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パニック症になって初めて分かった、生きづらさの本質。

私は、パニック症に悩んでいた。

パニック症状が出てくる状況は、例えば、電車、飛行機、オンライン会議、歯医者。

どれも、落ち着かない場所であり、かつ自分自身が逃げられないと思い込んでしまう場所だ。


しかし、よくよく考えてみると、逃げられない場所とは、人生そのものであることに気づいた。

私たちは皆、自分で選んでこの世に生を受けたわけではない。

何も知らない間にそのゲームは始まっていて、参加したいなどとは言った覚えもないのにゲームはどんどん進行していく。

途中でやめることは許されないし、リセットボタンも見当たらない。


パニック症の私は、強い自殺願望も抱えて生きてきた。

ただ、縊死のためのロープの結び方を説明するYouTube動画を見ただけで、がくがくぶるぶる。

私にそれを遂行するだけの勇気がないことは明白だった。

生きる勇気もなければ、死ぬ勇気もない。

どちらの方向にも進んでいけない自身の人生を目の当たりにして、あらゆる方面で「生きづらさ」という形態をとったパニック症状が出ているかのようだ。


しかし、もし仮に、その人生から簡単にドロップアウトする方法があったとしたらどうだろうか。

もっと気楽に人生を生きられたのではないだろうか。

何にも縛られずに自由に遊ぶように生きるか、あるいは実験するかのように様々なことにチャレンジできたかもしれない。


それゆえ、私は、法整備をお願いしたい。認証された機関で、不安や苦しみなく自律的に自身の最後を決められる制度を。賃貸している部屋や携帯電話などの煩わしい契約はすべて法的に処理され、残りの財産は自身の希望にそって、あるいは法律にしたがって、然るべき人へと引き継がれる。遺品の処理も業者がおこなってくれる。

そのような制度は、まるでパニック症に悩む人にとってのミント・タブレットやビニール袋のように、人生を生きる上で大きな安心を与えてくれるかもしれない。


私が社会変革に情熱を燃やすやり手であったならば、署名活動をしたり Ameba TV で熱弁をふるうなどして、その実現に向けて突き進んでいたかもしれないが、あいにく、私はそうではない。

あと5年頑張れば、誰かがなんとかしてくれるだろうか。

なら、あと5年、がんばってみよう。

そして、そのとき、仮に万が一、人生は素晴らしい、と思えていれば、それはそれで、また素晴らしいことだとも思える。



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