僕はネガティヴに依存している。
こんばんは、トゥインクル・コーポレーション所属の単独屋、今年は新ネタ量産マシーン、ジャパネーズのウネモトモネで御座います。
前回記事。キングオブコント1回戦敗退後の本音note。あれからまだ1週間くらいしか経っていないのか。それも何か驚きなのだけれど、それ以上に意外と反響があり驚いている。
たまーに出るやつ。「#推しの芸人」応募作の中で先週特にスキを集めたらしい。ちょいちょい出てくるからそもそも「#推しの芸人」で書いている人が少ないのだろうな、とネガティヴな僕は思ってしまうのだけれど。
2023年7月25日午前0時20分現在で、閲覧数は僕のnoteの中で歴代トップ。スキの数は歴代2位(1位は男性ブランコの配信単独感想note。)。そして、それ以外でそこそこスキを集めた記事は先月の事務所ライブで自分たちが大好きなコントやって負けてしまい自分の芸人人生の終幕について考えたやつ。
僕は、同じく2023年7月25日午前0時20分現在で、フォロワー数84人の弱小無名芸人。特に文才があるワケでもなく、生きていく上で役立つ情報とかも発信しておらず、深く語れる趣味などもなく。ただ36歳で芸人を13年続けている人間の日常をダラダラと書き綴っているだけなので、当然スキの数も平均して10前後。同期や後輩の人気芸人さんは3桁くらい余裕でつくのに。まぁでも書いている内容の濃さが全然違うから当然なんだけれどもね。
そんな弱小noteでもたまに20くらいのスキを貰えることがあるのだけれど、それが割とネガティヴな文章であることが多い。共感なのだろうか、怖いもの視たさなのだろうか、自分よりも下の人間の苦しむ様を視て安心したいのだろうか。理由はよくわからないけれども、そういう記事の本音純度はかなり高めだというのはひとつの要因なんじゃないかと思う。というかそう信じたい自分も居る。「ネガティヴ純度の高さを評価されていると信じたい」っていう破滅的な思想。
芸人を始めたのが2011年。(※養成所は2010年入学。) ちょうどその頃、徐々にSNSが一般化してきていたように思う。いや、一浪して大学入学した2006年くらいにmixiとかは流行り始めていたからもうちょい前から一般化はしているのか。でも少なくともTwitterが一般化してきたのは2011年前後だったように思う。著名人の方で早くから始められている方は多々いらっしゃったけれど。
とにかく僕の芸人人生には常にSNSがつきまとってきたワケで。「芸人やってます。」と言うと「Twitterやってますか?」と訊かれるのが当たり前の時代。それまでは「ホームページあるんですか?」だったのだろうか、そしてそれよりも前は「どこでライブ出てるんですか?」だったんだろうか。それが今は全部「Twitter視てください。」で片付くっちゃ片付くもんな。エンディングの告知タイムの意義。
僕は自分のことをネガティヴな人間だとはあまり思って居ない。そういう面に関しては"ごく普通"であると思って居る。ん、"ごく普通寄り"くらいかな。正直皆僕と同じくらい暗いことを思って居たり自己肯定感が低かったりしていると思う。で、普通の人はそういうのをちゃんと隠して生活しているのだけれど、僕の場合はそれを隠さずに全部出してしまっているだけ。だからそういう面では僕は"異常寄り"ではあると思う。異常寄りというよりは精神的に子どもというか。社会人的で無いというか。
13年間芸人をやってきて、それと共にSNSも13年間やってきて、相方にも度々注意されてきた。「あれは呟いたらあかんで。」「あの言い方は誤解されるで。」「あれ消しといてな。」お客様からもたまに「あんなことツイートしたらダメです!売れなくなります!」みたいなメッセージも戴いたりする。うん。売れてないのはそういうツイートの所為じゃなくって実力不足だと思うんだけれど。
僕はそこそこ頑固なんだけれど、他人から指摘されると数日後にある程度は納得して反省出来る柔軟性も持っているので。いや、"柔軟性"って言うと聞こえが良過ぎるか。純粋な「柔軟性」ではなく「また同じことで注意されるのが癪」っていう感情によるものだと思う。
とにかくそんな性質を持っているから、徐々に徐々にではあるけれどそういう投稿をSNSにする頻度も減ってきた。そうなんだよ、これでもかなり減った方なんだよ。7割くらいは減っているんじゃないかな。昔は劇場のバトルライブで負けて「芸術が商業に負けた。」みたいなの投稿して相方から「すぐ消せ!」って怒られたことあったな。「なんで消さなきゃいけねぇんだよ!」「勝った先輩のこと批判しているようにも取れるやろ!」って。
でもまぁ7割減ったということは3割は残っているということで。未だにそういう投稿はするんだけれど。成長している部分としては"意図せず傷付けてしまっている対象"がなるべく居ないようにしている点かな。受け取り方は無限大だから0にするのは絶対無理なんだけれど。だから自虐的というか攻撃の刃が自分に向いているような発言が多くなる気もする。まぁ実際に自分に対して「不甲斐ない」とか「情けない」とか思って居るんだけれど。
お笑い芸人は「人を笑わせること」が仕事。世の中に笑顔を増やすのがお仕事。だから当然僕みたいに自分の負の感情を遠慮なく吐き出すことは、あまり良いことではないのだろう。でも僕が世の中に発信していることで、明るいことよりも暗いことの方が評価が良かったりする事実もある。まぁまだ無名だからでもあるんだろうけれど。これがもし何かの間違いで爆売れして、このnoteも1億人くらいの眼に触れることになれば「こんなこと書くなよ!」って意見の方が圧倒的大多数で火力MAX炎上する可能性も大いに在るとは思う。
しかしながら芸人としてこういう生き方、発信を13年くらい続けて来た結果、昔は否定的な意見を言う人が多かったけれど最近は「モネはそれがキャラみたいになってるから別にいいんじゃないか。」という意見もたまに同業者から戴くことがある。そして哀しいかな、僕自身も多分どこかパフォーマンス的にネガティヴな言動をしてしまっている部分がある。自分のネガティブにエンタメ性を持たせようとしてしまっている。まぁ舞台上でやってウケた試しがないのだけれど。っていうこれもまた誇張。実際は3~4割の勝率ではある。
純度100%の本音ではなく、1回自分なりの理性フィルターを通して、マイルドにした状態のネガティヴを放っている自覚も在る。Twitterでも衝動的に呟くのではなく、その手のツイートはきちんと1回下書き保存をするようにもなった。"お笑い芸人"としてはそれを成長と呼ぶ人も居るのだろう。でも純粋に"生きるもの"としては劣化してしまっている気もする。かつて芸人を夢視た頃の宇根元少年はきっと今のウネモトよりも昔のウネモトの方に魅力を感じるのだろう。
僕はネガティヴに依存している。