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出会うべくして出会う人が待っている未来へ

学校に行きたくても通えない子どもたちは、大勢いる。
多くの国の子どもは、貧困で学校に通えず、学びたくても学ぶことができない。しかし、日本は状況が違う。学べる環境があるのに、学びたくても学校に通えない子どもがいる。

かつて、マザー・テレサは来日した際に、日本は大変進歩して裕福な国で、インドのようにたくさんの貧しい人々はいないが、この国には精神的な貧しさがある、と言われたと聞いたことがある。また、空腹による餓えは癒すことが簡単にできても、心の餓えはすぐに癒すことができない、それがもっとも深刻な貧しさだと、日本の将来を憂いておられ、寂しい思いをしている人に言葉をかけ、温かい笑顔を見せてあげて欲しいと言われていたそうだ。

物質的に恵まれることは、新たな問題、心の空虚さを産み出すのかもしれない。

日本の中学生のいじめ問題、家庭内の不和と性的な暴力、いじめ問題を解決しようとしない全く心の通じ合うことのない教師、そういった問題に対して訴えかけるのが、辻村深月さんの「かがみの孤城」という本だ。
本書は、7人の心に傷を抱えた中学生がオオカミさまと名乗る少女に、かがみをとおして日中のみ行き来できる城に集められ、願いを叶える鍵を探すミステリー小説だ。

中盤くらいまで展開がものすごく遅く、それから先が急展開しだす。埋め込まれた種と、何故子どもたちは集められたか、城は何か、オオカミさまとは何かのトリックが終盤一気に明かされてゆき、面白い。
そして読み進むにつれ、中盤までの展開の遅さは、子どもたちが抱えた傷ゆえにコミュニケーション不全であることに気付く。そのコミュニケーション不全は、本当の意味でお互いの信頼関係が築けたといえる、最後の最後まで続く。

そんな城に集まる子どもたちの多くに共通している、いじめによる不登校に、唯一寄り添ってくれているのが『こころの学校』というフリースクールの女性教師だった。
この教師の教え子の一人が病でこの世を去っているのだが、その子は、勉強したくてたまらなくても中学校に通えなかった。だからこそ、彼女は、本来は勉強できる身体であるのに不登校である子どもたちが、誰かに時間を奪われることなく自分たちの時間を生きて勉強して欲しいと願って活動している。
そこには、作者である辻村さんの願いが込められている様に感じた。遅かれ早かれ私たちは死んでゆく。いじめられている子も、いじめている子も。
限りある時間を誰かへの嫉妬、憎しみ等の感情に執着して生きてゆくのではなく、自分のために自分の時間をきちんと歩んで行って欲しいと言われているように感じた。

孤城に集まる子どもたちは皆、現実の世界から逃避しようとしている。でも全員、現実の世界をきちんと歩める身体を持っている。
城を離れそれぞれの道を歩むことになった彼らは、今後も出会った仲間と会いたいと願う。これから会える可能性は十分あるのだが、会うことはないかも知れない、すれ違うだけかもしれない、そして、城で会ったままの姿で会える訳ではないのだが、そこは是非お読み頂きたいので、詳細は控えさせて頂く。

本書は、こう最後に訴えかける。

これからそれぞれの未来が待っているけれど、どうか希望を持って進んで欲しい。必ずあなたの歩む世界に現れるこれから出会う人たちの中に、必ず出会うべくして出会う、あなたを助けてくれる人、心を許せる人たちが待っているからと。


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