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目には見えない何かを目指すということ

農林学校で農業を学んでいた宮沢賢治は、そこで豚の解体を目にして、ベジタリアンになったと聞いたことがある。
といっても、完全なベジタリアンだった訳ではなく、「社会」と「連絡」を「とる」おまじないとして、動物の命をいただくこともあったそうだ。

私は、毎日、冷凍の鳥の唐揚げをオーブンでこんがりと焼いて食べることを日課としているため、ベジタリアンとは程遠いのだけれど、宮沢賢治の『社会と連絡をとる』という言葉が好きだ。

賢治が意味していることとは全く違うが、はたらくことは『社会と連絡をとるおまじない』のようなものなのかもしれないと思う。
何かを生産してお金を稼ぐことだけが、はたらくことを意味するものではない。
だから、はたらくことは、世代や職業等関係なく、家庭で、学校で、病院で、職場で、どこでも色々なかたちであふれているものに違いないと感じる。
何かに、誰かに、はたらきかけること、それが目に見える形であろうとなかろうと、たとえ声かけひとつ、そんな些細なことであっても、それははたらくことではないかなと思う。

私は、社会人になって初めて生まれ育った土地を出て、縁もゆかりもない場所で、治水や利水に関する土木建設工事の技術者の卵としてはたらくことになった。
その会社では、新人に自分達が開発する構造物の水を利用する農家が、どのように水と接し、どんな暮らしをしているのか二週間住込みで学ぶという研修を課していた。
かくして私は、全く面識のない農家に派遣された。
派遣された先の農家は、夫婦で大規模な農業を営んでいて、認知症のおばあさんと一緒に暮らしていた。
朝は、4時30分に農家のお父さんにたたき起こされ、5時過ぎから野菜の収穫と出荷、その後は、種まきや、苗を定植する作業等があって、夕方17時まで朝食と夕食の時間を除いて農作業で、相当なハードワークだった。

おばあさんは、私に「かわいいねぇ」とよく声をかけてくれて優しかったのだけれど、夜は徘徊するし、朝になったら私のことは忘れていて、自己紹介から始まった。

そんなこんなでも、農家のお母さんの作る食事はすごく美味しかったし、毎日何らかの達成感はあった。
それに老いることや、家族についても、学ぶことがとても多かった。

つい最近、私がこの研修の報告書として会社に提出したものが出てきた。そこでは、この研修を人生で一番辛かったなんて酸いも甘いも全く知らない青二才のルーキーがぬかしてるのだが、それでも、若いなりにも物事をしっかり観察してるなと、客観的にみて感動してしまった。

ほんの一部抜粋すると、こんなことが書いてあった。

研修が終わって感じることは、どんな業種であれ、やっていることが違うだけだということです。目には見えない何かを目指しているという点では同じで、所詮は形が異なるだけでした。
私は農作業できゅうきゅうで、ほとんど何も見てはいませんでしたが、時折聞こえてくるSさんご夫婦の会話を聞いていると、天気が良かったから、野菜が大きくなったとか、虫食いがすごいとか、当たり前のことかも知れませんが、変化から何かを感じ取っておられました。それで、私もそれに気を配ってみると、明らかに異なっていることが分かりました。
私の職場でも同じで、自然と向き合っている限り、いつ予測不能な現象や災害が起こるか分かりません。日々の状況や変化に、農業と同様に気を配る目を養わなければならないと感じ、様々なことに気付き、考えることの大切さを再認識させられました。

今になって感じることは、仕事上で私の心に残っているのは、仕事の成果ではなく、誰かに助けられたことや、上手くいかないときに、一からやり直して発想を転換させて軌道に乗せた経験だったり、叱責されて腹が立ったけれど、自分がしたことと同じことを後輩がやってるのをみて、叱責されるのも当然だと客観的に観察することでようやく理解できたり、そんなことばかりのように思う。

飛行士として多くの功績を残した『星の王子さま』の作者でもあるサン=テグジュペリは、はたらくことの意味を以下のように説く。

ほんとうに大切なものは
仕事がもたらす至上の喜びや
悲惨さや危険ではないだろう。
大切なのは
そうしたものによって育てられる
考え方だ。

齋藤孝 訳「サン=テグジュペリ 人生に意味を」

そう考えてゆくと、私にとってはたらくということは、それ自体が重要なのではなく、それによって自分の感性を磨き、成長し続けるためのひとつの手段なのだと思う。

(了)


参考文献は以下のとおりです。


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