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母校での社会人講話に登壇した話

2022年1月半ば、母校の社会人講話に呼んでいただき話をしてきた。
備忘録も兼ねて、感じたことをまとめてみる。

2010年に高校卒業してから
大学3年生の時に先輩学生としての卒業生講話、
大学4年生の時に教育実習生としてお邪魔しており、
今回はそれ以来8年ぶりに校舎に入った。
ちなみにバレーボール部のOB戦でも体育館にはちょこちょこ行っていて(プレーはしないけど)、割とご縁がある方だと思う。

母校は旧制中学から続く学校で、歴史も実績も豊かな高校なのだが
とにかく人がユニークで、そうした人が紡いできた文化がおもしろい。
作家の井上ひさしさんもOBだが『青葉繁れる』という本に母校の(男子校時代の?)姿が鮮やかに描かれているのでおすすめだ。

まったく英語の点数の高低が役の軽重を左右するとはやりにくい世の中では無いか。・・・自分たちは英語や人生の探求に来たんじゃないんだ、女の子の探求に来ただけなんだぞ、ばかめ!

井上ひさし著『青葉繁れる』より

付箋を貼っていたシーンから引っ張ってきたが、本当に清々しい。
私がどんな高校生だったかは想像にお任せする。
そんな母校の先生から「今年の一年生向けの社会人講話」で話してほしいと依頼された。
 

「社会人講話」

簡単に言えば「社会で活躍する先輩の話を聞いて自分の人生に活かそう」という会だ。

私も高校時代に同級生みんなと広いホールで話を聞いたイメージの記憶は残っている。
イメージの記憶というのがポイントで、大変申し訳ないのだがどんな方が登壇されてどんなお話を聞いたのかは覚えていない。(今覚えていないだけで、当時はそこそこ真面目に聞きつつ、ピシーと言うか足を踏み鳴らし、何かしらの学びを得ていたはずである。おそらく。きっと。)

「こんな私(=すごい起業家でも誰もが知る大手企業やスタートアップで働く会社員でもなく、個人事業主でいろいろな活動をしている人間)でもいいの?」という疑問が即浮かび、先生に確認したが問題ないと言われ、高校生の親御さんや先生たちにはいないタイプの人間だろうということは自信を持って思えたので、恐縮ながらもお引き受けした。

準備するにあたっては、自分よりもはるかに優秀な後輩たちへのお話でもあるし、特に今年の高校一年生は中学三年生のときに新型コロナによって学校行事が軒並み中止され、高校入学後も様々な不便や我慢を強いられてきた学年ということもあり、私の中では、みんなに貢献できることはなんだろうか?という問いがぐるぐるしていた。
 

講話当日とその後

今回のお話のメインテーマは「自分自身に目を向ける時間」にしてもらうことにした。

今の高校一年生は2005-6年生まれで『LIFE SHIFT』でも言われている「2007年生まれの子どもたちの半数が100歳以上に達する(日本人は107歳)」と言われている層と重なっている。
なのでそうした時代背景と社会的な変化の加速感、これまでの3ステージの人生モデルからマルチステージの人生モデルへと変化するというストーリーを共有するところからスタートした。

「人生」を取り巻く背景に触れながら

その上で私や他にもおもしろいキャリアを歩んでいる人の人生ストーリーを味わってもらいながら「私はどうだろう」「自分の心が震えた瞬間はいつだっけ」ということを考えてもらう内容にした。

講話の中で、考えてもらう時間

唯一予想外だったことは、コロナ再拡大の影響で全体へのお話が不可となり一つの教室からオンライン配信することになったことだ。
スライドはけっこう練って準備したのでそれをみんなが見られたのはよかったのだが、私の中では違和感が残った。1人ひとりのリアクションがないし、表情も見えないので、どう受け取ってくれたのかがわからない。

生徒の立場からしても、顔も見えずほぼスライドだけで話をしたOBに「質問なんてない」という感じだろう。その場で1人が質問をしてくれたものの、放課後も少し残ったがリアクションはほぼなかった。

個人的にお気に入りの葛飾北斎さんの人生も紹介。みんなのリアクションも見たかった。
(画像内写真・文章はwikipedia参照)

あまり伝わらなかったかなぁという想いを胸に学校を後にしたのだが、後日Twitter経由でお礼や真剣な相談も寄せられて、一部でも届いた人がいたんだなと分かり、ホッとした。
さらに先生から感想文の共有(なんと全員分)をいただいたが、私の想像以上に1人ひとりが自分のことについて、そして自分の将来について思いを馳せてくれていた。

印象的だった回答に「人生にとって失敗も経験なんだということがわかり、失敗を恐れずに高校時代から挑戦していきたい」といった内容の回答がかなりの数あった。
今は「失敗を防ぐ」情報やツールがたくさんあるし、SNSやスマホなど「失敗を抑制する」ものも溢れている。(Twitterでなんて書かれるだろう、、なんて考え出すと行動は慎重になると思う)
私自身がそうだったが、失敗を見つめることができるようになる前は失敗は恥ずかしいことで、自分自身に傷がつくことであり、できるだけ避けるべきものと認識していた。今回の話の中で人生の中で失敗がもつ意味を感じることで、捉え方が変化してくれたのであれば、それは嬉しいことだ。

他にも
「自分の新たな側面が見つかった」
「自分について意外とわかってないことに気づいた」
「好きを仕事にするということを考えたこともなかったが、そういう考え方もありなのかと知れた」
「社会人が楽しそうであることに、ほっとした」
といった内容の感想も寄せられ、彼・彼女らが普段何を感じ、考えて生活しているのかに触れることもできたし、私の考えがみんなにとって一つの「異物」「自分を考える材料」になれた手応えは感じた。

おわりに

母校の高校生と向き合う中で、改めて自分の価値観や人生を棚卸しすることになり、自分が当たり前としている前提にも気づくことができた。
一番学ばせてもらったのは予想通り私自身だった。

「なんだかよくわからないけど、いろいろやっている人」である自分に声がけをしてくださった母校の懐の深さにも脱帽である。またご縁があれば声をかけてもらえたら嬉しいなとも思う。

10年後にはおそらく誰がどんな話をしたかは覚えてないだろうけど、
将来どこかで一緒に仕事をしたり、取り組みができていたら嬉しい。
あの時間、自分の話を真剣に受け止めてくれたみんなの飛躍を願って結びにしたいと思う。

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