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【映画感想文】ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

誰かの死をテーマにしたものであっても、その亡くなった誰かが遺したものが、その人の大切な誰かを生かすための原動力に変わり、未来への灯になったならば、その死は決して無駄ではなく、悲しいものではないと思わせてくれる希望に満ち溢れた映画が『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』だ。

本作は、ニューヨークの同時多発テロで、父を亡くし、悲しみから立ち直れない少年オスカーの物語である。

オスカーは、アスペルガー症候群の疑いがあり、賢いが人と接するのが苦手なため、亡き父は生前よりオスカーの得意とするものを最大限に活かし、直接人と関わりながら探索するゲームをオスカーに課していた。
ニューヨークの第6区を見つける鍵を探している途中で父が亡くなったため、オスカーはゲームを中断してしまう。
そんなある日、父のクローゼットから、ブラックという名が書かれた封筒に入った鍵を見つける。その鍵に、ニューヨークの第6区の手掛かりがあると推測したオスカーは、ニューヨークに住むブラックという鍵の持ち主を探すため、9.11以来、何もかもがオスカーにとって『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』ニューヨークの街に繰り出す。

コロナ禍になってから、この作品を改めて観ると、見方が少し変わる。

オスカーのセリフの所々で感じるのだけれど、この時既に、パソコンが普及し出し、インターネットを使うという手段がある。
それにも関わらず、オスカーは敢えて、ブラックという人物の探索に、地図と電話帳を用い、ノートを使って、ブラック一人一人についての記録的を残していく。
私は、この点に、今の状況下では難しくなってしまったが、バーチャルな繋がりではなくて、リアルな繋がりや手段を追求し、それを重要視しているところに、安易な手法に流されず、どこまでも自身の手で探求する逞しさを感じる。

そして、ネットという手段を導入しない、あくまでもアナログな手段を用いる点に、オスカーの父の人間性であったり、育ってきた環境が想像できるような気がする。
オスカーの父の両親も、世界大戦で大切なものを失い、生きるために、様々な手段を選択してきた。
答えはひとつであっても、その答えに到達する過程は山ほどある。オスカーの父は、その過程にこそ重点を置いているのだ。

私たちは、何かひとつを失った場合、その失ったものの重さや、代えがないことに気付き、失望してしまうことが多い。無論、大事なもの、大切な人の代わりはいないだろう。
だけど、今ここに存在しているものの中に、必ず別の手段や代わりとなるものは存在しているし、誰かを失ったら、今ここに生きている誰かを生かすことに一生懸命になる方法もある。

ラストで、遠回りを続け、鍵の答えにたどり着いたオスカーは、亡き父が望んでいた、恐れずに社会に出ていく少年に成長している。
そして、独りではなく、母や祖父母に護られて生きていることに気付く。
長い旅路の果てに、人種問題、宗教問題、病気、大切なものを失った人たちを知り、彼らから大きく影響を受け、自身も他者に気付かないうちに影響を与えていく。

これは、大切なものを失って手段が分からず途方に暮れる現代人へ、生き抜くことと、ある道を絶たれたとしても別の方法や手段があることを伝える、最高の映画である。


本記事で紹介した映画は、以下のものです。


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