わたしが経験した「きらいな人」

これは読んでいて気持ちがいい話ではないと思うからほのぼのした話が読みたい人はここでブラウザバックしてください



そして俺は告発や糾弾をしたいわけじゃない。ただ俺の視点からこういう事実がありましたということを記したいだけだ。

そういう前置きをして始める。

北海道がヤバいという話ではない。
根釧地方がヤバいという話でもない。

ただ、俺が住んでた別海という町の小中学校がある学区は確実にヤバかった。

小学校の登校初日から虐められた。

何故そうなったかは全く記憶に無いのだが上級生数人に暴行され「やめて」と泣き叫んでも誰一人として止めるものはおらずただ見てるだけだった記憶が鮮明に残っている。

今でも意味がわからない。

それから小学校時代はずっと虐められていた。

と同時に俺は家庭内でも姉に虐められていた。

虐められてるのが日常過ぎて最早何が普通なのかわからなくなっていた。

ただ当時「ミサイルが落ちて全員まとめて死んじゃえばいいのに」みたいな事を毎日のように考えてた事を記憶してる。

正直小学生時代の記憶がない。
良いことなど一つもなかったことだけ覚えている。

小学校を卒業して中学校に進学するのだが全く同じクラスメイトでただ中学校に上がるだけ。

希望など何一つ無かった。

中学校に入ると野球部に強制入部させられた。今でも理不尽だな...と思う。

中学校に入っての中間試験で始めて順位が出るのだがわたしは1位だった。
(決して頭がいいわけではない、クソバカだ)

その後中間試験のクラス順位が告知されてから虐めはどんどん加速していった。

殴る蹴るの暴行。
筆記用具のペンを折られる。
親から買い与えられた電動ガンを学校に持ってきてその的にされる。
自転車の空気を抜かれる。
黒板消しの粉を頭に叩かれる。
差別用語のようなあだ名をつけられる。

覚えてない奴がまだまだあるんだろうな。
都会の虐めに比べたらこんなのは全然大したものじゃないかもしれないけど。

中でも本当に最低だと思う出来事があった。

体育祭の時にIくんという男子が女子がいない教室で勝手に女子のバッグを勝手にあさり、生理用品がある事に狂喜していた。
その後ある女の子の飲みかけのペットボトルの飲み口に性器を付けそのあと女の子がそのペットボトルを飲むのを見て狂喜したりしているのを、虐められてる俺はドン引きしながら目の当たりにして本当に最低だしもう終わってると思った。

あの頃のクラスメイトと教師も全員、なるべく苦しんで死んでくれねえかなって今でも思う。(ちなみにIくんは現在実家でヒキニートになってるらしい。)

虐めは教師も黙認だった。

数学教師に授業中、
「お前はみんなから可愛がられてていいな」
と言われ本気で寒気がした。
全部知っているくせに。

大人に何を言っても助けてくれるはずもないし無駄だと諦めるしかなかった。

あの頃ショットガンを持った人がいきなり教室に入って来て自分もろとも全員打ち殺してくれたらどれだけ晴れやかな気持ちになれるだろうかとか考えてた記憶がある。

あの頃の自分はずっと自分が死ぬ事を望んでいたなー。学校でも家庭でもお前は要らないと呪文のように言われ続けた。 

よく自己肯定感が低すぎると人に言われるのだがそれはこの時の経験から来ているのだと思う。
今も拭い去れてない気がする。

不登校を許してもらえる家ではなかったから学校には行き続けなければいけなかった。

地獄ってなんだろうね。
それはよくわからないけど、俺の性格が捻じ曲がったのは小中学生の時の経験のせいだと思うよ。

あまりこの頃の思い出を書きたくないから割愛するんだけど、中学校の卒業式の思い出を書く。

なんの感情も沸かない卒業式が終わり、教室で先生の最後の挨拶があり、そのあと生徒一人一人に担任教師がメッセージを直接伝えるというクソうざいイベントがあった。

一人一人に三分程度長々と話し、俺の番になって担任教師の前に行くと

開口一番

「あんたには言うことないわ」

の一言で終了。
最後の最後までこんな残酷なことをされるんだって子供ながらに思った。

教師と保護者を交えた懇親会があったのだがこんな気持ち悪い場所1秒でも早く立ち去りたいと言う感情しかなかった。

最後の最後までいい思い出なんて一つもなかった。

でも俺はあの頃の自分に言ってあげたい。
生きてればちゃんと死ななくてよかったと思える日があるよ、と。

今は割と楽しくやってるから「お前なんて要らないから、死ね」と俺に言い続けたあの頃のクラスメイトや教師や姉に「なかなか結構楽しく生きてるよ、ざまぁみろ」と言ってやりたい

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