。




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