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愛犬との暮らし

我が家では、HOKUTOほくとという犬を飼っていた。名前は、私のきょうだいにキノコ好きがいて、そこから、長野県にある有名キノコメーカーさんからいただいた。

狂暴だったけれど、すごく賢くて、食いしん坊で、家族思いだった。
ほくとが、我が家の最初で最後の犬だ。

ずっと犬が欲しくて休日のたびにホームセンター等のペットショップで物色していたのだけど、ぴんとくるものが全くいなかった。
多分、ペットショップ特有の、ただ可愛くて売るために生まれさせられた、という雰囲気が我が家には馴染まなかったのだと思う。それに、我が家でなきゃダメとアピールしてくる犬がまずいなかった。

それから犬を譲渡してくれる動物病院をあたり、こちらを真剣に見つめて『もらってもらって』と呼びかけてくる、動物病院で生まれ、母犬の飼い主にいらないと言われた黒柴みたいな子犬がほくとだった。
その後、家族会議をして我が家に迎えることにし、両親が私が学校に行ってる間にもらってきてくれたのだけど、最初の数年は悪夢だった。

ほくとは賢すぎた。人間の行動を読みきっていて、言うことを一切聞かない。噛みつきまくる。いつも腹を空かせていて、底無しのようにエサを欲しがるし、抜群の運動能力に怪力で、サークルを飛び越えるわ、ゲージを破壊するわの散々な日々が続いた。そのため、ほくとのゲージは、ステンレス製のびくともしないやつになった。

そのくせ、花火や爆竹、雷が鳴るときは、恐怖に怯え、手を繋いで欲しがったし、家族以外の人は大嫌いで、決してなつくことはなかった。

それでも、我慢強く弱音を吐かないし、緊急時は文句も言わず家にひとりで家族を待ち続けていたし、家族の心の動きや落ち込みや苦しみを敏感に感じて、慰めてくれたり、一緒に落ち込んだりしてくれて、かけがえのない家族の一員だった。

晩年は、首が上がらなくなって、歩行もままならないのに、歩きたいと前進し、家中を徘徊するほどのがんばり屋だった。

2年前に17歳でほくとは亡くなった。今では、私はすっかり悲しみも癒え、全部いい思い出になった。
ほくとは家族に愛をくれたし、私たち家族もほくとに注げるだけの愛情や、やれることは全部やってあげれたと思う。

犬を飼うことは大変で、雨の日も風の日も雪の日も散歩に行かなくてはならないし、犬よりも長生きしなくてはならないという責任を負う。
他の人には、犬を飼うことを決して薦めるものではないと今では思う。
もう動物を飼うのは金輪際、結構と思う。

最近はもっぱら、とある動物保護施設で保護されている、大きな白い後ろ足がない犬の動画をSNSで観ている。
客観的に観察していると、やっぱり犬は人と交流することで、表情が豊かになって、どんなに身体に障がいがあっても幸せになっていくんだな、って思う。
そして、全ての犬が安易に飼われたことによって、虐待とか、棄てられたりしないで欲しいと思う。

ほくとと過ごせた日々は、私の一生の中のほんの一時期かもしれない。
それでも、全てが何にも変えられない大切な日々だったように感じるのは、犬と人は唯一心を通じ合わせることのできる存在で、生涯に犬はひとつの家族しか認めないからだと思う。
だからこそ、犬を飼うときは、慎重に熟慮した方がいいと、我が家ではえいや、で飼い始めただけに、そう感じてしまう。

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