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トマト君 カレー界を変える

どんなに美味しい料理であったとしても、それがはじめて食べるものであれば、私の場合は、味の記憶が残るのはほんの一瞬の気がする。
でも、それが食べ慣れたもので、特に美味しかったらずっと記憶に残るように思う。
そうすると、料理名を聞いたら食べてもいないのに口の中に、においと味が広がる、そんな現象が起きる。
もうちょっと深掘りしてみると、例えば、今日の晩御飯は、うどんとお母さんが言ってたのに、ちらし寿司が出てきたりして「うどんの口になってたのに!」と腹を立てるなんてことが多いのは、どこで誰と何を食べたかという、いつかの味の記憶に直結するのだろう。

私にとって、そんな現象が起きやすい食べ物は、喫茶店で食べるナポリタンとか、学校のカフェテリアで食べるごく普通のチキンカレーなのだが、このほぼケチャップだけの味付けとか、市販のルーに何らかの隠し味が少々入っただけのものが、なぜか味の再現が不可能なくらい難しい。
味を再現しようとしてこだわり過ぎてゆくと、もう、どこを目指しているのかすら、さっぱり分からなくなる。

当然のことかもしれないが、ナポリタンのケチャップでも、同じメーカーなのに季節が違うとトマトの味が全く違う。
だから、全く同じ味付けなんて、本当は不可能なことかもしれない。

ここ数ヶ月、私の中でナポリタンブームが到来し、麺を変え、ソースを変え、作っては味の検証をしていたのだが、あまりにも不味いトマトソースにあたり、ナポリタン熱が一気に鎮火してしまった。

トマトには、食の世界を一変させる力があるに違いない。

ナポリタン熱が冷めた後、家にカレー粉があるのを発見した。
カレーといえば、以前私は、カレー熱も燃え上がり、美味しい日本のカレーを作るべく励んだことがある。
美味しいマイルドなカレーとしてレシピ本に多く書かれてあるものは、プレーンヨーグルトを入れるというものだが、ヨーグルトがどうやってもダマダマになってしまい、食感は最高の気持ち悪さで、とても美味しいとは言えなかった。
それから、インドカレー、スリランカカレー、タイカレーにも熱中したが、美味しくてもどれも元祖日本のカレーとはかけ離れているし、食べ慣れていないスパイスばかりで、一回味わえば、もうそれでしばらく食べたいとも思わない。

カレーを手作りしなくなって久しくなった現在、突如現れたこのカレー粉を使って、カレーを作るべし、というお告げかもしれぬと、ご都合主義の思考を発揮してみた。

発掘されたカレールー


いざ作り方を見てみると、トマトの水煮缶を入れるべし、と書いてあるではないか。
沖縄のタコライスにも、キーマカレーやドライカレーでも、使われているのに、どうして今まで気付かなかったのだろうか。
トマトは、甘味と酸味のバランスが優れた唯一の食材で、他のものの美味しさも引き立てる力を持っている。トマトで煮込めば、必ずや美味しいカレーになるはずだ。

私は早速、ニンニク、鶏肉、玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモを軽くサラダ油で炒め、その中に、トマトの水煮缶、野菜だしに、具材がひたひたになるよう水を少々入れ、コトコトと煮込む。それから、野菜が柔らかくなったら、隠し味に醤油、オイスターソース、トマトケチャップを少々入れ、完成。
案の定、今まで私が作った中で最も美味しい、これなら出店できるだろう(自己満足)と思われるレベルのカレーになった。

つい最近、社会人になってからずっと一緒だった、パートナーのような存在であった車とお別れした。
見送った後、少ししんみりした私は、近所のカレーが美味しくて評判という農家レストランを初めて訪問した。そこでいただいたのは、キーマカレーだったが、ちっとも美味しく感じなかった。

がっかりして家に戻る途中、図書館によった。そこで、滅多に借りないレシピ本を借りた。
その本は、猫沢エミさんの『ねこしき』という本で、海外での生活も長く、お料理も大好きなエミさんのレシピとそれにまつわる数々の思い出が記されている。
海外では効果な日本のカレー粉を節約するため考案した『イギリス風貧乏キーマカレー』、亡くなったエミさんのお母さんが冷凍庫に遺したカレー。エミさんは、料理を好きな理由を『消えもの』だからという。
だが、エミさんは料理についてこうも語っている。

“消えもの”である料理は、姿を消しはしても、食べ手に命を託し、舌と心に残る幸せな記憶として姿を変える。だから、正しくは“消えない”のだ。

猫沢エミ『ねこしき』(TAC出版)

両親の死の見送りをしたエミさんの言葉も、家族や自分自身で作った料理に向き合い、味わう喜びを教えてくれる。

自分と向き合い、どう生きたいのかと問いかける。明日のことはわからないけれど、今日できることはなるべく先送りにしない。でも、がちがちに決め込むのではなく、吹いてきた風をしなやかに受け止めて、そのつど考え、自分の意志で選び取っていく。そうして、今日も私はこしらえる。二度とこないこの時を、よりよく生きるために。食べることは生きることだから。伊達にここまで生きてはいないのだ。喜怒哀楽、いろんな経験をひと通りしてきた自分を信じていい。それでももし不安になったら、この言葉を口にしてみてほしい。
哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。

猫沢エミ『ねこしき』(TAC出版)

そうしてみると、カレーは自分で家で作ったものが一番美味しい、それでいいし、それがいいのだ。
誰の味のコピーでもなく、自分が美味しいと思えるものであればいい。
そう思えてくるし、実際そうなのだろう。

自分で作ったチキンカレー

(了)


本記事に記載の書籍は、以下のとおりです。


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