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希死念慮の強い君島大空好きなあなたへ

昨日こんなポストを思い切ってしてみた。

というのも以前からSNS上で明らかに心の状態がよくなさそうな君島大空ファンを割と見かけていて気になっていたからだ。大分前にも書いたが君島大空の曲は元気な人が積極的に聴くような楽曲ではない。本人が「いつも葬式の曲作っている」と冗談みたいな事を言っているがおそらく冗談ではなく生と死を意識して作られている、喪失の気配が確実に存在し漂う曲が多い。彼の曲に想い人に対する諦めを感じるのはそういう要素が大きいのだろう。届こうとしようとするが届かない。死んだ人には確かに生きている人が到達出来はしないな。

私は死にたいから彼の曲に強烈に惹かれているわけではないが生と死を意識している作風は確実に好きで惹かれている要素の一つだと思う。子供の頃から死生観を意識した生き方をしていたようだし、彼と同じ様な意識で生きてきた人達が彼の曲を聴き諦めたくなる自分をどうにか見捨てずに生きられるのではなかろうか。

少し前の記事で私は君島さんと西田さんのライブ終演後にファンから突然声をかけられた話を書いた。
顔を知らない、でもXでよく君島のことをポストしている人なら名前やアイコンは覚えている。
でも名前を尋ねたら全く違うかたで驚いた。
私の君島大空愛は自分の想像以上に君島大空ファンが見かけているのだと思い知った。
そして会場で声はかけないだけで普段からこいつほくなだと誰かからは思われてるのだな、まあいいけれどご迷惑にならないようにしよう…君島ファンとして君島大空の印象が悪くならぬよう行動には気をつけよう…と思ったのだった。

「お声掛けない方がよいのかなと思っていて」と話され、ああそうだよな私自身がその手の空気を放出しまくっている上にXはリプ欄閉じているしな、と私は自分の活動で変な読者もいて理解不明な内容のリプをする人も一定数いたので今は閉じているという説明をした。
本当に私の活動している業界は特殊なので他人のリプ欄でいきなり長文のポエムを書き出したり、わけのわからないリプを平気でするヲタクがいるのだ。
私はいちいち疲れたくないのでコメント欄を閉じるのが当たり前になった。
でもそのせいで話しかけたい人へも閉じてしまっているのは自覚している。
でも本当に話しかけたかったら引用でもして下さい、と思う。

私に勇気を持って話しかけて下さったあの夜の優しさに触れられて良かった。
君島大空は愛されてるなと知る度に何故か私は私が愛されるより嬉しい。
私は真面目に君島大空以上に君島大空を愛しているファンなのかもしれない。
とんでもないファンを作り出してしまったな、君島大空。
しかし君島さんがしたことです。

そんなわけでそれぞれが悲しい日に観に行ったり
泣きたい日に観に行くこともあるだろう
それでライブが終わって急に世界に取り残された気持ちになる君島大空ファンもいるだろう

なんてことを想像して

私は上のポストをしてみた。

彼のライブを観た後に見る月や星は観る前より輝きを増す
雨の日なら雨音さえ優しい歌に変わる。

変わるんだよ。

全部、君島大空、お前のせいなんだよ?

さて、そんな風にさせてファンにどう責任を取ってくれるの?




なんて答えは簡単なのだ。

また新しい歌を私達の中に辿り着かせて下さい。








君島大空が生み出す歌で消えたい願いも消してほしい。





希死念慮の強い君島大空好きなあなたへ。





きっと彼の歌が消してくれるよ。





私は自分の消えたさを消す為に彼の曲を狂ったように聴いている
昨日も今日も今も

明日も

ずっと?










死ぬ時にも私の鼓膜をこえて私の身体に流れていたらそんな消え方も素敵だなと

思いながら。

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