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「違う」ことの価値

とある本がきっかけで「違う」ことの価値を考えた。

「違いを認め合おう」
「違いを許そう」

この文脈の根底に感じるのは
「違い」=好ましくないもの
という構図だ。

反対に「共通点」だったらどうだろう。
「共通点を探そう」
「共通点があって仲良くなった」

「共通点を認め合おう」「共通点を許そう」
とは言わない。
「共通点」は嬉しいものだから。
なぜ嬉しいのかといえば、
それが自分にもあることだから。
あえて認め合う必要はない訳だ。

「共通点」があれば話が弾むし、仲良くなれる。
でも
「違う」からこそ知ることができる相手のことや新しいこと
「違う」相手がいるからわかる自分が大切にしていること
なんかもたくさんある。

もっと「違う」ことを楽しみたいし
「違う」ことを探せたら良いのではないか。

そのために必要なことは何だろうか。
・自分は自分でOKなんだ、という自己肯定感
・相手へのリスペクト
・すぐに価値判断しないこと
この辺だろうか。

この辺を考えだすと小難しくなってしまいそうだ。
ひとまずは「違う」ことってけっこうおもしろいんじゃないか
と興味を持ってみるぐらいで十分かもしれない。

「違う」ことを楽しめる世の中になれば
それこそ百花繚乱、カラフルな世界になるような気がした。

引き続き「違う」ことの価値も考えていこうと思う。

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